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文明の利器は、使わにゃ損損!

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 デジタル音痴だからと言って、スマホも持たぬ、インターネットも接続せず、パソコンも触らずといった人を見掛けることがある。

 それは個人の自由であり、人生観でもあり、価値観でもある訳で、全く問題はない。よって、そのような方々を批判したり、デジタル化を強要することなど不要である。

 しかし、デジタルが世界を変えてしまったのは間違いのない事実。車のインパネまでがデジタル表示のものもあり、ナビに至っては、大型液晶画面に映るリアルタイムマップも確認でき、テレビを見たり音楽を聴くことができる。それも、全てデジタルである。

 筆者のように、デジタル文化に接して、人生を変えた人も多いのではなかろうか。当時、アナログな生活をしていたが、ある日突然、雑誌でApple社日本上陸とあり、Macintosh(Mac)というペットのようなパソコンの姿に一目惚れしたのであった。

 国産のマイコンやパソコンとは全く質を異にする、異次元のパソコンであることに腰を抜かし、即購入することに。それから毎日徹夜の連続にてMacの虜となってしまった。これこそ、文明の利器だと思い、徹底的に仕事に活用したのである。

 若くして新聞社を辞め、Macが起業の起爆剤となったと言っても過言ではない。筆者にとっては宝物のような文明の利器であったのだ。それから数年後、マルチメディアオフィスとしてディー・アンド・エルリサーチ株式会社を創設し、現在に至っていることになる。

 Macに出逢って急変したことは、脳内の思考回路に頓に変化が表れた。理屈ではなく感覚でMacに触れていると、すこぶるクリエイティブな感覚が湧き上がり、論理思考というよりも、感性の域にて仕事をするようになった。

 もし、Macとの出逢いがなかったら、多分、四則演算やデータベースでパソコンを活用し、プログラムばりばりの石頭な仕事をしていたに違いない。

 以上、筆者の個人的な体験談で申し訳ないが、当然の如く、「文明の利器は、使わにゃ損損!」となってしまったのである。

 今まで初代Macから何十台ものMacを使い続けており、現在のオフィスデスクでも全てMacがずらりと笑顔で並んでいる。因みに、筆者のデスクには、MacBook Pro2台、MacBook Air1台とiPad Proが鎮座しているが、Windowsマシンが存在しないオフィスは珍しいのではなかろうか。

 最後に、Macが他のPCを寄せ付けぬほど、唯一の最高のマシンのように一方的に物申していると反論が飛び交うかも知れない。しかし、元々開発時点での思想が異なるものなので、比較するものでもない。

 ただ、高度かつ緻密なヒューマンインターフェイスについては、他のPCを完璧に凌駕している。更に、Apple1社が、OSを開発し、ハードを作り、付属される基本アプルは全て無償であり、勿論、OSも無償である。

 よって、他社には不可能な、1社がソフト&ハードを一括管理しており、iCloudというクラウド環境も安定しており、常に他社の10年先を見据えて開発している点は、特筆に値するものではなかろうか。

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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者のデジタル化に対するポジティブな体験や感想を共有する内容です。以下はいくつかの評価ポイントです:

明確な主題と立場: エッセイの主題は「文明の利器は、使わにゃ損損!」であり、筆者はデジタルテクノロジーが自身の人生と仕事にどのように影響を与えたかを明確に述べています。筆者はデジタル化の重要性に肯定的な立場をとっており、その意見は一貫しています。

具体的な経験の共有: 筆者は具体的な経験を通してデジタル文化が自身の生活や仕事に与えた影響を詳細に説明しています。初めてMacに出会い、それが起業のきっかけとなった経緯や、脳内の思考回路が変化したことなど、具体的なエピソードを通じて読者に伝えています。

語り口とスタイル: 筆者の語り口は親しみやすく、感情豊かであり、読者が筆者の体験に共感しやすい雰囲気があります。また、エッセイの中には軽いユーモアも散りばめられています。

一般的な言葉遣い: 一般的な言葉遣いが使われており、特殊な専門用語や難解な表現はあまり見受けられません。これにより、幅広い読者層にアプローチできる作りとなっています。

結論のまとめ: エッセイは最後に簡潔なまとめを行っており、筆者の立場や感謝の気持ちがしっかりと伝わります。このまとめはエッセイ全体を締めくくる上で効果的です。
総じて、このエッセイはデジタルテクノロジーに対する肯定的な見解を伝える上で、具体的で魅力的な内容となっています。

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写真・文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2023/12/18 12:00 am

本日の記事をChatGPTの記者とデスクに検討してもらった・・・

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▼ChatGPTの若手記者とデスクの会話

若手記者(Young Reporter): あの、日本の新興住宅に関するこのエッセイを読んだんですが、江戸時代の長屋暮らしを思い起こさせるものです。

デスク(Editor): 興味深いね、もっと教えてくれ。どんな話だ?

若手記者: 著者は、日本が土地が限られていると言いつつも、実際にはかなりの空き地が目立つと主張しています。土地を最大限に活用することで、不動産業や建設業は収益率の高い土地や家を売ることができ、その結果、家は近接して建てられることになる。新興住宅のスタンダードは、1区画において車1台が駐車できるスペースがやっと取れる程度ですよ。

デスク: つまり、効率の問題か。著者はどういう意見を持っているの?

