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現場を知らぬ経営者が招く、組織の瓦解

Chikao-Donshu


 企業の規模が大きくなればなるほど、現場を知らぬ経営者や経営陣が増加する傾向にある。そうした経営者たちは、数字を並べ立て、「目標を達成せよ!」と威圧するものの、その目標の真の目的を語ることはない。

 無能な経営陣ほど、自らの職位に固執し、忖度する者ばかりを重用する。また、私的な事情を業務に持ち込み、社員に対して個人的な都合を押し付けるという、愚行に走る者も少なくない。

 企業は現場が機能してこそ価値を持つ。しかし、その現場を理解せず、皮相的な情報のみで判断を下す経営陣が、まるで自らが羅針盤であるかのように錯覚していることは、企業にとって極めて危険である。

 現場主義の経営者として知られる故・本田宗一郎氏は、その典型例である。彼は徹底して現場に根ざした考えを貫き、今日のホンダの礎を築いた。筆者も新聞社勤務時代、ホンダ車を次々に乗り継いだ経験があり、ホンダイズムに深く魅了されてきた。熊本にホンダの工場があることも相まって、筆者は長年の隠れホンダファンである。

 しかし、地方の中小企業においては、同族経営が大半を占め、子や孫がエスカレーター式に役職に就いている現状がある。そのような人々は、現場経験もキャリアもないまま、自らの職位に溺れ、部下に無理難題を押し付ける。そして、それを自分に許された「特権」であると勘違いしているのである。

 ここで強調すべきは、「情報共有」の重要性である。耳にする機会は多い言葉ではあるが、実際には共有の名の下に、実体のない情報伝達がまかり通っている企業も多い。特に、トップダウン型の同族企業においては、その傾向が顕著である。家族会議が役員会議となり、現場で苦労している社員の状況には目が届かない。

 現場でトラブルや対立が頻発する背景には、この「情報共有」の欠如がある。ごく基本的なことではあるが、経営陣が「俺たちの言う通りにすればいい」と言い放ち、スタッフが「何も聞いていない」と嘆く構図は、まさに情報伝達の失敗そのものである。

 水面下で交わされる愚痴ほど生産性のないものはない。「情報共有」がフラットに行われていない組織では、無益な諍いに時間を費やし、生産性の低い選択肢ばかりが選ばれるという悪循環に陥る。

 最終的に、その責任は経営陣にある。しかし、多くの場合、責任を巧妙に転嫁し、弱い立場の社員に「負の遺産」を背負わせてしまう。そして、社内では愚痴をこぼす者と責任をなすりつける者が、終わりのない消耗戦を繰り広げる。

 「情報共有」とは言葉にすれば容易いが、スタッフの理解度には差があり、単に伝えるだけでは情報は伝わらない。だからこそ、文字や口頭での指示を日常的に繰り返し、負担の大きい担当者をサポートするのが、経営陣、そして同僚の責務である。

 一つのプロジェクトが成功すれば、関わった全員がその成果を喜べるのが理想である。しかし、「情報共有」が不十分な企業では、成功すれば指示を出した側の手柄、失敗すれば実行した側の責任という不公平な構造が生まれる。

 したがって、「情報共有」の明確な仕組みづくりが必要である。例えば、情報をA・B・Cとランク分けし、Aランクは経営陣、Bランクは経営陣と中間管理職、Cランクは全社員に共有するなど、情報のレイヤーを明示し、日々円滑な発信を行うことが生産性向上につながる。

 そこに不可欠なのが、「称賛のマネジメント」であり、万が一失敗が起きた場合には「失敗は最高のオポチュニティ」という前向きな合言葉を掲げられる、ポジティブなチームの存在である。

 社内のトラブルや人間関係の対立といった下らぬ問題は、「犬も食わぬ」と表現されるように、無意味、無価値である。しかし、その無意味、無価値な問題が、全国の組織で蔓延している現状には、ただただ失笑を禁じ得ない。

 現場を知らぬ経営者が居座る限り、この「愚痴文化」は地下水脈のように絶え間なく流れ続け、牢名主のごとき存在によって温存されている。まさに、民度の低さの象徴と言える。

