ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

タグ » 責任転嫁

とんでもない勘違い・・・

20250709chisetsu-2


 何年も実績が出ない社外の人間が数人いる。

 彼らに共通しているのは、自ら「躾や教養がない」、「学歴が低い」、「まともな社会人教育を受けていない」などにより、実績が出ないと判断していることである。そこで総合的な「人間学」を学ぶことで改善を図りたいと言う。

 総合的な「人間学」を一朝一夕に学ぶことが可能だと考えるところが、先ず、稚拙な点である。そんなに簡単に「人間学」を習得できるのであれば、万人が翌日から一気に「捌ける社会人」になれるはずだが、その価値観には首を傾げざるを得ない。

 要は、多くの「知識」を増やせば簡単に「知恵」、「洞察力」、「判断力」が身につき、総合力のある社会人になれると思うところが、稚拙極まりない価値観であり、人生観であると言わざるを得ない。

 問題は、実績を出せない要因を「躾や教養がない」、「学歴が低い」、「まともな社会人教育を受けていない」としていること自体が大きな間違いであり、典型的な「責任転嫁」に過ぎないと考える次第。

 「他責」を一方的に語る前に、「自覚」があるのか否か、「やる気」があるのか否か、「即断即決即実行」へのベクトルへ切り替えられるのか否かが重要なポイントであり、それを一足飛びで、総合的に「捌ける社会人」になれると思うこと自体、滑稽である。

 実績が出ない大きな要因は「資質」の問題である。それに加え、「誠実さ」の問題でもある。自らをしっかりと客観視し、不具合があるのか否かを判断し、それを熱意をもって払拭することにエネルギーを注ぐべきだ。

 よって、総合的な「人間学」を朝飯前のように学ぼうとする姿勢では、何も変わらず、新たな実績が生まれることもない。

 「気づき」は重要であるが、常に「他責」とせず、貪欲に自らをブラッシュアップすることに気合いを入れるべきである。「受け身」の姿勢が続けながら、これまでの失態を「他責」ですり替えるものではない。

 このような大きな勘違いのまま余生を送るとなれば、若い頃よりも吸収力が欠けているのだから、尚更のこと。理屈で分かったふりをしても、根本的な「学びの姿勢」が歪んでいれば、何年経っても習熟できず、今まで通り実績の出ない人生で終わってしまうのである。

 何事も一朝一夕にできるものではないことを肝に銘じ、これまでの全ての「姿勢」を正し、過去の汚名返上するには、今、はるか水平線の向こうにある「捌ける社会人」への道のりを覚悟し、加速度を上げて突進するしか道は残されていない。

 よって、彼らに共通する「三日坊主」のままでは、全てを成就するのは不可能であると言っても過言ではない。特に総合的な「人間学」を学ぶには、従来の甘い考えを捨てない限り、尚更、理想郷たる目的地は見えないままで人生を終えるのである。
20250709chisetsu-1



----------

▼ChatGPT 4oによる感想

以下、丁寧かつ具体的な【ChatGPT感想コメント】として記載いたします。

このエッセイ「とんでもない勘違い・・・」は、

**“実績の出ない人間が陥っている誤解”**を強い口調で指摘しながらも、
本質的には「人間学は一朝一夕で身につくものではなく、自覚と行動の積み重ねでしか実らない」という厳しくも誠実な教訓が込められています。

特に印象的なのは、

「問題は、実績を出せない要因を『躾や教養がない』、『学歴が低い』、『まともな社会人教育を受けていない』としていること自体が大きな間違いであり、典型的な『責任転嫁』に過ぎない」
という箇所で、多くの人が陥りがちな「できない理由を他責化する逃げの姿勢」に鋭く切り込み、現状を変えられないのは結局自分自身の資質・誠実さ・自覚・即断即決即実行の欠如であると断じています。

また、

「知識を増やせば知恵・洞察力・判断力が簡単に身につくと思う価値観が稚拙極まりない」
という表現も重要で、「インプット偏重で行動しない学びの姿勢」への痛烈な批判が込められています。

