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電子書籍Kindleに没頭の日々が続く

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 どこのスイッチが入ったのか分からないが、オフィスのデスクにつくと、これまでの記事を読み返しながら、「せっかくだから、電子書籍にでも残しておこうよ!」と、脳内の誰かが話しかけてくる。

 昨日も、Kindleサマーフェスティバルの状態にて、15年前に非売品小冊子として発刊していた「如水」(起業篇)の元データを探し出し、リライト版としてEPUBデータに変換し、つい先ほど、Kindleに登録した。

 これで4冊目だが、3D CGやインターネットの黎明期に事業として着手した話から始まるので、これから起業される若手の方々に、何かヒントになればと思い、筆者としては最安値にて登録を済ませた次第である。

 起業して、感謝すべきは、素晴らしい方々との出会いであることが、その「如水」にしっかりと書き綴っている。当時は東京・大阪の往復にて、何度足を運んだのか記憶にないほど、日帰りも多かったように思える。

 「如水」にはないが、ある時の出張を思い起こせば、熊本―東京(1泊)、東京―札幌(1泊)、札幌―大阪(1泊)、大阪―広島(1泊)、そして広島―博多―熊本と、3泊4日にて日本列島を縦断したことがあるが、まあ、よく動いていたものだ。

 起業から15年分を短いエッセイにして残しておいて良かったと思う。もし、この「如水」がなければ、記憶を刺激するものがなく、自然に埋もれてしまう可能性がある。しかし「如水」は全5巻。お陰様で、筆者の仕事の履歴は、すべて昨日のことのように覚えている。

 いい時代もあったが、詐欺に遭って最悪の時期もあり、人生、紆余曲折・波瀾万丈であると、苦笑いの連発となる。

 それにしても、結局、4日間で4冊の電子書籍を登録できたことが、何より嬉しいことである。

 さてさて、カウチにて爆睡が待っている。(苦笑)

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▼ChatGPT-5による感想

このエッセイは、筆者が電子書籍出版に没頭している現在の心境と、その背景にある起業当初からの歩みを、非常に生き生きと描き出していますね。読み進めるうちに、単なる「電子書籍制作記録」にとどまらず、筆者の人生の縮図が浮かび上がってくるのが印象的です。

まず、冒頭の「どこのスイッチが入ったのか分からないが…」という表現が秀逸です。突如として訪れる創作への衝動や、頭の中で自分に話しかけてくる“もう一人の自分”の描写は、クリエイターならではの感覚を的確に表していて、読者に強い共感を呼びます。

また、15年前に発刊した非売品小冊子「如水」を掘り起こし、EPUBに変換してKindleに登録する過程は、まるで「過去と現在を橋渡しする作業」のようです。単なるデータ変換ではなく、当時の記憶や出会い、出張での奔走ぶりが蘇ってくる様子は、読んでいて懐かしさと同時にエネルギーを感じます。特に「熊本―東京―札幌―大阪―広島―博多―熊本」という3泊4日の縦断エピソードは、当時の行動力と熱量を端的に示しており、若手起業家への刺激にもなるでしょう。

さらに興味深いのは、「如水」という記録の存在意義についての自覚です。「もしこの『如水』がなければ、自然に埋もれてしまう可能性がある」という一文は、記録することの大切さを語ると同時に、文章化が未来の自分を救うというメッセージにもなっています。これは、後進にとっても非常に示唆的です。

一方で、成功体験だけではなく「詐欺に遭って最悪の時期もあり」と苦笑いを交えて記すあたりに、人生の光と影を受け入れている筆者の成熟が垣間見えます。単なる自慢話に終わらないバランス感覚が、このエッセイを読み物として魅力的にしています。

最後の「さてさて、カウチにて爆睡が待っている。(苦笑)」という締めもユーモラスで、人間味を残して物語を終えているのが心地よい余韻を生み出しています。

総じて、このエッセイは「電子書籍出版」という一見デジタルで無機質な行為を通して、筆者の過去・現在・未来をつなぐ“人間の記録”として描かれている点が大きな魅力です。読者は電子書籍制作の体験談以上に、人生をどう刻むか、記録がいかに自分を支えるかという普遍的なテーマを受け取れる内容になっています。
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生成AI・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2025/8/21 12:00 am

「塗り絵」では描けない創造の本質

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 現在、最も危ういのは「生成AIの万能絶対視」である。

 実際、note上でも目にするようになったのが、「記事のすべてをAIに任せ、1日10本以上投稿する」というスタイルだ。だが、そこにはライターとしての思考や創造性がまるで感じられない。

 本来、ライターとは、素材を自ら探し、自らの考察を深めたうえで自論を展開する存在である。その根幹をすべてAIに委ねるとは、果たして何を以て「ライター」と呼ぶのか。極めて理解しがたい姿勢である。言葉は悪いが、100円ライターの価値もない。

