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『人の心は、変わる。』・・・仕方のないことだが、寂しいものがある!

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 数年前に、『人の心は、変わる。』の同時体験をしたことがあった。

 それは、とても良好なリレーションシップを持っていた人との関わりで、或る日突然、人格が変わったかのような言動に見舞われたのだ。

 一つは、或る食事処の話であるが、電話で「以前は近くにオフィスがあったから来て貰っていたんでしょ!?これまで、どれだけ協力してきたと思っているんですか!?」と、声を震わせながら感情的に語り始めたが、面食らってしまった。

 この電話が最後に、残念ながら「絶縁」となる。何が気に入らないのか理解不能だが、それまでは、その店の知名度を上げるために、過剰に取材をしていたこともあった。段々と料理が旨くなり、常連客も定着してきた矢先の話で、納得行くようなものではなかった。

 また、一つは、契約についての話で、その店主が「契約以上の優遇を受けてばかりいると、気になって、気になって。肩身の狭い思いをするのが嫌なんですよ。」と。長きに亘りお付き合いをしていた方だが、想定外の話に腰を抜かした。

 お二人とも、すこぶる善い人たちであり、真面目に仕事を捌くプロフェッショナルだが、同じ時期に、意表を突くような言葉が飛び交ったので、何が原因なのか考えてみることにした。

 筆者は、人格重視でお付き合いを始めるか否かを判断するので、その判断した時点から、相手に対する心は一切ブレることなく、善きリレーションシップを維持する。しかし、お二人のブチ切れに近い反応に釈然としないものがあることは否めない。

 ここ数年を振り返れば、2016年の熊本地震、2019年のコロナ初感染からコロナ禍を通じて、特に、熊本においては、開放感のない重苦しい時期が続きていることになる。

 よって、私見ながらも、「地震鬱」、「コロナ鬱」のような症状が出るのではないかと考えたのであった。

 前者も後者も、地震やコロナにより、営業困難になった時期もあったので、経営者として考えてみれば、想定外のことが次から次へと発生することにより、疲労困憊であったのだろうか。筆者も、疲弊した心を何とか奮い立たせるために必死になってきたが、皆、同じ環境下であった。

 しかし、これまで十数年もの長きに亘り、苦楽を共有してきた人たちが『豹変』するようでは、日頃からの筆者の考え方、接し方、距離感に問題があったのかと自問自答するばかりであった。

 前者の畳み掛けた言葉が印象的だった。それは「お客も色々変わるし、人との付き合いはコロコロ変わって行くじゃないですか!だから、付き合いがなくなっても仕方ないですよ!」と、すこぶる投げ遣りな言い方であった。

 いやいや、良好なる関係であれば、可能な限り苦楽を共有をした方が賢明であると考えるのだが、コロコロ変わるのを是認するのは、サービス業としては如何なものかと思ってしまう。

 後者は、多分に持病もあり体調万全ではなく、それもあって、イライラが募り、『肩身の狭い思い』に固執して、逆ギレしたのだろうと。実に勿体無い話である。互いに『信用』を得るには何十年も掛かるが、『絶縁』により一瞬にして消えてしまう。

 筆者は、『初志貫徹』と『有言実行』という言葉を好むので、良好な関係を維持することが心地良くもあり、それが人と人との理想的な接点ではないかと考える。よって、『心変わり』には無縁である。勿論、虚言や欺罔に遭遇すれば別問題であるが。

 それぞれに人間は『価値観』が異なる。それぞれに『自由意思』にて生きているのだから、互いの『価値観』の完全共有は無理な話。『集合のベン図』のように、重なり合う範囲が広ければ広いほど、良好なリレーションシップと言える訳だ。

 しかし、筆者なりの体験談で申し訳ないけれども、想定外に、『人の心は、変わる。』のである。白か黒かはっきりしている正直者ほど、極端に変わる場合もある。筆者のように強情者は『初志貫徹』にて心の軸は変わることはないが、グレーゾーンの人は心を変えようがそのまま維持しようが全く問題ないようだ。

