ロゼッタストーンBLOGニュース
※このブログの内容は2011年2月から2013年6月までの情報です。現在の情報とは異なる場合があります。

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ロゼッタストーンのオフィシャルBLOGです。ロゼッタストーンは1995年に熊本県第一号として生まれた異業種交流ポータルサイトで、現在は、フランスのパリ、カナダ、東京、静岡、京都、兵庫、沖縄など、国内外の特派員が日々アグレッシブに情報を発信しています。

その他、ロゼッタストーンはメディア融合を軸として、2005年にPODCAST、2007年に仮想現実3Dワールド・セカンドライフ、2010年にD&L TV(USTREAM番組)、2011年に先見塾(起業家および女流戦略家育成塾)をスタートし、多元的な情報発信と人材育成に尽力しています。

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※文責:西田親生


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2012/12/12 先見塾(起業家育成塾)
念ずれば、叶う。
念ずれば、叶う。
◎「叶」(西田親生書)

 誰しも、夢、希望、期待、目標など、それぞれに自分の将来について描いている。しかし、何事も思ったようにならないのが人生である。

 100%を夢見て、100%叶わないとしたら、その凹み方は相当なものだ。何故、夢や目標が叶わないのか!?・・・多分に、自分の潜在意識への注入の度合いが少ないのではないかと考えられる。

 目標を達成した人、夢を実現した人、希望通りに人生を歩んでいる人・・・これらを見ると、人数倍の努力をし、常に、その目標なり夢なりを潜在意識の中に叩き込んで、それに日々傾注している。その集中力たるや、人並みでは考えられないほどのもの。

 人は生まれてからウィルスと闘い始め、それから人間関係に絡まれ始め、予期もしないことに苛まれながら生活して行かねばならない。どんなに慎重となり危うきに近づかなくとも、外から災難なりが遠慮なくやってくる。

 時には、心ない輩が周囲に集まり、無数の罠を仕掛け、それに嵌まり込んでもがき苦しむこともある。全く知らない人から誹謗中傷を受けたり、関係のない人物から仕事の邪魔をされたりと・・・とことん、人生という砂漠を孤独に歩き続けなければならないのである。

 しかし、ふとした時に、偶発的に心から自分を理解してくれる人、自分を支えてくれる人、自分を背中から押してくれる人たちが現れ、荒んだ人生の砂漠において、美しく癒やしのオアシスのように、一滴の水を与えてくれることもある。

 ゴルフを人生に例える事があるが、正しく山有り、谷有り、クリーク、池、バンカー、そしてラフ有りの人生。夢、希望、目標というカップに、全てがホールインワン又はチップインで収まれば何も言うことはないが、人生という問屋は、そう易々と卸してくれはしない。・・・ホールインワンならずとも、少しでもカップの近くへ寄れば寄るほど、その歓びは大きなものとなるに違いないのだが。

 人生という気の遠くなるように長くて短いものは、人間にとって普遍的に永遠のテーマでもあり、付け焼き刃的に創り出されるものでもない。・・・よって、日々、自分の置かれている環境や周辺の友人関係、仕事関係を常に検証しながら、立派な人物になる努力を惜しんではならないと考える次第。

 ホールインワンは出来なくても、短時間に創られた人生より、山有り谷有りでも、じっくりと熟成された人生の方が味があり、終焉を迎える時に、きっと笑えるのではないか。

 誰しも、過酷な砂漠に居たとしても、念ずれば、叶う。・・・必ず、念ずれば、叶うものが、何かあるはずだ。

【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/
登録2012/12/12 17:07:26  更新2012/12/12 17:15:51   

2012/12/11 先見塾(起業家育成塾)
「書」の楽しさと、難しさ。
「書」の楽しさと、難しさ。
◎2012年10月中旬〜現在書き殴った「遊びま書」

「書」の楽しさと、難しさ。
◎左から「直視」、「雪地蔵」、「モノトーン」(西田親生書)

 2012年は年末に掛けて、猛ダッシュで「書」に傾注しつつあるが、書き殴れば殴るほど・・・「書」の楽しさが増す一方、筆運びや表現がじわじわと難しくなることに苛まれている今日この頃である。

 王義之などの手本を横目に臨書に入り、直ぐに飽きてしまう自分が居る。元々、人様から手習いするのが苦手なタイプなので、自分の感性でどこまで近づけるかの検証をするのが面白いのである。

 流石に3500年の「書」の歴史は深く、その神髄を体感するには、筆者の余生では時間がなさ過ぎる。最初の筆の入りに集中し、頭の中は空っぽにして、自然体で臨む一枚の半紙。

 最近では、墨液と半紙、筆の相性が分かってきたので、意識的な強弱やかすれなどは容易に行える。しかし、無意識の中で偶然性がある方がずっと楽しいということで、無意識な中で、後は自分の筆先の運びを祈って書き殴っている。

 来春には、漠然としたテーマ「アナログとデジタルの特異点(仮称)」と題して、筆者の十八番であるデジタルと、現在挑戦しつつあるアナログの世界を、まだまだ構想の段階だが、来年予定している「個展」にて表現できればと・・・。

