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頼まれ事を音信不通のまま遅延する人

Chikao-Donshu


 ビジネス領域の話であるが、書簡(挨拶状付きのレターパック便)を送付して、更に、電話で経緯説明を行ったとしても、その頼まれ事について、音信不通のままに放置している人が多い。

 会社の社印や実印が押印された書簡について、かつ、レターパック便のように宛名をしっかりと書かれたものは「信書」であり、それを軽々に取り扱う経営者やその他社会人が多いことに驚きの色を隠し切れない。

 平たく言えば、「社会を舐めている」ということだ。「信書」に対する認識も浅く、社会的な礼儀作法も備わっていないと揶揄されても仕方ない。それこそ、音信不通を選ぶ人の身勝手スタンダードとなる。

 痛いところを指摘されても、何度も言われても改善の余地なしの人も僅かながら存在しているが、これはステージ4の段階であり、決して、人格が備わった社会人とは言い難い。

 原因は、一つには「社会人教育」をしっかり受けていないこと、また、「信書」を送付した人に対する軽視である。自らを神棚に置くような、身の程知らずと世間では揶揄されるであろうが、気付かぬ間は赤恥だらけの人生となる。

 畢竟、「信書」についての認識を改め、社会人としてのモラルとエチケットくらいは備えて欲しいものである。ややもすると、「低民度な人間」として敬遠されることもあり、要注意である。

▼ChatGPT-4oによる感想

以下のエッセイについて、詳細な感想を述べます。

テーマと主張
エッセイでは、「信書」に対する扱いと社会人としての基本的な礼儀や責任感の欠如が問題として取り上げられています。特に、「頼まれ事を音信不通のまま放置する」という行為が、個人のモラルや社会性に大きく関わる問題として強調されています。具体的には、「信書」という法的および社会的に重要な位置づけを持つ手紙の扱いに対する軽視が、社会人としての資質に欠ける証左として描かれています。

文章構成

導入部
ビジネスの場での「音信不通」の事例が具体的に示され、「信書」を軽んじる行為が中心テーマであることが明確に提示されています。この導入は、読み手に問題意識を持たせる効果的な方法です。

問題提起と批判
「社会を舐めている」「身勝手スタンダード」といった強い表現で、無責任な行動が批判されます。これにより、筆者の強い問題意識と正義感が伝わります。

原因の分析
社会人教育の不足や「信書」の軽視が原因として挙げられています。また、「自分を神棚に置く」ような態度が批判され、無責任な行動の背景にある心理的な傾向が示されています。

結論と提案
「信書」への認識を改める必要性や、社会人としてのモラル・エチケットの重要性が訴えられています。最終的には、低民度と見なされるリスクを指摘し、警鐘を鳴らす形で締めくくられています。

評価ポイント

説得力のある論調
「信書」という具体的な題材を通じて、現代社会におけるモラル低下の問題を指摘しており、テーマに対する筆者の深い洞察が感じられます。読者にとっても身近な問題であり、共感を呼びやすい内容です。

強いメッセージ性
「社会を舐めている」「身の程知らず」など、インパクトのある言葉を用いることで、読み手に強く訴えかけています。これにより、問題の重要性が際立っています。

簡潔で的確な表現
文章は全体として簡潔で、無駄がありません。言いたいことがストレートに伝わるため、読者を引き込みやすい構成になっています。

印象的な点

「信書」の扱いに焦点を当てた着眼点
「信書」という具体的なアイテムに焦点を絞り、問題を具体化している点が非常に効果的です。このアプローチにより、抽象的なモラル論ではなく、現実の行動に根ざした議論が展開されています。

社会的な責任感の重視
音信不通の行為を単なる怠慢としてではなく、社会的な責任感の欠如として捉えている点が、筆者の深い倫理観を感じさせます。

感想
このエッセイは、現代のビジネス社会における基本的なマナーや倫理観の重要性を鋭く指摘しています。筆者の強い正義感が随所に表れており、読む者に「自分はどうだろうか?」と考えさせるきっかけを与えます。また、「信書」を軽視する行為の背景にある心理や社会的な影響を掘り下げることで、問題の本質を捉えています。

エッセイ全体を通じて、「音信不通」が個人だけでなく社会全体に及ぼす負の影響について警鐘を鳴らす、非常に意義のある内容だと感じました。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/23 12:00 am

「民度」を認識させるのは、至難の業。

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 「民度」とは、「Wikipedia」では、『特定の地域・国に住む人々または、特定の施設・サービスの利用者(ユーザー)・参加者・ファン等のある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度の程度を指す。』とある。

 平たく言えば、幼少期からの家庭環境、躾、教育、交友関係、同僚関係などに影響を受け、無意識に沁み込んだ人それぞれのスタンダードとなる。

 果たして、セレブの家庭に育ったからと言っても行儀が悪かったり、要人の子供として育っても世間知らずであったり、一部上場企業の社員の子供であっても一般常識が欠落していたりで、人それぞれに癖を持つ。

