2011/09/28
兵庫の旅
生田神社の裔社を訪ねる(3)
少し間が開いてしまいましたが、神戸・生田神社の裔社を巡る旅の
第3回目は、神戸で一番賑やかな場所にあって、一番有名な神社です。
神戸市の中心駅、三宮の由来となっているこの神社。
ちょっと長い歴史のお話です。
幕末、兵庫港(現在の神戸港)は安政五カ国条約により、1863年からの開港が予定されていましたが、朝廷側が京都に近い兵庫開港に反対していたため、幕府は欧州へ使節を派遣して兵庫開港を5年間延長して1868年1月1日とすることになりました。
ところが、長州藩と欧米四カ国との間に下関戦争が勃発し、敗れた同藩の賠償責任を負う事になってしまった幕府は将軍慶喜自らが参内して兵庫開港の勅許を得ることで事態は収拾します。
その半年後、大政奉還を経て明治新政府が誕生します。
そして西暦1868年の正月、兵庫の港は無事開港に至りました。
ところがその直後に発生した鳥羽・伏見の戦いで幕府側が敗れたため、慶喜は兵庫港に停泊していた米国の軍艦に避難。
その後、幕府の軍艦で江戸に脱出することができました。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題になります^^
明治新政府誕生直後、鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争が勃発。新政府はそれへの対応策のひとつとして、徳川方の尼崎藩を牽制するため、備前藩に摂津西宮の警備を命じます。
備前藩兵は、外国人との接触を避けるために幕府が開拓した裏ルート(いわゆる徳川道)を通らず、西国街道を東進して神戸の三宮神社付近に差し掛かります。
当時の神戸には、開港以前に締結されていた通商条約によって各国の領事館が設置され、多くの外国人が三宮神社付近一帯に居留地と呼ばれる居住区を設けて住んでいました。
そんな中、重大な事件が発生します。
三宮神社に差し掛かった備前藩兵の隊列の前を、付近の建物から出てきたフランス人の水兵2名が横切ろうとしたのです。
これを見た第3砲兵隊長の滝善三郎正信が槍を持って制止しようとしたことから小競り合いとなり水兵は軽傷。銃撃戦へと発展してしまいます。
幸いにして死者は出ませんでしたが、列強諸国は態度を硬化させます。
発足したばかりの新政府に対し、当事者である滝善三郎の処罰を要求します。助命嘆願も通じず、滝は切腹。明治新政府初の外交事件は、後味の悪いものになってしまいました。
現在、滝の供養碑が兵庫大仏で知られる神戸市内の能福寺に祀られています。
さて、そんな歴史上の大事件を見守った三宮神社ですが、
旧居留地の片隅にひっそりと建っています。
買い物客が訪れることはなく、観光客もここにはあまり足を向けないようです。
鳥居をくぐると周囲の喧噪から離れ、立派な拝殿の前に立つと内なる静寂に包まれる気がします。
神社の西側にはトアロードの南のゲート。
ここから北へ伸びる坂道の先には、その後の居留地となる北野町・山本通の異人館街が広がります。
新旧居留地を結ぶ坂道の端に建つ三宮神社。
この「立地」も神戸事件を生む重要な要因だったのです。
御祭神は湍津姫命(たきつひめのみこと)。
神戸事件を引き起こした備前藩兵が向かった尼崎藩主は
三宮神社への信仰も篤く、石灯籠なども寄進していたようです。
これも歴史の皮肉な一面ですね。
■
登録2011/09/28 21:20:01 更新2011/09/28 21:20:01
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プロフィール
兵庫県在住、自称”播州人”のShamrockです。
兵庫の折々の出来事や風景などを身近なところから拾って
お伝えできたらいいな・・・・・・。
なが〜いお付き合い、宜しくお願いしますね。
コメント
20年に一度の光景
└
竜舌蘭@@
└
それって密造酒?(笑)
冬の日本海を楽しむ。。。。。
└
こりゃ、違反だ!