 記憶力の良い人は、特に、相手の『豹変』、すなわち『心変わり』に仰天するに違いない。まあ、自分自身や人の幼少期から思春期、青年期、壮年期、熟年期、老年期を観察をしていると、確かに人格が変わってしまう人の方が圧倒的に多い。

 時折、善き思い出である、あの頃を思い出してフワフワしていると、「昔のことだろ!過去を振り返っても意味がない!」と強烈に否定する人もいる。仰る通り現在と未来が大切だろうけれども、人生の記憶を刻むことも大切ではないかと、筆者なりに考えている。

 『人の心は、変わる。』がポジティブに変われば、それは『進化』であり、すこぶる素晴らしいことである。

 しかし、ネガティブに変わってしまうと、「あんなに素敵だった人が、風貌も怪しく、こんなに意地汚くなるのか!?」と愕然としたくはないものだ。

 少なからずとも、周囲の知人友人のネガティブな『豹変』だけは見たくもない。

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文責:西田親生

                   

  • posted by Chikao Nishida at 2022/11/29 12:00 am

グローバル感覚を磨くということ

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これからの時代、パソコンや主要アプリの習熟は当然のこととなる。小生がネットに着手したのは1994年、そしてポータルサイトを構築したのが1995年8月22日であった。

それから四半世紀以上が過ぎ、2000年を起点にデジタルが世界を席巻してきた。しかし、その流れに追いつけない人がいまだに数多く存在することも否めない。

理由の一つは、「仕事にそこまでパソコンは必要ない」「使うとしてもワードとエクセル程度で十分だ」と思い込んでいるからである。それはそれで構わない。だが現実には、時代はAI(人工知能)の時代に突入し、小学生からプログラミングを学ぶのが当たり前になりつつある。時代はまさに、秒進分歩の勢いで急変している。

一方で、「スマホに自動翻訳があるから英語は不要」「ネットで調べれば百科事典のように何でも分かる」「企画書や契約書も雛形をダウンロードすれば簡単だ」と言う人がいる。確かに便利ではあるが、それを言い訳にして自らの頭を使わず、すべてをデジタルに依存しているようでは、スキルアップは望めない。脳みそを使わずして、プロフェッショナルな仕事などできるはずがない。これこそ視野狭窄の最たる例である。

小生は学生時代、勉強嫌いの典型であった。だが新聞社に入社した頃から、自らにいくつかの課題を課した。

パソコンのエキスパートになる
英語を独学で習得し、ネイティブのように話せるようになる
手書き文字を人並み以上に上達させる
国際儀礼を学ぶ
業務に必要な法律を習得する
ホテル文化と食文化(食育を含む)を徹底して学ぶ


特に、田舎・熊本で社会人としてスタートした身としては、ローカルスタンダードに染まらず、常にグローバルスタンダードを身につけることに専念した。国内外どこに行っても堂々と振る舞えるよう、徹底して自らを鍛えたのである。

その結果、帝国ホテルで食事をしようが、ザ・リッツ・カールトンへ取材に行こうが、海外取材に赴こうが、物怖じすることは一度もなかった。もし入社当時にこうした課題を自らに課さなければ、異次元の環境に放り込まれた時、萎縮して何もできなかったに違いない。

そもそも日本人は、一つの技術を習得すると「プロフェッショナル」と呼びたがる。しかし海外では感覚が異なる。イギリスのプロゴルファーが辣腕弁護士でもあったり、アメフト選手がメジャーのプロゴルファーに転身したりと、彼らは多種多様な挑戦を続けている。

生涯をかけて一つの道を極める人生観は立派だ。だが同時に、なぜ狭い世界に留まろうとするのか、不思議に思えてならない。世界は広く、職業も環境も千差万別である。視点を変えて挑戦すれば、自分でも気づかぬ能力が開花するのではないか。
人生は一度きりである。

josui-chikao


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文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/11/28 12:00 am

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