熊本に戻り、上司に企画書を提示すると・・・数日して役員会議で「トライアスロン in 奈良尾」について説明を願いたいと、内線が入って来たのである。・・・役員側としては、(1)他県でのイベントの可能性と長崎新聞社との調整について、(2)1回のみの開催は認めるが、その後は自重してもらいたい、(3)万が一、大会中に事故が生じた場合は、即中止を願いたい。・・・などの条件付きでは有るが、何とか役員の合意を得る事が出来た。(失敗したら首になりそうな雰囲気)・・・筆者がまだ30歳の青二才係長の頃である。
「トライアスロン in 奈良尾」というタイトル。若き頃の筆者が命名したものだが、現在も「第22回 トライアスロン in 上五島」と改称し、規模も拡大して22年も続いていると言う。・・・ちなみに、全国でも一番礼儀正しいカーボパーティー(炭水化物を中心とした料理を楽しむ前夜祭)であると噂になり、専門誌にも取り上げられるほどであった。
しかしながら・・・当時、一所懸命応援してくれた、笹田専務理事や野村議長(町議会議員を11期務めた方)も残念ながら今では故人となり、当時を思い起こす度に、お二人の笑顔だけが頭に浮かんで来る。嬉しくもあり悲しくもあり、寂しくもある。・・複雑な心境の筆者なのだが、今も尚、1年3ヶ月を費やして苦労して出来上がった島のメインイベント「トライアスロン in 上五島(前トライアスロン in 奈良尾)」の存在に対して、深く、深く感謝の意を表したい。
本日は小さなイベントの「成功事例」について紹介したい。
ちょうど25年前の或る日、熊本市内にある交通センターホテルの喫茶店に居た友人から突然電話が入った。長崎県南松浦郡奈良尾町(上五島最南端の町)観光協会の笹田専務理事が同ホテルに来ているという。町側からの相談事らしいので、良かったら来てもらいたいとの事だった。
過疎化が最悪の状態となっている島内において、若者が参加出来るような、何かインパクトのあるイベントを検討しているが、なかなか良いアイデアが湧かず、熊本の友人を頼って来たという。
話せば長くなるので、
・・・中略・・・
当時、トライアスロンが国内にじわじわと浸透しつつある頃だったので、開口一番「トライアスロン大会を企画しましょうか!?」と筆者が切り出すと、笹田さんの顔がパッと明るくなり、間髪を入れず「それ、お願い出来ますか!?」と・・・僅か30分で何となく決まってしまった。
それから始まった他県でのイベント企画。早速、新聞社オフィスに戻り、トライアスロンの歴史と国内での浸透の度合い調べ、一晩で企画書を書き上げた。・・・しかし、長崎には長崎新聞社もあり、越境してのイベント開催が果たして良いのか否かの判断が出来ず、筆者の心中は穏やかではなかった。
現地に足を運んだ事も無く、会社の経費を遣って出張願いを出せる訳でもない。よって、私費で奈良尾町へ足を運ぶ事にした。船酔いに悩み、2時間半のフェリーの中は、筆者にとって牢獄のような世界。島に着くや、げっそりと痩せ細った青白い顔していたように思う。(現在はジェットフォイルがあり問題ないが)
島の地形やその他周辺の町(上から、新魚目町、上五島町、有川町、若松町、奈良尾町の5町)などをつぶさに調査して、「若干起伏があり、アップダウンと曲がりくねった道のようで、自転車にはちょいと辛いコースだが、これだったら、風光明媚なリアス海岸沿いに、小規模なトライアスロンのコース設定は可能だ!」と確信して、熊本へ戻って行った。島内滞在中は、町長をはじめ、町議会議長、観光協会長、体育協会長ほか多くの町民の皆様から歓待を受け、一生分ほどの石鯛の皮焼き、名物のチャンポンなど、たらふく食させて頂いた。
熊本に戻り、上司に企画書を提示すると・・・数日して役員会議で「トライアスロン in 奈良尾」について説明を願いたいと、内線が入って来たのである。・・・役員側としては、(1)他県でのイベントの可能性と長崎新聞社との調整について、(2)1回のみの開催は認めるが、その後は自重してもらいたい、(3)万が一、大会中に事故が生じた場合は、即中止を願いたい。・・・などの条件付きでは有るが、何とか役員の合意を得る事が出来た。(失敗したら首になりそうな雰囲気)・・・筆者がまだ30歳の青二才係長の頃である。
一応、役員全員のゴーサインを得たので、そこから1年3ヶ月にわたり長崎県警、九州管区警察、海上保安庁、消防署など・・・ありとあらゆる処へ文書を流し、長崎や熊本のトライアスリートたちの強力なアシストを得ながら、交渉事で東奔西走の毎日を送っていた。
7回目の奈良尾入りで、最後の調整会議に入った。・・・しかし、観光協会長の顔が何故か険しかった。唐突に同協会長曰く「今まで皆さんのご支援やご努力によりここまで参りましたが、はやり危険が伴い、これから十分な告知や準備ができないという事で、今回のトライアスロン大会を見送ろうかと思います。」と!
