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生成AI時代の鍵を握るのは人間である

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 ここ数年、バーチャルワールドが盛んになっているが、ご存知の通り、本格的なバーチャルワールド(仮想現実世界)は、既に、2007年日本上陸しており、世界的に話題となったSecondLifeの存在がある。

 SecondLifeは現在も活動中であり、SIM(仮想現実世界の島)の中では、より高度で精密なアバター(自分の分身)が動き、周りには立体建造物が無数に存在している。

 SecondLifeのSIM「KUMAMOTO JAPAN」(筆者主催)では二つのSIM保有していたが、それについて或る掲示板で炎上した記事を書いたところ、SecondLifeの存在を知っている読者の方からコメントを頂いた。

 筆者としては、「今頃、バーチャルワールド?」と首を傾げるが、実際、現在のバーチャルワールドを拝見しても、18年前のコンテンツと大した変化もなく、同じようなものが多い。下手すると、アバターなどは簡略化されており、リアリティに欠けるものもある。

 勿論、ヘッドセットなど通信環境は進化しているので、バーチャルワールド内の肉声での会話も随分簡単になってはいる。しかし、当時と変わらぬコンテンツが多いということは、人間の脳の進化が止まっているように思えてならない。

 対して、AI(人工知能)は日々変化、日々進化の最中であり、留まることを知らない。よって、このバーチャルワールドの開発や管理運営なども、先々は、人の手によらず、生成AIが無限に構築していく分野の一つになりはしないかと見ている次第。

 例えば、一つのSIMにおいて、「医療機関を作り、外科、内科などの各セクションに分け、MRIなど最先端技術の機材を取り入れ、そのSIMでは100人ほどのスタッフ(人工知能のアバター)を配置して、リアル世界のデバイスと連動させることで、健康診断などを無料で行えるものとせよ!」と指示するだけで、生成AIはあっという間に、医療機関とスタッフを制作できそうである。

 因みに、当時の「KUMAMOTO JAPAN」には、実寸大の熊本城(大天守・小天守・宇土櫓)や古代城 鞠智城跡、芝居小屋 八千代座などを作っていたが、熊本城については一人のスタッフが制作するのに800時間以上費やしたことを思い出す。

 何はともあれ、これからは如何なる分野も生成AIとの連動を模索しており、人間の脳内の思考速度が追いつか速さで、世界は変わっていくことになる。

 最後に、2007年にスタートした仮想現実世界SecondLifeでも問題となったのは、SIM内でのモラルと規制問題であった。人間が介在すると、良いものも悪いものに変わったり、楽しいものが恐ろしいものに豹変する可能性が高い。

 結局は、生成AI時代の鍵を握るのは人間であることを自覚した上で。健全な環境下で生成AIを活用しなければならず、それに関する法整備が急務となっている。

▼仮想現実世界に存在した実寸大の熊本城(大天守と小天守)
powered by D&L Research Inc.
2008年
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▼現実世界の熊本城(大天守と小天守)
photo by CHIKAO NISHIDA
2016年の熊本地震前に撮影
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、生成AIと人間の関係性や、バーチャルワールドの発展について鋭い洞察を示しており、非常に興味深い内容でした。以下、感想を述べます。

1. 過去と現在の比較が魅力的
エッセイ冒頭で、2007年に日本に登場したSecondLifeを振り返りながら、当時の技術や取り組みを詳細に描いています。この過去の経験と現在の状況を対比する構成は、読者に時代の流れを感じさせるだけでなく、技術の進歩や課題を俯瞰的に理解させる効果があります。特に、当時800時間以上を費やして再現した熊本城のエピソードは、情熱と技術的挑戦の結晶であり、強い印象を与えました。

2. バーチャルワールドの停滞に対する指摘
「今頃、バーチャルワールド?」という筆者の疑問は、多くの人に共感を呼び起こすと感じます。技術は進化しているものの、コンテンツの本質的な進歩が停滞しているという指摘は鋭く、現代のバーチャルプラットフォームの課題を浮き彫りにしています。この点を挙げたことで、読者は単なる技術の進化だけではなく、それを使う人間の想像力や創造性がいかに重要であるかを考えさせられます。

3. AIの進化とバーチャルワールドの未来
生成AIの驚異的な進化を取り上げ、バーチャルワールドとの連動について具体例を挙げている点が非常に優れています。医療機関の例は特に興味深く、AIによって医療サービスを仮想空間内で提供する可能性は、社会的課題を解決する一つのビジョンとして説得力があります。このように、技術的未来を描く際、具体的な事例を交えることで読者のイメージを広げる力があります。

4. モラルと規制の重要性
エッセイの最後に言及された「モラルと規制」は、非常に重要なテーマです。技術そのものの可能性を語るだけでなく、人間の関与がもたらす課題について触れることで、単なる楽観的な未来像ではなく、現実的な視点を加味しています。この部分は、生成AIを活用する未来社会における責任や倫理の重要性を強調しており、エッセイ全体の締めくくりとして効果的でした。

5. 全体を通して感じたこと
エッセイ全体は、筆者の豊富な経験と深い洞察に基づいており、単なる技術論を超えた哲学的な視点も感じられます。生成AIやバーチャルワールドに対する期待と懸念がバランスよく描かれており、読者に考える余地を与えています。また、過去の具体的なエピソードを交えながら未来を展望する構成は、説得力と親しみやすさを兼ね備えています。