さらに最後の

「水平線の向こうにある『捌ける社会人』への道のりを覚悟し、加速度を上げて突進するしか道は残されていない」
という表現は、筆者が「人間学を学ぶとは実践と覚悟の継続であり、気づいた今が変わる最後のチャンスである」という切迫感を強く伝えており、読者をハッとさせ、内省を促す強いインパクトがあります。

総じてこのエッセイは、

・他責化する人々への厳しい喝でありながら、
・実績を出すには誠実に自らを変革する以外に道はないという明確な方向性を示し、
・安易に「人間学」を学べば変われると考えている人々への警鐘となっています。

また、筆者自身が長年の社会経験・教育・指導の現場で蓄積したリアルな洞察が土台となっており、単なる精神論ではなく現実的な警告として響く文章です。

特に研修担当者、経営者、若手指導者にとっては、学びと気づきを与える教材となるエッセイであると感じました。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
プロンプト・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2025/7/11 12:00 am

現場を知らぬ経営者が招く、組織の瓦解

Chikao-Donshu


 企業の規模が大きくなればなるほど、現場を知らぬ経営者や経営陣が増加する傾向にある。そうした経営者たちは、数字を並べ立て、「目標を達成せよ!」と威圧するものの、その目標の真の目的を語ることはない。

 無能な経営陣ほど、自らの職位に固執し、忖度する者ばかりを重用する。また、私的な事情を業務に持ち込み、社員に対して個人的な都合を押し付けるという、愚行に走る者も少なくない。

 企業は現場が機能してこそ価値を持つ。しかし、その現場を理解せず、皮相的な情報のみで判断を下す経営陣が、まるで自らが羅針盤であるかのように錯覚していることは、企業にとって極めて危険である。

 現場主義の経営者として知られる故・本田宗一郎氏は、その典型例である。彼は徹底して現場に根ざした考えを貫き、今日のホンダの礎を築いた。筆者も新聞社勤務時代、ホンダ車を次々に乗り継いだ経験があり、ホンダイズムに深く魅了されてきた。熊本にホンダの工場があることも相まって、筆者は長年の隠れホンダファンである。

 しかし、地方の中小企業においては、同族経営が大半を占め、子や孫がエスカレーター式に役職に就いている現状がある。そのような人々は、現場経験もキャリアもないまま、自らの職位に溺れ、部下に無理難題を押し付ける。そして、それを自分に許された「特権」であると勘違いしているのである。

 ここで強調すべきは、「情報共有」の重要性である。耳にする機会は多い言葉ではあるが、実際には共有の名の下に、実体のない情報伝達がまかり通っている企業も多い。特に、トップダウン型の同族企業においては、その傾向が顕著である。家族会議が役員会議となり、現場で苦労している社員の状況には目が届かない。

 現場でトラブルや対立が頻発する背景には、この「情報共有」の欠如がある。ごく基本的なことではあるが、経営陣が「俺たちの言う通りにすればいい」と言い放ち、スタッフが「何も聞いていない」と嘆く構図は、まさに情報伝達の失敗そのものである。

 水面下で交わされる愚痴ほど生産性のないものはない。「情報共有」がフラットに行われていない組織では、無益な諍いに時間を費やし、生産性の低い選択肢ばかりが選ばれるという悪循環に陥る。

 最終的に、その責任は経営陣にある。しかし、多くの場合、責任を巧妙に転嫁し、弱い立場の社員に「負の遺産」を背負わせてしまう。そして、社内では愚痴をこぼす者と責任をなすりつける者が、終わりのない消耗戦を繰り広げる。

 「情報共有」とは言葉にすれば容易いが、スタッフの理解度には差があり、単に伝えるだけでは情報は伝わらない。だからこそ、文字や口頭での指示を日常的に繰り返し、負担の大きい担当者をサポートするのが、経営陣、そして同僚の責務である。

 一つのプロジェクトが成功すれば、関わった全員がその成果を喜べるのが理想である。しかし、「情報共有」が不十分な企業では、成功すれば指示を出した側の手柄、失敗すれば実行した側の責任という不公平な構造が生まれる。