間髪を入れず机を叩いて立ち上がり、観光協会長を睨みつけて怒鳴り始めた筆者であった。「何を今更止めるとは、けしからん!何を言っているんだ、あなたは!」(若気の至り^^)と。・・・その時、後ろから長崎のトライアスリートの代表者たちが筆者に静止を求めてきた。「西田さんは熊本の方ですが、個人的にリスクを背負ってここまで進めて来られました。西田さんの代わりに私たち長崎人がもの申します。」と・・・。
数十分すったもんだがあった末に、最終的に観光協会長も我々の熱意に押され、大会を開催する方向で進めると頷いてくれた。
翌日、町長専用車など公用車数台が役場前に待機していた。・・・さてさて、最後のコース確認と危険個所のチェックだ。・・・パトカー先導で数台の車が数珠繋がりになり、徐行しながら全員が入念なチェックを入れて行く。・・・最終チェックが終了し、町長以下皆笑顔で会食となり、その年の6月上旬に第1回大会を開催する事で合意した。
話は前後するが、この奈良尾町に何故トライアスロンを持ち込んだのか!?・・・島内の厳しい過疎化問題(高校を卒業すると98%学生は島外へ出る)と、従来のイベント経費と費用対効果問題解消の為の新イベント誘致大作戦であったのだ。
若者が興味を持ち、また若者が島外から来るようなスポーツイベントが最適だろうという筆者なりの安直な判断であった。正直なところ、島に立ち寄った人たちが、島の大自然を楽しみ、将来的な観光振興に繋がらないかという目論みもあった。
「トライアスロン in 奈良尾」というタイトル。若き頃の筆者が命名したものだが、現在も「第22回 トライアスロン in 上五島」と改称し、規模も拡大して22年も続いていると言う。・・・ちなみに、全国でも一番礼儀正しいカーボパーティー(炭水化物を中心とした料理を楽しむ前夜祭)であると噂になり、専門誌にも取り上げられるほどであった。
しかしながら・・・当時、一所懸命応援してくれた、笹田専務理事や野村議長(町議会議員を11期務めた方)も残念ながら今では故人となり、当時を思い起こす度に、お二人の笑顔だけが頭に浮かんで来る。嬉しくもあり悲しくもあり、寂しくもある。・・複雑な心境の筆者なのだが、今も尚、1年3ヶ月を費やして苦労して出来上がった島のメインイベント「トライアスロン in 上五島(前トライアスロン in 奈良尾)」の存在に対して、深く、深く感謝の意を表したい。
何時の日か、故人の方々の墓参りの為に、再び奈良尾の地に足を運びたいと思っている次第。
※上写真はイメージ画像
【先見塾公式サイト】
http://www.senkenjyuku.com/
【トライアスロン in 上五島公式サイト】
http://www3.ocn.ne.jp/~triath/