ロゼッタストーンBLOGニュース
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ロゼッタストーンのオフィシャルBLOGです。ロゼッタストーンは1995年に熊本県第一号として生まれた異業種交流ポータルサイトで、現在は、フランスのパリ、カナダ、東京、静岡、京都、兵庫、沖縄など、国内外の特派員が日々アグレッシブに情報を発信しています。

その他、ロゼッタストーンはメディア融合を軸として、2005年にPODCAST、2007年に仮想現実3Dワールド・セカンドライフ、2010年にD&L TV(USTREAM番組)、2011年に先見塾(起業家および女流戦略家育成塾)をスタートし、多元的な情報発信と人材育成に尽力しています。

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※文責:西田親生


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2012/08/16 先見塾(起業家育成塾)
人間関係・・・国民、庶民としての覚悟
人間関係・・・国民、庶民としての覚悟

 折角一回きりの人生であれば、周囲は素晴らしい方々との接点を多く持つことが最良の選択であり、悔いのない価値ある人生を平穏無事に送ることが出来るというもの。しかし、平穏無事な人生を送ろうと思っていても、一度社会に顔を出してしまうと、想定外の事柄が次から次への身に降り注いでくる。よって、今回、今の世の中が如何につまらぬものであり、歪んでいるかを考察してみたい。

 ・・・・

 ちまたでは、「国民!」や「庶民!」など、我々を愚弄するような言い回しが当然のように、日々マスコミの報道で流されてくる。・・・国会議員、キャリア、評論家らが高飛車にもの申しているが、とんでもない勘違い、履き違いであることに気付いていない。

 政治は金で買えるのか?政治は誰の為にあるのか?国を支える気構えがあるのか否か。毎日のように繰り広げられる、要人と言われる人たちの稚拙な発言の数々に、既に腹一杯となっている我々なのだ。

 我々庶民と同様に幼少期を過ごし、暫くすると、良き家柄死守のために、同族、世襲制を確保し、社会人となれば「差別は人に非ず!」と言いながら、我先に差別化の道を一目散にひた走っている。

 そもそも「主権在民」とは何ぞや。たまたま国家公務員上級職にパスしても、それは庶民、国民からの脱皮ではない。公僕としての国へのご奉公なのである。肩書きや権限を背負っていても、それが子々孫々まで受け継がれるものでもなく、肩書きや看板取れば、只の人。そこで、前述のとんでもない勘違い、履き違いが存在するとなると、贈収賄、横領、予算の無駄遣い、口利き、役得などの不正が横行するのは当然のことである。

 我々は、現代の要人と言われる人たちの無責任で稚拙極まりない発言を見逃してはならない。法治国家としての整合性の無さを徹底的に追及し、国家組織総入替をするくらいにやらねば、数十年後は世界水準最低ラインの国に成り下がってしまう可能性が強い。

 国に任せる、県に任せる、行政に依存する時代は、既に終わってしまった。私利私欲に走る人物の御輿を担ぐ必要はない。大義なき時代に、我々は1億3千万総決起して、よき時代の日本再興の為に邁進しなければならないが、その覚悟があるか否か、それが残された人生の大きな課題ではなかろうか。

【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/
登録2012/08/16 00:10:41  更新2012/08/16 04:40:56   

2012/08/15 先見塾(起業家育成塾)
人間関係・・・食事と所作
人間関係・・・食事と所作

 人の育ち、躾、癖、人格、カルチャーレベルなどを一瞬にして見抜くことができるものの一つに、何と意外にも食事というものがある。余りにも身近なものとして、気付かない人が多いのではないかと推察するが、食事は冷酷にもその人の全てを物語る。

 勿論、食事を伴にする場合、満面の笑みを対面に見ながら食すと、美味しい食事がもっと旨くなる。しかし、食事中の表情が微妙に違和感があったり、汚い食べ方、箸やナイフ&フォークの間違った使い方、極度の好き嫌い(アレルギー体質を除く)などを目の当たりにすると、折角の食事も不味くなりトーンダウンしてしまう。

 また、茶碗の持ち方ひとつにしても、その高台に手を添えることもなく、上から掴むような持ち方であれば、礼儀作法もさることながら見るに堪えない。更に、箸の持ち方や使い方も当然のマナーであるが、元々神聖な箸をぞんざいに扱ってしまうと、ベールに包まれていたその人なりの家庭環境、躾、常識など、自己申告で蓋をしていたものの綻びが一瞬にして露呈してしまう。

 里芋がどんなにつるつる滑ろうが、そこで箸先で突き刺してしまってはアウトだ。勿論、箸先を使って、小皿やその他の器をテーブルの上で移動させては、百年の恋も冷める事になる。・・・決して上流階級の晩餐会のように所作に気をつけよと言っている訳ではない。会食の時に、皆が心地良く食すことができる所作を身につけて貰いたいという事でなのである。