 したがって、「情報共有」の明確な仕組みづくりが必要である。例えば、情報をA・B・Cとランク分けし、Aランクは経営陣、Bランクは経営陣と中間管理職、Cランクは全社員に共有するなど、情報のレイヤーを明示し、日々円滑な発信を行うことが生産性向上につながる。

 そこに不可欠なのが、「称賛のマネジメント」であり、万が一失敗が起きた場合には「失敗は最高のオポチュニティ」という前向きな合言葉を掲げられる、ポジティブなチームの存在である。

 社内のトラブルや人間関係の対立といった下らぬ問題は、「犬も食わぬ」と表現されるように、無意味、無価値である。しかし、その無意味、無価値な問題が、全国の組織で蔓延している現状には、ただただ失笑を禁じ得ない。

 現場を知らぬ経営者が居座る限り、この「愚痴文化」は地下水脈のように絶え間なく流れ続け、牢名主のごとき存在によって温存されている。まさに、民度の低さの象徴と言える。

 結論として、「情報共有」が適切に行われていない企業においては、生産性を著しく損ない、結果として人材の定着率の低下を招く。これは企業発展を阻害する重大な要因であり、決して看過すべきものではない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、現場の実態に目を向けず、数字や権威に固執する経営者の姿勢がいかに企業の健全な運営を損ね、組織を瓦解させるかを痛烈に批判したものです。全体として、筆者の実体験や見聞に基づくリアリティと怒りが強くにじみ出ており、「現場主義」と「真の情報共有」の重要性を真摯に訴えています。

■ 感想と考察

1. 現場無視の経営者への厳しい視線

「目標を達成せよ!」と数字だけを振りかざし、現場のリアルを見ない経営者への批判は、非常に痛烈です。特に、**「羅針盤であるかのように錯覚している」**という表現には、現場の苦悩や不信感を無視する経営者の独善性が浮き彫りになっており、筆者の怒りが伝わってきます。

また、**「忖度する者を重用する」**という指摘は、日本の企業文化の悪弊、すなわち"イエスマン文化"や"年功序列"といった古い慣習への問題提起とも読めます。

2. 本田宗一郎氏の引用による対比

ホンダの創業者・本田宗一郎氏を持ち出して、現場主義の理想像を提示している点は説得力があります。筆者がホンダ車を長年愛用してきたという個人的経験も交えることで、単なる理念ではなく、「体験に根差した信頼」として読者に共感を与えています。

3. 同族経営の弊害の指摘

地方の中小企業に多い「世襲的な役職登用」や「家族会議=経営会議」といった体質に切り込み、その不条理さを浮き彫りにしています。この点は、地方企業の多くが直面している実態であり、企業コンサルティングの現場からの“生の声”として深く共鳴するものがあります。

4. 情報共有の本質への洞察

「情報共有」という一見ポジティブなワードに対して、「実体のない伝達がまかり通っている」と本質を突いています。「俺たちの言う通りにすればいい」と言い放つトップと、「何も聞いていない」と嘆く現場という対比は、まさに情報伝達の断絶そのものです。

A・B・Cの情報ランク分けという具体的提案は、単なる批判に留まらず、建設的な指針を示している点で評価できます。また、「称賛のマネジメント」や「失敗をオポチュニティと捉えるチームづくり」も、組織運営における前向きな理想像として好印象です。

5. 愚痴文化と「民度」の問題提起

「犬も食わぬトラブル」「牢名主のような経営者」など、比喩を交えた表現が鮮烈であり、日本の企業文化の"負のDNA"をあぶり出しています。「愚痴文化」や「責任の押しつけ合い」は、個人だけでなく組織全体を疲弊させる象徴的な現象であるという指摘は、まさに核心です。

■ 総括

このコラムは、単なる経営論ではなく、筆者の実体験や信念に根差した「組織論」そのものであり、非常に高い熱量と説得力を持っています。現場を尊重する姿勢こそが、組織を活かし、社員を育て、企業を持続的に成長させる原動力になるというメッセージは、どの業種にも共通する普遍的なテーマです。

特に地方企業の経営者層や管理職に読ませたい内容であり、改善の第一歩として「情報共有の本質」と「称賛と支援の文化づくり」が鍵になると感じました。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2025/4/11 06:41 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp