
近頃は『謝らない時代』となっている感があるが、それは『謝れば、そこにつけ込まれて損をする』という、『訴訟大国』の米国人的発想のように思えてならない。
相手に迷惑を掛けても「謝らない方が得だ!」、「謝ったら相手が何を言ってくるか分からない!」、「相手も悪いところがあるのだから、こちらから一方的に謝る必要はない!」と考える人が増えてきている。
そうなると、些細な事であっても、取るに足らなぬ諍いであっても、『訴訟』が大前提のようになってしまい、その場で解決できずに、ダラダラと時間ばかりが経ってしまう。それから白黒付けようと、対峙の関係を作ってしまう。
分かりやすい例えでは、『交通事故』であろうか。この田舎の熊本県でも1日平均15件ほどの事故が発生している。たまたま通り掛かった事故現場では、罵声を浴びせ、恫喝しているような厳つい輩もいる。電柱に正面衝突し、ラジエターから白煙が噴き出す前で呆然と立っている人もいる。
この場合は、保険会社を通じで解決するのが賢明であるが、後ろから追突したり、自分が迂闊にも危険運転をしたのであれば、その場で深謝するのは当然のこと。人によっては、『逆ギレ』する馬鹿者もいるが、それは警察と保険会社に任せた方が無難となる。
また、『違法行為』に対して追及を受けたのであれば、先ず重要な事は『誠意』をもって『謝罪』することである。相手にどれだけの損害をもたらしたのか、相手の心をどれだけ傷つけたのか、自らの『非』を全面的に認め、『猛省』、『深謝』しなければならない。
ところが、冒頭で申し上げた通り、明らかに『違法行為』をしているにも関わらず、言い訳たらたらで、『猛省』も『深謝』もなければ、相手の逆鱗に触れて『刑事訴訟』や『民事訴訟』の対象とされ、『法的措置』に苛まれることになる。よって、そうなる前に為すべきは、『猛省』や『深謝』が絶対条件となる。
一番頂けないのは、『違法行為』を追及されても『無視』、『逃げ』に転ずることだ。自分の『非』を認めず、無言の内に逃げてしまうのであれば、『警察沙汰』になっても仕方がない。後の祭りとなってしまう。
近年、欧米化大好きな日本人であるが故に、『訴訟大国』になりつつあるのは否めない。その場で解決できるものが、延々と何年も裁判で争うことになり、数年後には厳しく断罪されてしまうのがオチ。何とも『法の無知』なる人たちの愚行は、見るに耐えないものである。
以上のように、自らの『非』を認めず、謝らない人は、大損をするだけの話。謝れば損すると考えるのは、大きな間違い勘違いであることになる。何事も傷口が広がる前に、『誠意』をもって『善処』するが賢明なる人と言える。

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