 現在、或る方から「ファンクラブ作ります!」とのご声援も頂いているので、先ずはロゼッタストーン国内外の特派員に、僭越ながら、筆者の「書」のファンクラブ開設のご相談をしようかと考えている次第。

「書」の楽しさと、難しさ。
◎剣聖 宮本武蔵をイメージした「剣」(西田親生書)

【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/
登録2012/12/11 14:15:40  更新2012/12/11 14:39:43   

2012/12/10 先見塾(起業家育成塾)
或る日突然変わったライフサイクル
或る日突然変わったライフサイクル
◎「落日」(西田親生書)

 人は、或る日突然、一瞬にしてライフサイクルが変わってしまうことがある。今の筆者の場合は、要介護老人の出現だ。

 元々、夜型の人間なので、午前2時、3時が毎日続こうとも全く影響なく、翌日の仕事をこなしていた。ところが、或る日、父から「目眩がして(たぶん瞬間的な失神の状態)、倒れた時に障子のガラスを割ってしまった。」と弱々しい言葉が電話で流れてきたのだった。

 筆者なりに現場検証と怪我の確認をしたところ、どうやって割ったのかは定かでないが、確かに本人が倒れてガラスを割ったことには間違いなく、怪我も全くなさそうなので、本人に今後の「要介護申請」について、腰を据えて話すことにした。

 本人の口からは「最近、歯や歯茎の調子が悪く、何でも食べられなくなったので・・・。」と、私の質問にちゃんと答えているようで、どうも「要介護」に対して逃げているような、濁した言葉だけが返ってきた。

 色々と考えた結果、翌日から本人の一日の内、二食分を筆者が作り、出来るだけ午前6時までには本人の自宅へ届けようと決断した次第。

 数日が経ち、本人からは「歯科医院へも行き、随分食べるようになったので、ふらふらはなくなった。」と、少々機嫌の良い言葉が返ってきた。

 しかし、翌日に父の自宅へ足を運ぶと、折角作っておいた「おじや」を半分以上捨てている。その上、先般、筆者が約束した通りに要介護申請を全く怠っていたのだった。

 何度も何度も要介護申請について説明をしていたにも関わらず、結局は、自分の都合の良いようにしか物事を捉えず、自分の生活だけが満足行けば良いという、単なる我が儘で身勝手な人生観なのかと、呆れかえってしまった。

 昔を思い起こせば、自分自身が転勤族であるという理由だけで、祖父の面倒を、祖父が他界するまで、当時新婚ほやほやの長男(故人)夫婦に押し付けていたのだった。

 その父が、今度は長男夫婦は自分の面倒を見てくれそうもないと思ったのか、二十数年前に私が建てた家の直ぐ傍に、黙って父は新しい家を建て、老後を筆者に託したのだろう。なるほど、そういう魂胆だったのかと、今頃になって気付く筆者もかなり鈍感である。

 如何に転勤族であったとしても、自分の父親(祖父)を連れ回しても構わないではないか。実家を長男に譲ったとしても、そこに祖父を預けて、いや預けるという感覚ではなく、家長制度が残る田舎特有の、実家を長男に譲ることは、何が何でも二世代、三世代、四世代・・・が同居することが自然の流れという、次世代の人間を無視した、いい加減な解釈の仕方だと考える次第。

 そこで自分は転勤族だから、離れて暮らすのは仕方ないという言い訳だが、祖父の面倒は家長制度として、既に三世代へバトンタッチしたぞという事になる。

 しかし、二十数年前に父は実家を捨て、新たに家を建て、そこを永住の地としてしまったのだ。・・・長男夫婦からすれば、長年祖父を預かり、そして毎日の食事などを世話をしたことが、父から何の感謝もないことに憤慨して、結局、父の老後は見たくないと考えるようになったに違いないのである。

 筆者が父の立場であれば、転勤族と言えども、父の職業柄・・・官舎はかなり広く、祖父が一緒に暮らしても全く支障がないので、実家に置き去りにするよりも、転勤先へ連れ回して行っただろうと考える。

 親子と言えども、これほどまでに思考回路や人生観が異なれば、終焉の時期を迎えるにあたり、とんでもない意識の格差と生活環境の違いが出てくるのである。

 更に、老人となれば、以前より増して、自己中心的な考えの下、日々我が儘三昧の連続だ。・・・筆者はどうしても祖父を置き去りにした結果が、今回の父へのしっぺ返しとなったのではないかと。更に更に、若くして長男が他界した為に、最終的なトラブルシューティングの役割を筆者がせざるを得ないことになったのである。・・・これが結論だ。

 人生の落日。筆者ならば、身勝手な人生の終わり方はしたくはない。要介護に自分の身が置かれる事になるくらいなら、さっさと自分の命を絶った方が、周囲に迷惑を掛けずに良いのかなと考える今日この頃である。・・・いやあ、人生・・・はじまりもも終わりも、実に難しいものだ。・・・昔の映画、チャールトン・ヘストン主演の「ソイレントグリーン」を想い出してしまった。

【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/
登録2012/12/10 20:39:15  更新2012/12/10 20:58:04