それから数年間は、ドイツの名門であるLEICAを4機種ほど揃え、2009年にはCANON EOS 5D MARK IIを購入し、国内の五つ星ホテルや高級レストランの料理の取材で大変活躍してくれた。動画もHDで撮影可能だったので、1台のカメラで、写真とビデオが一石二鳥。すこぶる便利なデジタルツールとして、私の仕事をアシストしてくれた。
CANON EOS 5D MARK IIは当時センセーションを巻き起こし、海外ではそれを使って短編映画も制作された。驚きの連続であったが、私なりに、PODCASTSやUSTREAM番組に積極的に活用していった。ちなみに、2110万画素というとんでもないクオリティは、当時比類無きものだった。
カメラは奥深く、何枚撮影しても納得が行かない。プロ写真家では無いので、行き当たりばったりの報道カメラマンのようなダイレクト撮影となってしまいがちなのだが、そろそろプロ級の撮影技術を身につけなくてはと、遅ればせながら反省している次第である。
そもそもデジカメを活用しはじめたのは、1996年のカシオだったと思う。僅か10万画素のデジカメが7万円以上もしていた。既に1995年にネット事業(ロゼッタストーンポータルサイト開設)を開始していたので、当時デジカメは必携だった。ネガフィルムを使っていたアナログカメラと比較すると、時間も労力も経費も掛からない。
しかし、現在は4〜5万円で1600万画素。そのクオリティは当時では、夢のまた夢。10万画素で何とか撮影したものを、パソコンに取り込み、それからバタバタとWEBにアップしていた事を思い出す。ちなみに、最初のデジカメ写真は阿蘇方面で採れた大きな椎茸を撮影したものだった。今思えば、10万画素の質感は、昭和20年代のアグファカラーフィルムをプリントしたような色合いだった。
それから、SONY製のフロッピーが記憶装置となっているデジカメを使い始め、その接写の素晴らしさには驚かされた。更に、デジカメは日々進化して行き、それに伴い、私も次から次へと、取材用のハンディデジカメを買いあさって行った。
しかし、どうしても一眼レフが欲しくなる。そうしている内に、1999年に世に登場した本格的な一眼レフ Nikon D1に巡り会った。当時、便利なマクロレンズまで入れると、80万円を超えてしまう。266万画素も大変魅力的だったので、足を運んだカメラコーナーで衝動買いをしてしまった。・・・それから、海外取材には、ずっしりと重いが、必ずLEICAと一緒に肩に掛けて走り回った。
それから数年間は、ドイツの名門であるLEICAを4機種ほど揃え、2009年にはCANON EOS 5D MARK IIを購入し、国内の五つ星ホテルや高級レストランの料理の取材で大変活躍してくれた。動画もHDで撮影可能だったので、1台のカメラで、写真とビデオが一石二鳥。すこぶる便利なデジタルツールとして、私の仕事をアシストしてくれた。
CANON EOS 5D MARK IIは当時センセーションを巻き起こし、海外ではそれを使って短編映画も制作された。驚きの連続であったが、私なりに、PODCASTSやUSTREAM番組に積極的に活用していった。ちなみに、2110万画素というとんでもないクオリティは、当時比類無きものだった。
そして、今年の3月22日にプロ仕様のデジカメが激しく動いた。それは、Nikon 800Dの発表である。圧巻の3600万画素、そしてフルHDの動画撮影もさることながら、標準で付いてくる28mmから300mmのレンズが魅力的である。ちょいとした取材では、交換レズが無くても、大抵の仕事はこなせることになる。流石Nikonだが、13年前に購入したNikon D1と筐体やシャッター音などを比べては、当時の事を思い出し・・・下手な写真を見ながら苦笑いしていた一日であった。
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