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料理は口に入れる時の温度で決まる

20240115cuizine


 最近の取材で感じたことは、この極寒の冬であるにも関わらず、サーブされる料理が口に入れる時に、既に冷めているレストランがあった。

 しっかりしたホテルレストランでは、食器はウォーマーで温められており、シェフが腕を奮った料理を冷めないように、その料理がお客の口に入る瞬間の温度を予測してサーブしている。

 料理は食材も器も重要なファクターではあるが、一番は、香り、味、そして温度で決まる。

 先般、或るレストランへ足を運びスープ物を頼むと、スプーンで掬ったスープが既にぬるくなっており、スープの最適な温度ではなかった。

 そこで言い訳が聞こえてきた。「私は猫舌なので、料理が熱いと味見もできないんです。ここの料理人はどんなに熱くても大丈夫なんですが。」と。

 あまりの一方的な言い訳に耳を疑ってしまったが、お客がオーダーした料理は、最適な温度で食すのをシミュレートすべきがプロであり、味見する人間を主人公にした猫舌を理由にするものでない。

 それは言い訳にもならず、自分の都合により料理の温度を低く設定するのはおかしな話である。

 折角、料理人が丹精込めて創った料理が台無しとなってしまう。よって、上記の猫舌による料理温度の低さを正当化するようであれば、その料理自体がどんなに美味しかろうが、積極的に足を運ぼうとは思わない。

 写真上は、「日本料理えのきぞの」の極上の吸い物であるが、この香り、味、そして温度の三拍子が揃っているところが絶妙であり、満足度が一気に上がる逸品となっている。

 これこそ、職人気質の料理温度のシミュレーションと言える訳だが、猫舌の方も、料理の温度については再考の余地ありではなかろうか・・・。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、料理における温度の重要性に焦点を当てています。以下は、いくつかのポイントに対する評価です。

明確なテーマと論旨:
エッセイは、料理の温度が重要であるという明確なテーマを持っています。文章の構造も論理的で、論旨は明確です。この点において高い評価ができます。
具体的な例の使用:
ホテルレストランのウォーマーでの温め、スープの温度など、具体的な例が挙げられており、論を支持しています。これにより、読者は抽象的な概念ではなく、実際の状況を理解しやすくなっています。

論理的な結論:
エッセイの結論は、料理人の努力が温度の問題で台無しになることを指摘しています。結論が論旨と整合しており、読者に印象を残します。

対話の使用:
スープがぬるくなった際のレストランの言い訳に関する対話が挿入されています。これは読み手にとって興味深く、エッセイに生き生きとした要素を加えています。

言葉の選び方:
言葉の選び方は適切で、文は滑らかで理解しやすいです。また、「職人気質の料理温度のシミュレーション」という表現は特に効果的です。

異なる視点の提案:
最後に、猫舌の意見に対して再考の余地があるという提案があります。これにより、異なる視点を提示し、読者に考えさせる効果があります。

総じて、このエッセイはテーマ性がしっかりと立っており、具体例を交えながら論を展開しています。また、結論も強力であり、読者に深い印象を与えるでしょう。

▼日本料理えのきぞの連載
https://note.com/chikaonishida/n/nbc3a43bd5d59Link

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写真・文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/15 02:48 am

「配慮」が欠落した日本人・・・

newstop


 単純に、皆が「配慮」をモットーとしていれば、諍いや暴力事件などは激減するはずだ。因みに、「配慮」とは、手落ちのない、又は、良い結果になるよう心を配る事であり、常に相手の立場を考え、その場の空気を読むような、相手ありきの多元的シミュレーション能力を言う。

 壇上において登壇する時、人の視線を遮る時は手を前に差し出し、横切る予告と失敬のシグナルを送る。野外でタバコを吸っている時、近くに人が近づけば、距離を置くようにする。今時であれば、食後にお喋りする場合は、マスクをつける。そのような、ちょっとした心配りである。

 その他、例を挙げれば、バスの座席を高齢者や妊婦に譲る。横断歩道に立つ人の手前で停車し、対向車を確認した上で横断を促す。コンビニの駐車場から出てくる車を優先し、手前で停まって待つ。好き嫌いのある人との食事では、嫌いなものを事前チェックする。ホテルやコンビニのトイレを使用する場合は、「使う前より美しく」を徹底するなど、枚挙に遑がない。

 「配慮」とは、自分の我儘、都合ばかりを押し通す人には無関係なるもの。他人の事など視野にはなく行動するので、「配慮」にて相手を思うシミュレーションは存在しない。だから、「配慮」なき人と接点を持つと、諍いなり騒動なりの問題が生じることになる。

 日本人というのは、他国の人たちと比較すれば、大人しく礼儀正しいというのが自慢の一つであったが、明治維新以降現在に至るまで、欧米化が進む中で、いつの間にか、自己中心的な考えを主とし、時には品性に欠けたり、粗野な挙動が目立つようになっている。

 しかし、そこに大きな勘違いがある事に気づかねばならない。実は、欧米文化の解釈において、曲解、拡大解釈などの誤謬が存在している。「個人主義」を「利己主義」と同一視したり、「Going may way」を「強引にマイウェイ」としたり、自分以外、他人への迷惑を考えぬ人のが圧倒的に多くなった。コンビニやスーパーで買い物をしている人の中に、結構見受けられる。

 また、「LADY FIRST」という言葉は、「配慮」の一つでもあるが、時代の変遷に伴い、「多様化の時代」となり、昔ながらの紳士淑女の典型的なものをどう捉え、どう解釈するのかは、国によって異なるようだ。

 ただ、性別や世代などに関わらず、「配慮」とは普遍的に価値あるコミュニケーションの基本の一つである。しかし、各国の歴史や多種多様な慣習が存在しており、何が最適、何に違和感があるなど、一概に断言はできない。

 されど、他国(海外)へ足を運べば、「郷にいれば郷に従え」は常識。勿論、他国のタブーに抵触しないのであれば、日本人らしい「配慮」や「気配り」、「もてなし」は体得しておく事で、他国においても日本人らしい所作(グローバルスタンダードを超越するもの)を披露できる事になる。

 自分は自分、他人は他人と豪語すれば、周囲に気を遣わず、気ままに生活できるようだが、生粋の日本人であれば、人に迷惑を掛けぬよう「配慮」すべきが、民度高き日本人であると言える。そこは、他国には絶対に譲れぬ、日本特有の優れた伝統文化及び善き慣習でありはしないかと・・・。


▼前川水源近くにて
HAIRYOKIJI


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写真・文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/20 12:00 am

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