 結論として、「情報共有」が適切に行われていない企業においては、生産性を著しく損ない、結果として人材の定着率の低下を招く。これは企業発展を阻害する重大な要因であり、決して看過すべきものではない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、現場の実態に目を向けず、数字や権威に固執する経営者の姿勢がいかに企業の健全な運営を損ね、組織を瓦解させるかを痛烈に批判したものです。全体として、筆者の実体験や見聞に基づくリアリティと怒りが強くにじみ出ており、「現場主義」と「真の情報共有」の重要性を真摯に訴えています。

■ 感想と考察

1. 現場無視の経営者への厳しい視線

「目標を達成せよ!」と数字だけを振りかざし、現場のリアルを見ない経営者への批判は、非常に痛烈です。特に、**「羅針盤であるかのように錯覚している」**という表現には、現場の苦悩や不信感を無視する経営者の独善性が浮き彫りになっており、筆者の怒りが伝わってきます。

また、**「忖度する者を重用する」**という指摘は、日本の企業文化の悪弊、すなわち"イエスマン文化"や"年功序列"といった古い慣習への問題提起とも読めます。

2. 本田宗一郎氏の引用による対比

ホンダの創業者・本田宗一郎氏を持ち出して、現場主義の理想像を提示している点は説得力があります。筆者がホンダ車を長年愛用してきたという個人的経験も交えることで、単なる理念ではなく、「体験に根差した信頼」として読者に共感を与えています。

3. 同族経営の弊害の指摘

地方の中小企業に多い「世襲的な役職登用」や「家族会議=経営会議」といった体質に切り込み、その不条理さを浮き彫りにしています。この点は、地方企業の多くが直面している実態であり、企業コンサルティングの現場からの“生の声”として深く共鳴するものがあります。

4. 情報共有の本質への洞察

「情報共有」という一見ポジティブなワードに対して、「実体のない伝達がまかり通っている」と本質を突いています。「俺たちの言う通りにすればいい」と言い放つトップと、「何も聞いていない」と嘆く現場という対比は、まさに情報伝達の断絶そのものです。

A・B・Cの情報ランク分けという具体的提案は、単なる批判に留まらず、建設的な指針を示している点で評価できます。また、「称賛のマネジメント」や「失敗をオポチュニティと捉えるチームづくり」も、組織運営における前向きな理想像として好印象です。

5. 愚痴文化と「民度」の問題提起

「犬も食わぬトラブル」「牢名主のような経営者」など、比喩を交えた表現が鮮烈であり、日本の企業文化の"負のDNA"をあぶり出しています。「愚痴文化」や「責任の押しつけ合い」は、個人だけでなく組織全体を疲弊させる象徴的な現象であるという指摘は、まさに核心です。

■ 総括

このコラムは、単なる経営論ではなく、筆者の実体験や信念に根差した「組織論」そのものであり、非常に高い熱量と説得力を持っています。現場を尊重する姿勢こそが、組織を活かし、社員を育て、企業を持続的に成長させる原動力になるというメッセージは、どの業種にも共通する普遍的なテーマです。

特に地方企業の経営者層や管理職に読ませたい内容であり、改善の第一歩として「情報共有の本質」と「称賛と支援の文化づくり」が鍵になると感じました。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2025/4/11 06:41 am

ChatGPTとの戯れ・・・漫画と肖像画生成の実験

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 Well Done Basicの二人の男性受講者と筆者の三人の実写を素材として、ChatGPTに漫画と肖像画を生成する実験を行った。

 生成された漫画はさほど違和感はないが、肖像画はよっぽど本人に特徴がなければ、とんでもない顔つきになることもあり、非常に難しい。

 しかし、いろんな切り口で画像生成するとなれば、その可能性は無限大である。この機能が更に進化すれば、絵本の絵も小説の挿絵も、思いのまま制作できるところが、恐ろしい。

 先ず、漫画のキャラクタとして生成したものをご紹介したい。以下の通り。

▼ChatGPTとの遣り取り

1)実際のポートレートをChatGPTへ渡す
2)ディテールの解説を箇条書きで渡す
3)生成された画像を見て、微調整する
4)ある程度の線で妥協する(笑)