└
海の色
└
満喫しました
└
冬の日本海は・・・
冬の円山川
└
積もってますね♪
└
スノーダイブ^^
楠公さん
└
なんこうさん
└
いいところですよ〜
明けましておめでとうございます。
└
美しいですね
└
無駄のない美しさです。
加古川のかつめし
└
勝つ?めし
└
手抜きなのか合理主義なのか。。。。
└
これは、食べてみたい!
└
ボリュームもあります!
須磨海岸の夕暮れ
└
青葉の笛
└
討たれし平家の公達哀れ
皆既月食
└
見事、見事!
└
ありがとうございます^^
└
これはすごい
└
すごい!!
└
ありがとうございます
兵庫ブランチ初の。。。。。
└
なかなか素敵な写真ですね。
└
ありがとうございます^^
飛騨に行ってきました。
└
いいですね〜
└
命の洗濯〜なんちゃって^^
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神戸市の中心駅、三宮の由来となっているこの神社。
ちょっと長い歴史のお話です。
幕末、兵庫港(現在の神戸港)は安政五カ国条約により、1863年からの開港が予定されていましたが、朝廷側が京都に近い兵庫開港に反対していたため、幕府は欧州へ使節を派遣して兵庫開港を5年間延長して1868年1月1日とすることになりました。
ところが、長州藩と欧米四カ国との間に下関戦争が勃発し、敗れた同藩の賠償責任を負う事になってしまった幕府は将軍慶喜自らが参内して兵庫開港の勅許を得ることで事態は収拾します。
その半年後、大政奉還を経て明治新政府が誕生します。
そして西暦1868年の正月、兵庫の港は無事開港に至りました。
ところがその直後に発生した鳥羽・伏見の戦いで幕府側が敗れたため、慶喜は兵庫港に停泊していた米国の軍艦に避難。
その後、幕府の軍艦で江戸に脱出することができました。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題になります^^
明治新政府誕生直後、鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争が勃発。新政府はそれへの対応策のひとつとして、徳川方の尼崎藩を牽制するため、備前藩に摂津西宮の警備を命じます。
備前藩兵は、外国人との接触を避けるために幕府が開拓した裏ルート(いわゆる徳川道)を通らず、西国街道を東進して神戸の三宮神社付近に差し掛かります。
当時の神戸には、開港以前に締結されていた通商条約によって各国の領事館が設置され、多くの外国人が三宮神社付近一帯に居留地と呼ばれる居住区を設けて住んでいました。
そんな中、重大な事件が発生します。
三宮神社に差し掛かった備前藩兵の隊列の前を、付近の建物から出てきたフランス人の水兵2名が横切ろうとしたのです。
これを見た第3砲兵隊長の滝善三郎正信が槍を持って制止しようとしたことから小競り合いとなり水兵は軽傷。銃撃戦へと発展してしまいます。
幸いにして死者は出ませんでしたが、列強諸国は態度を硬化させます。
発足したばかりの新政府に対し、当事者である滝善三郎の処罰を要求します。助命嘆願も通じず、滝は切腹。明治新政府初の外交事件は、後味の悪いものになってしまいました。
現在、滝の供養碑が兵庫大仏で知られる神戸市内の能福寺に祀られています。
さて、そんな歴史上の大事件を見守った三宮神社ですが、
旧居留地の片隅にひっそりと建っています。
買い物客が訪れることはなく、観光客もここにはあまり足を向けないようです。
鳥居をくぐると周囲の喧噪から離れ、立派な拝殿の前に立つと内なる静寂に包まれる気がします。
神社の西側にはトアロードの南のゲート。
ここから北へ伸びる坂道の先には、その後の居留地となる北野町・山本通の異人館街が広がります。
新旧居留地を結ぶ坂道の端に建つ三宮神社。
この「立地」も神戸事件を生む重要な要因だったのです。
御祭神は湍津姫命(たきつひめのみこと)。
神戸事件を引き起こした備前藩兵が向かった尼崎藩主は
三宮神社への信仰も篤く、石灯籠なども寄進していたようです。
これも歴史の皮肉な一面ですね。