ロゼッタストーンBLOGニュース
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ロゼッタストーンのオフィシャルBLOGです。ロゼッタストーンは1995年に熊本県第一号として生まれた異業種交流ポータルサイトで、現在は、フランスのパリ、カナダ、東京、静岡、京都、兵庫、沖縄など、国内外の特派員が日々アグレッシブに情報を発信しています。

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※文責:西田親生


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2011/12/15 先見塾(起業家育成塾)
父が愛した女性とは・・・
父が愛した女性とは・・・

 母が他界して既に16年が過ぎた。享年66歳、12月7日が命日(17回忌)となる。

 ところで、先日ふと父親が愛した母がどのような女性だったのか考えてみる事にした。勿論、私には全く想像もできない事。・・・余り適切な言葉が浮かばないが、自分の人生を夫の為に全て使い果たしたという事ではなかろうか。

 例えば、夫婦で鶴屋百貨店に買い物に行って、父親が高級なコートやジャケットなどを購入するのを、自分の物を買ったかのように喜ぶ母。何ともまあお人が好いというか、欲が無いというか。そして、自分の物は、帽子が趣味だったようで、ちょくちょく服と合わせて買っていた程度であった。まあ、料理と食べる事がが大好きだったので、冷蔵庫には高級生ハムやソーセージなどは常備していたが、殆どは父の事だけを見て日々暮らしているようだった。

 元々、母の実家は戦前かなり資産家だったようだ。しかし、敗戦によりその頃の優雅な生活が一瞬にして消えてしまった。・・・私が新聞社時代に母の女学校時代の同級生(Oさん二人姉妹)と偶然に会う事になり、そこで話を聞くと「女学校の頃、女中さんが毎日出来立てほやほやの温かいお弁当を人力車でTちゃんに持って来てたんですよ。それを皆私たち姉妹や親しい友人の弁当と取り替えてたんですよ。」と、当時の母の事を涙ながらに話してくれた事を思い出す。

 検察に一生身を捧げて来た厳格な父親。よって、二〜三年毎に転勤となり、あちこち移動しなければならなかった。当時、母を旅行に連れて行く素振りもない父にかなり立腹した事があった。父曰く「転勤は大変だが、長期旅行と思えば楽しいものだ!」と、中学生の洟垂れ小僧だった私の苛立ちも一喝された。・・・秒殺だった。撃沈↓

 勿論、幼い頃から父へは尊敬の念はあったものの、実はこの母あっての父ではないかという気持ちの方が強かった。午前様で父が酔って帰ろうが、和服姿で起きて待っている母。突然の深夜の来客へも顔色一つ変えず、笑顔で接している母が不思議な人間に思えてならなかった。・・・典型的な大和撫子というか、純日本人女性というのが母だった。・・・来客が帰りが遅いと、隣の和室で帚に手ぬぐいを掛けて、何やらおまじないをしているのを見た事もあるが。(笑)

 ただ、病気でどんなに辛くても弱音を吐かず、じっと我慢の人であったようで、私が高熱であっても、学校を休む事だけは許さなかった。妙に厳しい所も見受けられた。しかし、この両親から一度も手を挙げられることはなかった。どうしようもなく悪ガキだった私が、一生叩かれなかったというのは奇跡だった。その分、祖父や祖母から押し入れに監禁される事、数百回。何となくバランスの取れた「厳しい躾」だったようだ。

 子供の目の前では一切喧嘩をしない両親。意見の相違などあっただろうけれども、いつも笑顔が絶えない母に、鋭い目つきの父親の目は、帰宅した後ニンマリとだらしのない腑抜け状態の三日月の垂れ目に変わっていた。これもまた、オフィシャルとプライベートの良いバランスであったような。今思い起こせば、父もまた人の子といった事で結論づけている次第。

 苦労しているのに苦労の色が見えない。悲しくて辛いのに笑顔で居られる・・・こんな母を父はどうフォローしていたのかも定かでないが、おしどり夫婦の片方が欠けると、悲惨なもの。現役を退き高齢(85歳)となり一人暮らしの父を見ると、最近では祖父、祖母の誕生日さえ忘れ去っている。勿論、私の誕生日さえあやふやだ。しかし、母の誕生日だけはしっかりと覚えているのである。「そんなに惚れていたのなら、もっと大事にしておけば良かったのに!」と心の中で叫んでみた。

 たぶん父親は、苦労をかけたまま若くして他界した母に、恩返しをしたいが出来ない自分を許してくれと、日々語りかけているのかも知れない。・・・私が居ない時を見計らって。

 ※上写真は私がお腹に居ない頃の母

【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/

登録2011/12/15 07:40:50  更新2011/12/15 16:25:03   

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