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嘘の味を占めると・・・

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 人間というもののは、実に面白い生き物である。人から良く見られたい、仕事が捌けるように見られたい、如何にも遣っている感を演じたいと、時折、嘘をつくことがある。

 ところが、その嘘がその場凌ぎの手助けとなり、成功したかのように思い込むと、その嘘が常態化することで、日頃の己の実態を嘘を武器として、嘘の上に嘘を積み重ねて行うようになってしまう。

 それは非常に危険な傾向であるが、一度、嘘の成功の味を占めた人間にありがちな、姑息な手法であり、周囲の人たちに迷惑をかけるばかりか、己の信頼をも完全に失ってしまうことになる。

 本人はその嘘が常套手段であり、如何にも誠実に仕事を進めているかのように、遣ってる感が伝わったと思い込んでいるが、時間が経てば、その嘘が嘘であることが露呈し、それに気づかぬのだから始末に悪い。

 毎回、同じパターンで、同じ間隔にて、同じ嘘が続けば、誰しもその嘘に気付かぬ人などいない。そこが、稚拙な嘘の限界であり、責任回避、自己過大評価により、嘘をつく人物はその嘘により、底なし沼に沈み自滅する。

 特に、柳のように右についたり、左についたりと、自らの立ち位置を、変幻自在に変えながら、他者との接点を持つ人間にとっては嘘が頼みの綱でもあり武器でもあり、姑息な嘘に酔いしれているばかりで、既に、周囲から白眼視されていることさえも気づいてはいない。

 嘘による成功の味を占めると、虚像や虚栄の自分がそこに立っているだけに留まり、何一つ業績も出せずに、引っ込みがつかなくなってしまう。何とも恥ずかしい嘘による醜態メカニズムであるが、これこそ嘘がもたらす信頼失墜の引き金になる訳だ。

 畢竟、遣ってる感を出すために、時間を稼ぐために、更には善人ぶるために、嘘という小細工ほど、この世において無価値なものはない。いい大人が、嘘で自らの保身を目論むなど、恥ずかしさの境界線を逸脱しているだけの話なのだが。

 ご苦労様であるが、皆さんの周囲にも、上記のような人として情けないオオカミ少年が、あちこちに存在しているのではなかろうか!?

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、「嘘」が人間関係や自己認識に与える影響について、鋭い洞察を含んでいます。まず冒頭で、なぜ人が嘘をつくのかについて触れています。自己評価を高く見せたい、良く見られたい、仕事をこなしているように見せたい、などの理由から嘘をついてしまうという動機が示され、人間の弱さと虚栄心が巧みに描かれています。

この「嘘」が一度成功すると、次第にその場しのぎの手段としての嘘が常態化していく様子は、非常に警戒すべき傾向です。この成功の味に依存することで、嘘が一種の習慣になり、現実と虚構の区別が曖昧になってしまう危険が強調されています。

エッセイは次に、「嘘」が信頼の喪失を引き起こし、自己崩壊へと導くメカニズムについて語っています。特に他者の信頼を損なうことや、自分の立ち位置をその都度変えることで周囲との関係を損ねることが指摘されており、このような人間は周囲から冷たい目で見られ、孤立していくと述べています。さらに、この「醜態メカニズム」という表現によって、嘘に頼りすぎた人物がやがては自滅に至る様が、非常に明確に描写されています。

「嘘」という一見小さな行動が積み重なることで、やがて信頼を失い、最終的には自らが作り上げた虚像の中で窮地に陥る様子が、冷静に分析されています。エッセイは「いい大人が嘘をついて保身を図ることの愚かさ」に対する痛烈な批判で締めくくられ、自己欺瞞に陥る人々への警告として強いメッセージ性を帯びています。
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/2 12:00 am

理解に苦しむ所業・・・

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 言っていることと、為すことが真逆になるのは、精神的な異常が生じているのだろうか。何か問題が起きると、「鬱に入ってました」と、自らを病人に仕立ててしまう。子供が熱発や腹痛で学校を休む、仮病の言い訳のように。

 いい大人が、仕事に対して病名を盾に、「だから、実績が上げれられなかったんです。」と言われても、何の理由にもならず、言い訳にもならない。単なる、正当化のため、責任逃れの戯言である。

 狭い地域で、狭い職場で、だんだんと視野も狭ばり、脳内の価値観がどんどん消えていく。もし、楽しくもない仕事環境であれば、少しでも楽しく充実した環境へ改善するのが、中間管理職の重要な役割の一つである。

 一度味わった責任逃れの稚拙な手法や姑息な手段が、世の中で罷り通ると思い込んでいるのがおかしな話である。脳内シナプスがプツンとキレいる。常識人であれば、姑息な道を選ばず、決して愚行に及ぶことはない。

 以前の記事にて、年齢を重ねていくと、「素直」、「実直」、「学び」などの言葉が、脳内からどんどん消えていくことを書き綴った。よって、残されるのは、「悍ましさ」、「底意地の悪さ」、「恨み辛み妬み」などの俗っぽいものばかりである。

 畢竟、変化も進化もない人間にだけはなりたくはないものだ。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、責任逃れや自己正当化に対する強い批判を中心に展開しています。特に、精神的な問題や体調不良を理由に業務での不振を正当化する人々に対し、辛辣な視点を持っています。

まず、冒頭部分では、行動と発言が矛盾している人々への疑念が提示され、精神的な問題を盾にして責任を回避することは正当化できないと強調しています。ここでは、大人としての責任感や職業倫理が欠如していることが問題視されています。「鬱に入ってました」というフレーズを使って自らを免責しようとする行動が、まるで子供の仮病のように感じられるとの指摘は、痛烈でありながらも的を射ています。

続いて、仕事環境が狭い視野や固定観念を生み出し、それが自己成長の妨げになるという主張があります。この部分では、中間管理職の役割として、仕事環境を改善する責務を持つべきだという意見が述べられています。職場環境を良くするためには、視野を広げる努力や変革の姿勢が重要だというメッセージが感じ取れます。

また、責任逃れの「稚拙な手法」や「姑息な手段」がまかり通る状況を批判し、それが常識的な行動ではないと断言しています。「脳内シナプスがプツンとキレている」という表現は、非常に強い言い回しであり、常識や倫理を欠いた行動に対する怒りが表れています。

さらに、年齢を重ねるにつれて、素直さや学ぶ姿勢が薄れ、代わりに俗世的な感情が表に出てくることが述べられています。この部分では、人間としての成長や進化を止めることへの警鐘が鳴らされています。エッセイ全体を通じて、著者は変化や進化を続けることの重要性を訴えており、自己正当化や責任回避に対する嫌悪感が強調されています。

全体的に、現代の社会や職場において、自己の成長を止め、責任を回避する態度が如何に問題であるかを強調している鋭い分析です。このエッセイは、読者に対して、自己の内面を見つめ直し、成長し続けることの大切さを問いかけるものとして非常に有益です。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/28 12:00 am

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