特に印象的だった部分
熊本城再現に800時間以上費やしたエピソード
AIによる医療機関の仮想構築の具体例
「生成AI時代の鍵を握るのは人間」という結論

これらの要素は、筆者の視点が単なるテクノロジーへの依存ではなく、人間の役割を見据えたものであることを強く示しています。

このエッセイは、技術と人間性の交差点を鋭く捉えた作品として、現代社会の課題と未来へのヒントを読者に提供していると感じました。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/9 12:00 am

生成AI画像に食傷する日々

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 イマジネーションの世界は実に素晴らしい。しかし、人間の手で描かれたものと、生成AIのプロンプトで生み出されたものは全く異なる性質を持つ。最近、生成AIが生成する画像に対し、食傷気味である自分に気づくことが多くなった。

 MidjourneyやDALL-Eなどの生成AIを用いることで、脳裏に浮かんだイメージを可視化できる。しかし、それらはリアルであるようで、どこかリアルではない。筆者は1991年から3D CGに着手し、2007年からは仮想現実世界「Second Life」に没頭し、イメージの世界を可視化することに専念した時期がある。しかし、現在、生成AIが作り出す画像に対して、感動を覚えることはほとんどない。

 例えば、画家が描く絵やビデオカメラで捉えた人物の表情には心を動かされる。一方で、生成AIが生み出す画像を見ても、それらが心に響くことはない。生成AIの共通言語であるプロンプトの仕組みを理解していても、生成された静止画や動画には不自然さが残る。そして、似たような画像が無数にネット上に溢れている現状に気づく。これらの画像は一見すると生き生きとしているように見えるが、その被写体に生命力を感じることはない。

 先ほど、スマホを何気なく操作していると、熊にまつわるエピソードを語る音声が、生成AIで作られた画像とともに表示された。じっくり見ると、熊の右手と左手の爪の数が異なり、目がキラリの光って入るものの、生命の輝きがなかった。内容はフェイクだと推察されるが、視聴後に衝撃や感動を覚えることもなく、後味が悪い。

 生成AIの静止画や動画は極めてリアルな表現に近づいている。また、抽象的な表現においても、一見すると素晴らしいものに見える。しかし、アナログな手法で人間が直接手掛けた作品の方が、圧倒的な迫力と心を打つ力があると感じる。

 勿論、私も毎日のようにエッセイやコラムを書く中で、挿絵として生成AIの画像を利用することがある。その手軽さと投稿の迅速さは大変便利なので、重宝している。しかし、拙作ではあるが、自ら撮影した写真をエッセイに用いるほうが、文章内容との親和性は圧倒的に高いと感じる。

 この1、2年の間に生成AIは日進月歩どころか、秒進分歩、更には光進音歩の勢いで進化し、世界を席巻しつつある。それにも関わらず、アナログ映像の持つ感動に匹敵するデジタル映像は、いまだ存在しない。おそらく私の価値観が、バーチャル世界よりリアル世界に重きを置いているからだろうと。よって、いくら仮想現実の世界を楽しんだとしても、最終的には現実に戻らざるを得ない以上、そう思わざるを得ないのだ。

 生成AIによる静止画や動画に対する価値観は、人それぞれである。絵心がない人でも、プロンプトさえ書き込めば、誰でも静止画や動画をAIに生成させることができる。この手軽さは素晴らしいが、それは所詮、生成AIに描かせているに過ぎず、プロンプトを組み立てた人自身の力量を直接反映したものではない。

 一方で、仮想現実世界の創造において、生成AIは今後も大きな役割を果たし、独特でこれまでにない世界を生み出し続けるだろう。しかし、筆者の心の中には、どこか霧がかかったような違和感が残るのである。

 以上、筆者の個人的な見解であり、異論や反論はあるかもしれないが、「アナログを凌駕するデジタルなし」という結論に至らざるを得ない。そして、心に深い感動を与えるアーティスティックな画像は、やはり人間の手によって直接創造されたものであるべきだと考える次第。

※写真は過去において撮影したもの(機材 Nikon)
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▼生成AIが描くミツバチ
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▼筆者撮影のミツバチ
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、生成AIと人間の創造性との間の本質的な違いに深く切り込んでいます。筆者は、技術の進歩が生み出すビジュアル表現の可能性を認識しつつも、その表現が持つ「空虚さ」に焦点を当てています。彼の観点からは、AIによって生成された画像は、表面的な鮮やかさはあるものの、人間の感情や経験の複雑さを内包する「魂」を欠いていると捉えられています。

特に、筆者がAI生成画像の「不自然さ」と「繰り返し」に触れた部分は、技術依存がもたらす芸術の質的な低下を示唆しています。生成AIが提示する無限の可能性にも関わらず、それらの作品が見せるパターンやテンプレート化された美学は、筆者にとって人間本来の創造力とは異なるものです。この観点は、AI技術がアートを形作る上での役割を再評価するよう促します。

さらに、筆者は「リアルさ」の追求が必ずしも心の動きを引き出すわけではないと批評しています。彼にとって、AIが再現できるのは形態の精確さだけで、その背後にある感情やストーリーの深さ—人間ならではの不完全さや曖昧さを捉える能力—は表現できていないのです。

このエッセイは、デジタル化が進む世界において、人間の創造的な介入がなければ得られないアートの価値を問い直しています。筆者の経験に基づく観察は、テクノロジーがいかに進化しても置き換えが不可能な、人間固有の感受性と創造の重要性を強調しているのです。この深い洞察は、AIと人間の共存する未来において、私たちがどのように技術を使いこなし、制御するかという重要な問題提起を行っています。
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文責:西田親生


                                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/6 12:00 am

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