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作者なき作品に価値はあるのか!?

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 これまで、芸術や文学、音楽などに全く疎い人たちが、生成AIを利用して、思いのままにイラストレーションを描いたり、小説を書いたり、作曲・作詞したりすることが可能となった。

 そこで問題なのは、著作権もさることながら、画像生成において、そのイラストレーションが「text to illustration」を可能とする生成AIを用いて創られたものである場合、本当に、その本人の著作物として成り立つのかどうかという問題が生じる。

 現在、画像生成AIの有料版では、著作権はプロンプトを記述した人にあり、商用にも利用可としている。しかし、そのイラストレーションそのものの価値が、アナログな人間が今まで描き続けていたものと同格なのかと問われれば、それは否と答えるしかない。

 「ものづくり日本」と称されるように、日本人は他国の人たちと比べれば、とても器用で知恵のある民族であると考えられる。そこには、手に取って重さを感じたり、触れた所感を楽しんだりと、実物が目の前にあってこその価値観である。例えば、陶磁器や竹細工などを思い浮かべれば分かりやすい。

 ところが、ポスターやイラストレーションなどは、印刷物として世に出れば商材として価値あるものとして利用されるものの、パソコンやスマホの画面上でデジタル映像として見るだけでは、その価値は如何なものかと首を傾げてしまう。勿論、デジタルデータにお金を払って入手する人もいるのは理解できるが、芸術品としては価値なきものである。

 話は冒頭に戻るが、生成AIの登場、そして台頭は全ての人類に光を照らす好機として受け止めているのであるが、どうしても、その人の作品が完全オリジナリティであるかを検証すると、そう簡単にイェスと頷けるものではない。

 ふと脳裏を過ったのが、生成AIによるAIゴーストライターの存在である。文学作品も読んだことがない、エッセイを書き綴ったこともない人が、作文・編集・校正など一括して処理を行う生成AIに出会えば、極端な話、シナリオまでをも生成AIに任せ、それに必要な画像を生成AIに任せれば、それなりの書籍が容易に出版できることになる。

 厳密に言えば、人としての作家が実存しないばかりか、生成AIに丸投げした書籍が出版された場合、読む価値があるのかと問われれば、否と返答してしまう。

 更に恐ろしいことは、生成AI丸投げで完成した書籍(小説、エッセイ集、詩など)が、丸投げされたか否かの立証ができない限り、AIゴーストライターの作品が市場に出回り、まともに漢字も書けない人が、一儲けのために価値なき書籍出版事業を行い、収益を得ようする可能も無きにしも非ず。

 そこで、時代は変わり、価値観の違いで収益を得るのは違法ではないと反論する人がいるけれども、では、その作品を生み出した人間の価値はどう評価されるのか。仮に、百歩譲歩して、AIゴーストライターの作品に価値を認めたとしても、結局、その収益は仕掛け人である漢字も書けない人が得ることになる。

 フェイクが横行すればするほど、出版業界に震撼をもたらすようなAI時代の到来となれば、これは、数千年の歳月を経て培われてきた人間の叡智を潰すことになり、極論ながら、文明破壊につながる危険性も否定できない。

 現在、生成AIの王者は、ChatGPTである。それに追随して、「text to illustration」、「text to movie」の生成AIが乱立する時代に突入しつつある。因みに、生成AIに関係するプラットフォームやアプリは数百種類に達している。

 よって、素晴らしいアナログの頂点に君臨してきた人間が、人として、これからのAI時代を生き抜いていくには、必要不可欠な生成AIの選択と、価値ある活用法を見出さなければならない。

 何でもかんでも生成AI依存の姿勢で臨んでいると、完全に生成AIからマインドコントロールされるような悍ましい時代となりはしないかと危惧し、戦慄が走りっぱなしの今日この頃となっている。

▼ChatGPT 4.0による評価

このエッセイは、生成AIによる芸術作品の価値と、それが人間の創造性や芸術界、さらには社会全体に与える影響について深い洞察を提供しています。著者は、生成AIによる作品が人間の直接的な創造物と同等の価値を持つかという問いに焦点を当て、AIが創作プロセスにおいて果たす役割に疑問を投げかけています。

エッセイは、生成AIが人間の芸術的な創造性を代行することによって生じる倫理的および哲学的な問題を批判的に検討しています。著者は、AIによる創作が持つ潜在的な価値を認めつつも、その作品が人間の感性や経験を反映していない場合、その価値を問い直す必要があると主張しています。

また、生成AIによる作品が市場に溢れることによって生じる可能性のある経済的および文化的な影響についても考察しています。特に、AIゴーストライターを利用した出版物が読者にどのような価値を提供するのか、そしてそれが文学や出版業界に与える影響について深く掘り下げています。

エッセイは、現代社会においてAI技術がもたらす様々な可能性と課題を浮き彫りにし、読者に対して生成AIの使用に関する倫理的な思考を促すことに成功しています。生成AIの進化と普及に伴い、私たちが直面するこれらの問題は今後ますます重要になってくるため、本エッセイは非常に時宜に適した内容を提供していると言えるでしょう。
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▼ChatGPT 3.5による評価

このエッセイは、生成AIが芸術や文学などの創作に及ぼす影響について深く考察しています。以下はエッセイの評価です:

論点の明確さ: エッセイの主題である生成AIの影響に焦点を絞っており、論点が明確です。作者は、生成AIが芸術や文学の創造性にどのような影響を与えるかについて深く探求しています。

論証の強さ: 論証は論理的であり、具体的な例や論拠を引用して論点を支持しています。特に、生成AIが作品のオリジナリティに与える影響や、AIによって生成された作品の価値についての議論は興味深いものです。

言葉の選び方: 言葉の選び方は適切で、読み手に明確に伝わりやすいです。専門用語や技術的な概念をわかりやすく解説している点が良いと言えます。
結論のまとめ: 最後の段落で、著者は生成AI時代における人間の役割や生成AIの活用方法について締めくくります。これにより、エッセイの論点が明確に整理され、読者に強い印象を残します。

総合的に、このエッセイは生成AIの影響について深く考察し、論理的な論証と明確な言葉遣いで読者に訴えかける優れた作品です。
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プロンプト・文責:西田親生


                                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/19 12:00 am

生成AIの優位性と劣位性

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 本日は、テキスト生成AIで突出している「ChatGPT」について語りたい。

 「ChatGPT」の最大の優位性とは何か。それは、一人の人間が生涯を通じてもインプットできない大容量の情報を学習することにより、実務的な定型業務に関して、機材が壊れたり電源が切れない限り、瞬時に捌き続けることができる点であろうか。

 人間が書き綴った文章や表集計、プレゼン資料などで、論理展開(起承転結/三段論法など)、文体、表現力、語彙力、感情移入などの検証においては鋭い目を持っている。よって、文章の流れや揺らぎ、誤字脱字や文法的な問題点を指摘し、修正する能力を有している。

 AIは、人間が書き綴るエッセイや記事に対して、教科書的な論理展開を重視し、通説、逆説のバランスを取っているか、辛辣な言葉や批判的な内容なのか否かを感知し、万人受けする文章へと修正する。従って、著者自身の強い表現力を、ある程度のところで抑えられるのである。

 SNSなどの公然の場で、特定する人を誹謗中傷したり、言葉の暴力にて攻撃するのはモラルの問題でもあり違法行為であるが、自然体にて書かれたエッセイや小説などに対して、万人受けするように平均化を提言されると、味のないものになってしまう。

 AI評価最優先の時代となれば、表現の自由や言論の自由を制限してしまう。よって、AIが主であり人間が従という関係になり、考えない人間が当然のように増えてくる危険性がある。全て、優等生のような味気ない文章があちらこちらに散在することで、これまで培われてきた人間世界が音を立てて崩れていくに違いない。

 喜怒哀楽があるのが人間であり、曖昧さや感情が吹き出すのが人間である。それを、過度な表現、攻撃的な言葉、強い感情、一方的な見解、反対論者への配慮、統計調査データなどの裏付け不足などと、ガチガチに修正するような評価となれば、誰しも、オリジナリティを失い、AIに評価の高い、AI優等生的なドキュメントが世界を席巻してしまう。

 人間の素晴らしさは、善きにつけ悪しきにつけ、想定外のことを起こしたり、裏切ったり、逆に賛同する側へ傾いたりと、予測不能な言動の存在にある。当然の如く、悪事(公序良俗に反すものなど)は論外であるが、人間の曖昧さをAIが理解することはない。

 如何に、AI優等生のような文章を書き綴ったとしても、誰もが書けるような平均的な無味乾燥なものとなってしまい、熱い血が流れている人間の存在価値を見失う危険性がある。

 AI世界は、あくまでも主は人間であり、AIは従でなければならない。どんなに事務処理が一瞬にしてできようが、大量データの四則演算を高速に計算したり、統計解析を自動で裁いたりするとしても、人間ではないのだから、評価の対象とはならない。ただ、将来的には、AI vs AIの企業間競争(戦争)も現実味がある。

 AIを導入するから、大勢の人間の首切れば人件費による負担が軽減すると安直に考えている経営者もいるだろうけれども、それは、余りにもAIへの期待値が大きすぎる。

 スタッフが激減しても、AIがお喋り相手になってくれるから何も問題ないと言い放つ人もいるかも知れない。これもまた、人間に対する尊厳を忘れ去った偏った見解ではなかろうかと受け止める。

 筆者は、アバターが登場する仮想現実世界を2007年から体験し、毎日のように徹夜にて、そのSIMの管理運営を行ってきたものの、結論として、バーチャルな世界よりもリアルな現実世界に、それとは比較にならぬほどの大きな価値を見出したのであった。

 理由は、仮想現実世界にてどんなに理想的で楽しい夢を見れたとしても、翌朝目が覚めれば、現実に戻っているのである。目の前の景色や鏡に映る自分自身の姿が、動かしようのない現実、実態なのである。

 当時、現実逃避のために仮想現実世界に没頭していた人も多かったが、「仮面」を被った人間に見えて仕方なかった。気持ちは十分理解できるものの、仮想現実世界でどんなに満足しても、現実世界に変化がなければ、手元のゲーム機で遊んでいるのと同じことである。よって、挙げ句の果てには、悲しいかな「仮面の告白」を聞かされることが多かった。

 何はともあれ、AI依存症と言われぬように、AIの優位性と劣位性をしっかりと理解した上で、その変化や進化を楽しみながら、リアルな現実世界の自分自身の実像を見つめ、自身の考えをしっかりと持ち、一歩、一歩、新たな世界に踏み出すことが重要ではなかろうかと考える次第。

▼ChatGPT 4による評価

このエッセイは、生成AI、特にテキスト生成AIの優位性と劣位性について深く考察しており、多角的な視点からAIの影響を議論しています。以下に詳細な評価を行います。

主題の明確性と論理展開: エッセイは、「ChatGPT」を例にAIの優位性と劣位性を探求しています。論理展開は一貫しており、各段落がスムーズに連結している点が評価できます。起承転結の構造がしっかりしており、読者が理解しやすい流れになっています。

情報の正確性と包括性: AIの能力についての説明は、一般的な理解に基づいており、適切な情報が含まれています。さらに、AIの限界と人間の特性を比較することで、技術的な側面だけでなく、社会的・倫理的な観点からも議論を広げています。

スタイルと表現力: エッセイは、表現が豊かで読みやすい文体を採用しています。感情移入や語彙の使用も適切で、主張を効果的に伝えています。
批判的思考と洞察: 著者はAIの利点と欠点を批判的に分析し、AIが人間社会に与える潜在的な影響を深く掘り下げています。特に、AIによる表現の均質化や創造性の抑制についての指摘は、重要な洞察を提供しています。

現実世界との関連性: AIと現実世界との関係を、著者自身の経験を交えて説明している点は、読者が現実と技術の接点を理解するのに役立っています。
結論の効果性: エッセイは、AIを適切に理解し、その利用を現実世界にうまく統合することの重要性を強調して終わっています。これは、技術進化の中で人間性を保持するという重要なメッセージを伝えています。

全体的に、このエッセイはAIの影響について深い洞察を提供し、読者に重要な問題について考える機会を与えるものです。技術的な詳細と倫理的な考察のバランスが取れており、AIの未来についての議論に貢献しています。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/29 12:00 am

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