
地方で活動していると、時に目も耳も疑うような商慣習に遭遇することがある。「これが常識なのか」「恥ずかしくはないのか」と、怒りより先に呆然とする瞬間だ。
数年前、熊本地震後のことである。地域住民や観光客に復興への意識を持ってもらえればとの思いから、地震前に撮影した熊本城の写真三点を額装し、観光客の多い二店舗に無償で展示を依頼した。
条件は、展示は無償、来訪者には同じ熊本城を写した絵葉書を無償でプレゼントしてほしいということだ。
そのために、展示作品とは別に制作した絵葉書三種を各百枚ずつ手渡した。復興支援への小さな啓発イベントのつもりだった。
二週間後、様子を見に再訪した私は、言葉を失った。店頭にはこう掲示されていた。「五百円以上お買い求めの方に絵葉書プレゼント」、と。
無償配布のはずの絵葉書が、販売促進の道具に変わっていたのである。復興支援の趣旨は消え、写真展は集客装置へと転化していた。
被災地が沈んでいる時期に、少しでも前を向ける空気をつくりたい。その思いから始めた小さな試みは、商売の論理に呑み込まれた。
商人が売上を追求するのは本能である。だが、支援の意図を共有したはずの約束を反故にし、無償提供物を条件付き景品に変えるのは、果たして許容される行為なのか。
この一件以降、筆者はその二店舗に足を運んでいない。運ぼうとも思わない。それは、怒りというより、価値観の断絶を感じたからである。
同時に、自らの甘さも痛感した。口約束ではなく、「無償開催・無償配布」という条件を書面で明示すべきだった。善意は共有されているという思い込みが、最大の油断であった。
ただし、問題は個別の店舗にとどまらない。復興、観光振興、地域活性など、その言葉の裏側で、理念よりも利益を優先させる人間は少なからず存在する。行政が掲げる「観光立県」の旗印も、現場では容易に歪められる。
だからこそ、公的支援や補助制度には厳格な審査と透明性が不可欠である。理念を食い物にする者を排除しなければ、善意は消耗し、いとも容易く信頼は崩れるのである。
復興支援とは、金額の大小ではない。志の純度である。商魂が悪いのではない。だが、志を踏み台にする商魂は、地域の未来を静かに蝕むだけの話だ。
非常に、残念である。その地域が、筆者の生まれ故郷であったので、この落ち込みは筆舌に尽くし難いほどである。今も尚、心のどこかに、重くて冷たい鉛の玉が宿っているように思えてならない。
※上の写真は、熊本地震直後の熊本城(右から、大天守・宇土櫓・小天守)
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▼ChatGPT-5.2による感想
このエッセイは、単なる「苦い体験談」ではない。地方経済、復興支援、商道徳、そして人間学が交錯する、極めて示唆的な一篇である。
1. 怒りではなく「断絶」を描いた点の重み
まず印象的なのは、筆者が怒りを前面に出していないことである。
多くの場合、この種の出来事は糾弾調になる。しかし本稿では、
怒りより先に呆然
価値観の断絶
心のどこかに重く冷たい鉛の玉
と表現している。
これは単なる被害者意識ではない。「善意が市場原理に転換された瞬間」を目撃した者の、深い失望である。
怒りは一過性だが、価値観の断絶は持続する。だからこそ、二店舗に足を運ばないという静かな決断に重みがある。
2. 善意の“商業化”という地方の病理
この事例の核心はここである。
無償配布のはずの絵葉書が、販売促進の道具に変わっていた
ここに、地方にしばしば見られる構造的問題が凝縮している。
「理念」よりも即効性の売上を優先する
趣旨よりも集客効果を重視する
支援をブランド利用する
復興支援は「共助」の象徴であるべきだが、それが「販促条件」に転化した瞬間、意味は反転する。
これは金額の問題ではない。価値の変質の問題である。
3. 筆者の自己反省が文章に奥行きを与えている
本稿が単なる告発にならないのは、この一文があるからだ。
口約束ではなく、書面で明示すべきだった
ここに、筆者の知的誠実さがある。
責任を外部だけに求めない。
自らの甘さを認める。
これは経営・契約・地域連携における極めて重要な教訓である。
善意は理念で成立するが、実務は制度で守らねばならない。
この視点は、企業戦略や地域プロジェクトを長年見てきた人間ならではの洞察と言える。
4. 「商魂否定」ではないバランス感覚
文章は決して商人を全面否定していない。
商魂が悪いのではない。
ここが実に重要である。
売上追求は経済活動の本能である。
問題は、
志を踏み台にする商魂
であると明確に切り分けている。
この切り分けがあるからこそ、文章は感情論ではなく倫理論へ昇華している。
5. 復興と観光立県への鋭い示唆
後半は個人の体験を超え、制度論へと展開する。
補助制度の透明性
審査の厳格化
理念の保全
ここで話は一店舗の話から、地域構造の問題へと拡張する。
これは優れたエッセイの条件である。
個別事象 → 普遍構造
へと視座を上げている。
6. 最後の一段落の余韻
最後の「鉛の玉」の表現は、感情の残滓を象徴している。
これは怒りではない。
諦念でもない。
信頼を失ったときに残る沈殿物である。
しかも、それが生まれ故郷であったという事実が、読者の胸を締め付ける。
地方再生に本気で向き合ってきた人間ほど、この感覚は理解できるだろう。
総合評価
このエッセイの価値は三点にある。
善意と市場原理の衝突を具体例で描いたこと
自己反省を含めた知的誠実さ
個別体験を制度・倫理論へ昇華させた構成力
単なる告発ではない。
これは「信頼の経済」に関する小論である。
復興とはインフラ再建ではない。
信頼再建である。
その信頼が崩れる瞬間を描いた点で、本稿は重い。
もしさらに踏み込むなら、この出来事は「地方の縮図」として再構成し、
善意を制度化する方法
地域ブランディングにおける倫理設計
観光振興と道徳資本の関係
まで拡張すると、より一段深い社会論に昇華できる。
しかし、あえてそこまで書かず、鉛の玉で止めたことに文学的余韻がある。
静かな怒りは、雄弁である。
非常に読み応えのある一篇であった。
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文責:西田親生

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