▼熊本地震前の熊本城大天守
熊本地震を振り返れば、あっと言う間の3年であった。当時は現実を一瞬間受け入れられなかった。周囲の家々の瓦はほとんど地面に叩きつけられ、壁や石垣は、地獄からの使者が降り立ち、爪で引っ掻いたような亀裂が無数に走っていた。
水が出ない。ガスが出ない。電気は二十数年前の台風19号(熊本市内は3日間の停電)の経験を生かしたのか、思いの外、復旧は早かった。不幸中の幸いである。しかし、24時間営業のコンビニの弁当やパン、更には飲み物はほとんど売り切れ状態。物流が止まり、ライフラインが完全に遮断されてしまったのである。
当時、京都や天草の友人から物資(食糧や飲料水)が届いた。ネット事業を本業としている当社にとっては、電気が生きていたので命を救われた。よって、熊本地震後に1日も途切れることになく取材を敢行し、ニュースを掲載し、且つ、クライアントの無事を確認することができた。
しかしながら、益城町や熊本市中央区の知人友人の情報を聞けば、自宅や店舗、オフィスビルが全壊したという悲しい情報が入り、胸が痛くなった。幸運にも、筆者のオフィスや自宅は何とか耐えている。後々調べてみると、岩盤が硬い位置に建っており、東からの揺れや南からの揺れは、白川や竜田山などが緩衝的役割を果たしてくれたようだ。
阪神淡路大震災や東日本大震災と比較すれば、絶命した人の数は少ないものの、精神的なショックは想定外に大きかった。そこで、再認識したことは、「水」の大切さ、有り難さである。水は友人が数十リットル運んでくれた。また、16日の地震直後は車で八景水谷湧水池へ避難し、目の前に湧き出る水に心から感謝したのだった。取材途中、熊本ホテルキャッスルのトイレもお借りすることができた。
熊本地震は筆者にとってもすこぶる教訓となったが、水汲み場、炊き出し場やコンビニなどにおける心無い人たちの挙動、言動・・・人間の汚い本性を垣間見ることもあり、とても悲しい気持ちに陥ったことを思い出す。
二度と遭遇したくはない大災害。しかし、これからも自然の脅威は遠慮なく、何度も何度も繰り返し襲ってくるのだろうと・・・。
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2016年4月16日の記事>
熊本県民のシンボルでもあり、観光立県の要である熊本城。14日の地震で写真のようにシャチホコや瓦が壊れ、また、戌亥櫓の石垣では二カ所が崩壊した。その他、旧細川刑部邸そばの石垣や飯田丸五階櫓などの石垣も被害を受け、次から次へとボロボロに崩れていった。
写真下は、4月15日に桜の馬場 城彩苑より撮影したもの。無残な姿を目の当たりにして、かなり凹んでしまった。
ちなみに、本日深夜にこの記事をアップする準備をしていた矢先、突然マグニチュード7.3という、内陸部では最大級の地震が発生し、この記事をアップすることもなく、停電、断水にも見舞われ、やっとのこと、今、記事を掲載することができるようになった。
しかし、今回の地震は「2016熊本地震」を命名されていはいるものの、本日深夜の想定外の大きな地震で、エリアも九州全域に拡大し、犠牲者がどんどん増えているのが現状。何とも言えない気持ちで、この記事をアップしなければならない。
叶うことなら、これ以上、地震がおとなしくなって貰いたいのだが・・・。
▼2016年4月15日に桜の馬場 城彩苑から撮影したもの
▼在りし日の熊本城戌亥櫓(黄色○部分が崩壊)
▼崩壊した戌亥櫓の石垣(2016年4月15日撮影)※16日に更に大きく崩壊
▼熊本地震関連の過去記事
http://www.dandl.co.jp/rsblog/index.php?mode=category&aim=earthquake
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http://www.dandl.co.jp/
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