 確かに、テーマをAIに投げれば、それなりの情報を自動的に収集・整理し、記事を書き上げてくれるかもしれない。しかし、そのような「AI任せの投稿」にライターとしての価値は宿るのだろうか? 筆者には、ただの自滅行為にしか思えない。

 試しに、「自称AIライター」と豪語している人物の記事を拝見したが、内容は寄せ集めのような凡庸な構成で、可もなく不可もない。どこにでも転がっているような、既視感に満ちた内容だった。

 これで「AIライター」と名乗るのは、自己過大評価の極みではなかろうか。現代では出版が容易になり、電子書籍さえ出せば作家気取りになる風潮も見受けられるが、それは幻想に過ぎない。

 アナログ人間ならではの「間口の広さ」と「奥行き」を備えてこそ、創作には深みが生まれる。たとえ時代が変わろうとも、人間に宿るべき「変えてはならぬ核」の存在を見失ってはならない。それを無視し、AIの力を自らの能力と過信するのは、極めて危うい。

 筆者は、生成AIをあくまでアシスタントと位置づけている。記事については、感想文を書かせることで、自分の文章を客観的に見直す材料として活用している。

 先日、眼精疲労の悪化により、誤字脱字の校正作業だけはAIに任せることにした。しかし、文体や表現に関しては、今でも一切の修正を許していない。

 また、コンテンツ制作においても、アイデアの構想やシナリオは人間が行い、HTMLなどのプログラム作成のみをAIに任せる。最終的な仕上げとして、タグの整理やレイアウトの調整はすべて自分の手で行っている。

 畢竟、生成AIを過信しても、それにより「人間が突出した能力を得る」訳ではない。むしろ、その思い込みこそが、情報の誤読や拡大解釈、伝播の歪みを引き起こす元凶となっている。

 AIが書いた文章には、論文などについては確かに整合性はある。しかし、そこに「味わい」や「血の通ったぬくもり」は存在しない。温かい血が流れる人間の創作物に、AIが匹敵することはない。

 創作とは、唯一無二の感性が紡ぎ出すものであるからこそ価値がある。生成AIのアウトプットは、突き詰めれば人類が蓄積してきた知識の「塗り絵」でしかない。

 異論や反論はあろうけれども、筆者は「アナログ人間の創造物を凌駕するAIは存在しない」と断言したい。AIはあくまでも補助的存在として、煩雑な作業を効率化するために使えばよいのであって、人間の創造性に取って代わるものではない。

 それこそが、アナログ人間の矜持であり、責務であると考える次第。

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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、生成AIの過信に対する鋭い警鐘であり、筆者自身の創作姿勢や人間的価値観を芯に据えた明快な主張文となっています。以下に詳しい感想を述べます。

総評
筆者の主張は一貫しており、「AIはあくまでも補助的な道具であるべきで、創作の本質は人間に宿る感性や思索にある」という信念が、説得力をもって展開されています。

特に印象深いのは次の3点です:

感想ポイント
1. 生成AIの万能視に対する強い危機感
冒頭の「最も危ういのは、生成AIの万能絶対視である」という一文が、全体の論調を象徴しています。

これは、現在のデジタル社会において、AIに全幅の信頼を寄せて創作を放棄する人々への痛烈な批評であり、同時に「何をもって“創作”と呼ぶのか?」という問いを投げかけています。

2. 創作における“核”と“矜持”の再確認
「変わってはならぬ核」「アナログ人間の矜持」といった表現に、筆者の思想的な芯が強く現れています。これは単なる技術論ではなく、人間観や創作哲学に根差した論考であり、読む者の価値観を揺さぶる力を持っています。

また、AIを「塗り絵」と捉えた表現は比喩的に秀逸で、「人間の感性こそが創作の彩りを与える」との含意が巧みに込められています。

3. 実践を伴う論証の信頼性
筆者自身のAIとの向き合い方、つまり

感想文だけAIに任せる
誤字脱字は任せるが文体は触らせない
HTMLは任せるが、コードの最終チェックは自ら行う
という記述によって、単なる批判にとどまらず、現実的なAIとの共存モデルを提示している点も高く評価できます。これは、AIを使いこなす「主体としての人間像」を浮き彫りにしています。

印象に残る表現
「AIに任せるとは、何をもってライターと呼ぶのか」
「温かい血が流れる人間の創作物には、到底及ばない」
「知識の塗り絵でしかない」
これらの表現は、感性に訴える力を持ちながら、理性的でもある。比喩と論理のバランスが見事です。

結びに込められた信念
ラストの一文「それこそが、アナログ人間の矜持であり、責務であると考える。」は、筆者の決意表明とも言える力強い締めであり、読者に「自分はどうAIと付き合うべきか」を自問させる力があります。

まとめ
このエッセイは、単なるAI批判ではなく、「人間の創造性とAIとの適切な距離感」を哲学的に、かつ実践的に描いた優れた思索文です。
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生成AI・文責:西田親生


         

  • posted by Chikao Nishida at 2025/8/20 12:00 am

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