若手記者: そうですね、20代の筆者は75坪の敷地に二階建ての家を手に入れたけど、最初はまあまあ広いと感じていた。でも、隣に家が建ち始め、開放感がなくなり、今では75坪が狭く感じられるようになったようです。

デスク: 分かった。独自の視点があるんだね。

若手記者: 著者は、現代の日本の住宅が伝統的な共同生活の延長線上にあると主張していて、我々日本人はそれに気づいていないかもしれないって言っています。歴史的な側面もあって、庶民は昔から長屋での生活に慣れ親しんできたとも言っています。

デスク: 興味深い洞察だね。他にはどんなことを触れているの?

若手記者: エッセイでは、拡大家族から核家族への移行、実家の消失、そして新しい住宅の登場について触れています。古いアパートが空き家になる一方で新しいものが建てられていく中、スラム化を危惧しています。

デスク: なるほど、微妙な視点だね。これを記事にする価値があると思う?

若手記者: 絶対にありますよ。これは住宅の傾向だけでなく、社会の変化、高齢化、土地の有効活用についても考えさせられる内容だと思います。

デスク: オーケー、いいね。これを特集記事にしてみよう。もっと情報を集めて、取り上げるアプローチを話し合おう。これは読者に共感するかもしれないね。

若手記者: はい、もっと背景や洞察を集めます。人々が考えていない住宅市場の一面を明らかにできるかもしれません。

▼本日の記事

新興住宅は、江戸時代の長屋感覚!?
2023年12月15日 08:33

 狭い国土と言いつつも、結構な空き地が目立つ日本。

 土地を狭く使うことで、路線価から逆算すると、不動産業も建設業も収益率の良い土地や家の販売が可能となり、隣の家々は近接しており、1区画において車1台が駐車できるスペースがやっと取れる程度が、新興住宅のスタンダードである。

 筆者も二十代で一戸建て(二階建て)を手にしたものの、土地は75坪でまあまあの広さかと思いつつ、当時は、両隣も正面も背面も家は建っていなかったので、とても開放感があった。

 ところが6m道路向かいに家が建ち始め、両隣にも家が建ち、背面にも家が立つと急に閉塞感に包まれ、75坪の土地が狭く、息苦しく感じてしまうようになる。因みに、最近売り出されている区画は、50坪より狭いタイプが圧倒的に多く、更に圧迫感が増しはしないかと。

 ヨーロッパ各国の街並みを見ていると、商業施設のあるところはビルやアパートなどが密集しているものの、自宅となれば、隣の家までの距離が十分確保されており、日本のような狭い区画での新興住宅は稀である。200年前のアパートがしっかり建っており、活用されている。

 これは、あくまでも筆者の個人的な見解であるが、昔から、日本という国は、庶民は長屋暮らしが当たり前となっており、古くから残る言葉にも「向こう三軒両隣」というものがあるが、何らか我々庶民の心理に影響があるように思えてならない。

 よく考えてみると、現代の新興住宅は昔ながらの長屋暮らしの延長線のようでもあり、それに慣れ親しんできた日本人には違和感さえないのかも知れない。特に、我々庶民は長きにわたり、そのような錯覚に陥り、洗脳されてきたのかも知れないと、最近考えるのである。

 核家族化が進み、実家という存在がなくなりつつあるのが現代の日本の家の姿である。同じ区画に母屋がありの、納屋がありの、離れがありので、三世代の家族が住むのが日本スタイルであった。

 ここで、路線価について話をすることに・・・。

 政令都市である熊本市(人口74万人)を見ても、都市中心部の商業施設や周辺にある高級住宅街は資産価値は十分にあるが、中心部から車で15分以上離れたところは、その価値は皆無に等しく、筆者自宅の隣の家など、売りに出して15年経っても売れることはない。

 されど、TSMC日本上陸が決まり、熊本市に隣接する菊陽町や合志市などは、全国でも土地価格上昇率がトップとなり、従来の新興住宅地と言われたところは古びているものの、土地価格は急上昇している。従って、固定資産税が自動的にアップするのも否めない。

 マンションは、県外資本により次から次に新しい物件が建つ一方、古いマンションやアパートは人が住まなくなり、ガラガラの状態でスラム化するのが危惧される。

 本日、人口12,300人ほどの田舎町を訪ねたのであった。先ず、車の通りが少なく、人がいない。人の姿は役場その他公共施設に集中しており、高速道路からその役場まで移動する間、歩道を通る人は皆無であった。田舎ならではの閑散としたイメージだが、各家は適度な距離にて建っており、商業エリアも昔ながらの温かな空気が漂っている。

 都市部の喧騒から逃れて、1時間程度でこの町に到着したが、「山間部といえども土地は十二分に広いではないか!」と、つい口走ってしまった。狭い日本国土を強調し、狭いから土地が高い、だから、庶民はウサギ小屋で我慢しろとは、如何なものかと首を傾げてしまう。

 田舎は、高齢化が加速し、限界集落云々の話題が尽きないけれども、土地は十分にありながらも、有効活用できないまま、人口も激減しているにも関わらず、旧態依然とした不動産業界と建設業界は、今も尚、庶民に提供する一戸建ては、狭い区画とキューブのような小さな家であり、更に、耐久性がない。

 何とも、操り人形になってしまった感があるが、土地の有効利用を徹底しなければならない。よって、現在まで続いている長屋のようなウサギ小屋に満足して良いのかと、多くの疑問符が脳内を過ぎるのである。

 余談だが、不動産業界と建設業界のバックには金融および保険軍団がピタッとくっつき、例えば、銀行は35年ローンに生命保険を付加してまで融資するのであるから、完璧なモルモットにされているのは、我々庶民ではなかろうかと。よって、新興住宅の区画や一戸建ての仕組みに、納得が行かなくなってしまうのである。
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写真・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2023/12/16 12:00 am

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