 箸先が滑って里芋や豆類が取れなければ、ウェイトレスやギャルソンにスプーンを頼めば良い。ナイフとフォークが上手く使えなければ、割り箸を頼めば良い。親子丼を上手く食べる事が出来なければ、木製のスプーンを頼めば良いだけの話である。

 ただ、食事は一瞬にして自分自身を見透かされるものだと言うことを、十二分に覚悟しておく必要がある。逆に、将来の良きパートナーとして見ている人が居れば、数回の食事で相手のレベルが良く分かる事になる。・・・食事と所作・・・日々気をつけておくべき重要なものなのだ。

【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/
登録2012/08/15 00:31:38  更新2012/08/15 00:31:38   

2012/08/14 先見塾(起業家育成塾)
人間関係・・・来る人、去る人。
人間関係・・・来る人、去る人。

 先見塾では、人間関係を上手く保つ為の重要なファクターの一つとして「距離感」について話すことがよくある。・・・それも、諄く話し続けているのが現状。

 「距離感」・・・冷静且つ適切な自己コントロールが必要とされるが、どうやって対外的な「距離感」というものを理解し、自分のスタンスをはっきりとさせ、軸をぶらさず摩擦のない人間関係を保てば良いのだろうか!?・・・これは、大変難しい問題である。

 先ず、「距離感」には近いものから、夫婦、親子、恋人、同級生や親しい友人、同僚、上司、部下、知人、他人と様々だ。オシドリ夫婦、仲の良い恋人であれば、その距離は極めて近く、人間関係が疎遠になればなるほど、互いの距離がじわじわと遠ざかって行く。

 しかし、「ゆるい関係」を肯定したがるSNSの世界では、その「距離感」を無視し、ある時は非礼な言動へ走ったり、見知らぬ異性に対してストーカーのように馴れ馴れしい態度で迫ったりと・・・FACE TO FACEにおける常識の尺度を逸脱するケースをよく見掛けるようになってきた。

 特に、脇の甘さへの自覚がない人たちは、そのSNS的な無茶な「距離感無視」の世界に入り込み、結果的に「あ、しまった。こんなはずじゃないけど、相手が勘違いして、馴れ馴れしく近寄ってくるようになった。妙な人と出くわしてしまった。・・・どうしよう!?」と、自分が呼び起こしたものへの悩みに直面している人も多い。

 よって、見知らぬ人の信憑性のない自己紹介やいい加減な履歴を書き込んだバーチャルな世界SNSに入り込み、時には「出会い系」だけを求めるが故に、本来存在すべき秩序の象徴たる「距離感」という分厚い壁を無視してしまい、無秩序、アナーキー状態で動いてしまうのである。

 躾、育ち、習慣、家庭環境、土地柄も全く異なる人たちが、唐突に近過ぎる「距離感」で接するようになると、最終的にどのような共通項を見出すのだろうかと、首を傾げてしまう。・・・どう逆立ちしても、先々はギクシャクしたものに辿り着くのが関の山ではなかろうか。

 言葉では何とでも言える。画面の向こうや電話先では、如何様にも美辞麗句を並び立てることなど簡単だ。それを鵜呑みにして、水平線、地平線の向こうに居るべき人物が、本音を語らずして、本性を見抜かずして、短期間にゼロに近い距離になれるはずがない。・・・それは、思い込み、勘違いでしか無いのだが、現代人にはその「距離感」の重要さが理解できない為に、日を追うごとに病的に・・・白昼夢のようにボロボロと思考回路が崩れて去っているのだ。

 このように「距離感」なきヒューマンコミュニケーション下では、風の如く人は舞い降り、そして滞在することもなく去って行く。「それはそれで良いじゃないか!」と言う人も居るだろう。また、「いや、デジタル症候群はお腹一杯だよ!」と言う人も居るに違いない。・・・しかし、SNSのメッセージでよく見掛けるのが以下のような決まり文句だ。「この御縁に感謝し、末永くお付き合い願います。」という礼儀正しそうに見える言葉(実は軽々しい言葉)も、枯れ葉の如く舞い散り、消え去って行くのは何故か・・・。

 あなたの周辺を見回し頂きたい。十数年以上、あなたを支えてくれている方々がどれだけいらっしゃるかを。・・・人は、枯れ葉の如く舞い散る人間と出会う機会が多ければ多いほど、人生において色んな悩みに直面したり、不慮の事故や事件に遭遇する。

 一過性のSNSはどうでも良いことだが、長い人生において、人の心を掻き乱すような人物との遭遇は極力避けなければならない。・・・来る者はフィルタリングを大前提にウェルカムとし、去る者は追わず・・・が賢明な生き方でありはしないか。

【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/
登録2012/08/14 00:05:31  更新2012/08/14 00:05:31