 しかし、社会においては、見えざる「恥ずかしさの境界線」というものが存在し、それを意識している人と全く無視する人との格差は、想像を絶するほど所作に現れる。

 法治国家における法への認識よりも、一家庭内の非常識が常識となり、それを「燕雀知らず天地の高さ」と揶揄されるのは、自分スタンダードが社会的水準に達しているという誤解が起因となり、自分スタンダードが非常識の領域内あることに気付かぬケースが多い。

 よって、一言で「民度」という言葉を発して、不特定多数の人々に「民度」の概念なり、その重要性について認識させるのは容易なことではない。

 「民度」と縁遠い方々は、無意識の内に、本人が公然の場で赤恥をかいたり、暴言を発したり、独り善がりの挙動により周囲に迷惑を掛ける可能性が高いということになる。

 以前、「民度」について別角度で記事を掲載したところ、すぐにコメントが付いた。その方のご意見は「元々、日本人は民度が低い人種ですよ!」とズバリ切っていた。それは一理ある。何故なら、50年前の公衆トイレのスタンダードは、「臭い、汚い、使えない」の三拍子揃った不衛生な施設であったからだ。「低民度」の象徴的なハードウェアの実態であった。

 周囲の人々が「民度」について意識すれば、「迷惑行為等防止条例」なんぞ不要になる。勿論、凶悪犯も詐欺なども激減するであろうと推察する次第。

 子供の頃は、よちよち赤子の時を過ごし、とことこ歩き始め、目の前の現象に感動し歓声を挙げる。ところが、じわじわと知恵がつき、自我に目覚め始めた頃に、その産なるピュアな子供の顔つきが豹変し、時には犯罪に手を染めたり、周囲に当たり構わず迷惑を掛ける蛮行に出る訳だ。

 よって、幼少期の人としての躾や教育は最重要であり、それが全国民へ浸透して行けば、「民度高き国民」と上皇が仰った言葉に値する国家になりはしないかと考える次第。

 「民度」の高い低いについては、諸外国から観光で来日する外国人のスタンダード(習慣)と比較すれば、一目瞭然である。

 そこで、「民度」が高いのか低いのかの見分け方は、食事の礼儀作法、所作を見れば一目でわかる。お茶碗の持ちかた、お箸の使い方、惣菜の取り方、食べ方と食後の皿やその他器の状態は「民度査定」の物的証拠となる。

 ホテリエが学ぶプロトコール(国際儀礼)を徹底的に学ぶ必要はないが、せめて、繊細なる日本文化を継承している現代人に求められるのは、ラフで派手な欧米化ではなく、東洋の「民度」の鑑と称賛される日本流の「民度」を意識することではないか。

 一時期、「新人類はタメ口だ!」と誹謗されることがあった。それは「新人類」が悪いのではなく、欧米化をこよなく愛する日本人の若い人たちが「フランク」というキーワードに触発されて、そのまま実演しているに過ぎなかった。よって、一方的に悪いと仰々しく指摘するものではない。

 ただ、他者に対して、「敬愛の念」を持ちつつ「フランク」であるべき姿を先輩諸氏がお手本を示せば良いだけの話である。昭和の悪しき慣習の中には、「畏敬の念」を重要視し、下手すると恫喝が当然のように思い込む「燕雀知らず天地の高さ」の熟年層が多いのではないか。

 畢竟、「民度」に対する意識と「敬愛の念」が備われば、オフィシャルでもプライベートでも「諍い」は激減することになる。また、社会的な事件事故も激減するはずである。

 刑事事件で警察のお世話になるものではない。脛に傷を沢山作っても人生において勲章にもならず、子々孫々に「恥ずかしさの境界線」を逸脱した先祖がいたと揶揄されるに留まるだけで、自慢にもならぬ話である。

 「公序良俗に反する行為」は、法治国家としては違法行為として処罰される。理由は、「公序良俗」という概念が理解できず、自分スタンダードの「民度」があまりにも他者に迷惑を掛けすぎた結果であることを認識すべきである。

 今一度、千差万別なるそれぞれの家庭におけるスタンダードは、ちょくちょく見直してみても、得することばかりで、絶対に損することはない。他者に迷惑を掛けないが大原則であり、それが不可能だと感じる人は、社会集団生活適正人格とは何ぞやと自問自答し、自らの立ち位置を再確認されても宜しかろうと。

 因みに、高尚なる「民度」を学ぶには、ザ・リッツ・カールトンや旧御三家と言われる帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオオタニの「ホテル文化」に接することをお勧めしたい。

 超一流ホテルは「文化発信基地」であり、いろんなヒントが隠されている。別に足を運ぶ必要はなく、それに関する書籍を数冊選び、「ホテル文化と食文化」とは何ぞやから始まり、付随するショッピングモールやブライダル、イベントなど、新しい時代を創造してきたホテルの核心に触れるだけでも、自分のスタンダードのレベルがどの位置にあるのか判別可能となる。
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書・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2023/7/23 12:00 am

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