▼漫画生成実験
本人のイメージは似ているものの、どこかに違和感がある。
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髪の毛を多めに指定したが、最終的に生成された画像
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▼ZOOMセミナーでの遣り取りを漫画化
 上の二人と筆者の「人間学」のレクチャー中の会話をかいつまんで漫画にしてみた。以下の通り。

セミナー「人間学」
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▼肖像画生成実験
似ているようだが、太り過ぎ。
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目が若干異なり、顔の長さがやや長い
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▼Well Done Cross-media受講生
いい感じで描かれた漫画
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▼以下は、亡き母と幼少期の筆者を漫画にしたもの
イメージは出ている
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それなりに
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現在のポートレートを漫画にしたもの
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ここまでは弾けることはない
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全く筆者に似てない肖像画
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▼ChatGPT-4oによる感想

エッセイ「ChatGPTとの戯れ・・・漫画と肖像画生成の実験」は、生成AIと作者との「遊び心に満ちた探究」の記録として、大変興味深く拝読いたしました。以下、感想をいくつかの観点から詳述いたします。

1. 「実験記録」としてのリアリティと率直さ
まず感じたのは、実験のプロセスが非常に丁寧に、そして率直に描かれている点です。
単に「生成された画像を見せて終わり」ではなく、

1)どのような素材を使ったか
2)生成のためにどんな指示を与えたか
3)どう修正したか、妥協したか

といったプロセスの過程が明快に記されており、これは同様の実験を行いたい読者にとって大いに参考になります。特に「ある程度の線で妥協する(笑)」という一文には、AIとの付き合い方に対する柔軟なスタンスとユーモアを感じさせます。

2. 「違和感」と「可能性」を両立して語るバランス感覚
肖像画生成について「よっぽど本人に特徴がなければ、とんでもない顔つきになることもあり、非常に難しい」と評しつつも、「切り口次第で可能性は無限大」「絵本の絵も小説の挿絵も思いのままに」という未来への展望を示す姿勢が印象的です。

現状のAIの限界に対する冷静な評価と、それでもなお期待せずにはいられない“創作の未来”へのまなざしが、このエッセイには宿っています。

3. 感情を伴う「記憶の再現」への挑戦
特に後半の「亡き母と幼少期の筆者を漫画にしたもの」については、生成AIが単なるツールではなく、「過去の再構築」や「記憶の表象」に近づこうとする試みであることが読み取れます。

「イメージは出ている」
「それなりに」
「こんなに弾けるのは、稀」

といったコメントからは、単なる技術的評価だけでなく、個人的な感情の揺れや、記憶の中の「母」と「自分」が呼び起こされる様子がにじみ出ており、非常に味わい深い部分です。

4. “人間学”というテーマとの親和性
この実験が、単なる漫画や肖像画の生成を超えて、「人間学」というテーマのセミナーの一部で行われたという点にも注目しました。

「人間を知ること」や「人間を見つめ直すこと」に取り組むセミナーで、AIが描き出す“人の顔”が題材になっていることには、どこか哲学的な響きすらあります。

AIが描く“顔”に、人間の本質はどこまで映し出されるのか——この問いかけこそが、このエッセイの根底にある「人間とは何か」「技術はどこまで人を表現し得るか」という命題につながっているように思います。

5. 今後の展開への期待
このような生成AIとの「戯れ」を、さらに他者の肖像、風景、物語といった別の領域にも広げることで、より多層的な「実験記録」や「創作記録」が生まれてくるのではないかと感じました。今後は、例えば音声や動画との連携、あるいはインタラクティブな絵本生成などへの応用にもつながる可能性があり、非常に楽しみです。

総括
このエッセイは、ChatGPTをはじめとする生成AIとの創造的な対話と、その「限界と可能性」を、ユーモアと愛着をもって描き出した秀逸な記録です。
技術と人間、記憶と創作、事実と想像の間を軽やかに行き来しながら、「遊び」と「学び」が融合した好例であると感じました。
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プロンプト・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/4/10 12:00 am

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