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「ずんだれ上司」の存在

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 これは、一般企業に限らず、公務の世界でも、教職の世界でもどこでも、「ずんだれ上司」の存在は否めず、その悪役ぶりの話題は尽きない。

 「ずんだれ上司」とは如何なるものか!?

 若手に話を聞けば、兎に角、サラリーマン化しており、事勿れ主義であり、リスクを伴う仕事は部下に放り投げ、成功裡に進むような仕事は我が物顔でやるという人種のようだ。

 30年も一般企業で働いていると、かなり出来の悪い人はともかくとして、大抵、課長以上、部長などの管理職に就いている。特に、忖度上手な人は、役員の顔色を伺い、そつなく対応し、自らの足場固めをしている。

 若手の苦情は、ほとんど、その「ずんだ上司」がネックとなり、若手の意見やアイデアが「ずんだれ上司」のところで止められて、結局、若手の素晴らしい発想であっても、揉み消してしまうのである。

 筆者も若き頃に、「ずんだれ上司」が横のデスクに鎮座していたが、企画書を一所懸命書き上げても、筆者のデスクと「ずんだれ上司」のデスクの境目に積み上げるばかりで、全く決済する様子がなかったのである。

 痺れを切らした筆者は、とうとう、役員のところまで足を運び、実情を話すと、「あのバカな奴には構わんでいい。これから、直接、私に持ってきなさい。」と、「ずんだれ上司」をバッサリと切ってしまった。

 よって、翌日からは、部長職の「ずんだれ上司」へ印鑑を貰う必要が無くなり、筆者の企画書はすんなり上層部へ通るようになったのである。

 先般、若手の話を聞いていると、案の定、「ずんだれ上司」が仁王立ちで構えており、ひたすら若手の提案なりを潰しに掛かると嘆いていた。ある程度の職位に就くと、人は自らを過信し、不必要なところで力を発揮するようだ。すこぶる非生産的な現象である。

 企業の発展は、若手が如何に育つかに掛かっている。それを、上述のように、保身に精を出している「ずんだれ上司」がブロックするようでは、何年経っても、企業改革どころか、社内の空気は重苦しくなるばかりで、若手が育たなくなってしまう。下手をすれば、有能な人材が流出してしまう可能性も高いと言っても過言ではない。

 「ずんだれ上司」の存在は、悪しき慣習であった年功序列の名残りであるに違いないが、非生産的なことで社内を撹乱するようでは、洒落にもならない。そのような場合、正義正論をもって若手が立ち上がり、「ずんだれ上司」の根元を切ることが、その企業の将来のためではなかろうか。

▼「ずんだれ上司」のイメージ
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、一般的な職場で見られる問題点に焦点を当て、特に「ずんだれ上司」の存在について批判的に論じています。以下は、いくつかの評価ポイントです。

問題提起と明確なテーマ: エッセイは「ずんだれ上司」の存在に焦点を当て、その問題に対する著者の見解を明確に述べています。このような具体的なテーマがエッセイを読み進める手助けとなります。

経験を通した説得力: 著者が自身の経験を交えながら「ずんだれ上司」の存在について語ることで、エッセイに説得力が生まれています。経験を通して問題を浮き彫りにし、読者に共感を呼び起こす手法は効果的です。

具体例の使用: 具体的なエピソードや例を挙げることで、抽象的な問題を具現化しています。例として挙げた企画書のケースは、読者にとって理解しやすく、問題の実態を示す良い手法です。

提案と解決策: 著者は問題を指摘しただけでなく、解決策として「ずんだれ上司」に立ち向かう方法を提案しています。これはエッセイにおいて重要で、読者に対して問題の解決に向けたアクションを促す役割を果たしています。

構成と流れ: エッセイの構成は明確で、段落ごとに一貫性があります。情報が整理され、順序立てられた構成は読みやすさを提供しています。

言葉の選び方: 著者は比喩や表現を上手に用い、文章が冴えわたっています。これにより、読者の注意を引きつけ、著者の主張を際立たせています。

総じて、このエッセイは特定の問題に焦点を当て、それを具体的な経験や例を交えて論じ、最終的には解決策を提案するという構造がしっかりと備わっています。
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写真・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2023/12/4 12:00 am

偏見と思い込みの押し付け・・・

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 年配者の偏見と思い込みの激しさは、筆舌に尽くし難いほど、万とある。特に、若者に対する偏見や思い込みは、思いの外、何の根拠もないこともしばしば。己のキャリアを称賛し、常に上から目線で、あたかも若者が劣勢に立っているのが当然のような口調で語る毒舌者もいる。

 例えば、「今の若い奴は、馬鹿ばっかり!」と言い放つ、デリカシーのない年配者。自分自身の若き頃の「オイタ」を神棚に上げ、一方的に若者の未熟さの揚げ足取りである。「お前たちが反論するのは、100年早い!」など、以ての外。罵詈雑言を繰り返すだけで、若者の発想を認めない。

 更に、「どれだけ社会貢献してきたんだ?舐めた口を叩くんじゃないよ!」と、年功序列大好きな年配者の決まり文句である。それが企業などの組織ともなれば、「先輩に楯突くのか?明日からは机も椅子もなくなるぞ!」とか、「ふざけた事を言っていると、降格処分だ!」などなど。

 また、SNSなどでの「あるある」は、「私の子供みたいな歳なんだね!?まあ、家の娘と同じ歳なの?」と、やけに人様の年齢を気にする年配者。そこには、親と子の歳の差があることを明言し、既に上から目線で人様とコミュニケーションを図ろうとしている姿勢が見え隠れする。

 そんな具合じゃ、まともな会話も成り立たない。若者が何かについて質問しようとすれば、「そんな事も知らんのか?まだまだ、青いな!」と、せせら笑いをしながら、その若者の存在自体を愚弄する。よって、若者からすれば、「こんな質の悪いおっさんやおばさんから言われたくないわ!」と感じるに違いない。

 逆に、若者の偏見と思い込みはどうだろうか!?年配者とは異なり、社会人となって数年であれば、経験値が高いとは言えない。しかし、高学歴でプライド高き若者は、自分なりに自信満々に持論を展開する。勿論、正論もあれば、履き違えの稚拙な語りも無きにしも非ず。それは、それで面白く、許される。

 しかし、「あのジジイは棺桶に片足突っ込んでいるくせに、ふざけたこと言いやがって!」とか「俺の親父やお袋であるまいし、要らぬ世話が多い!」と内心穏やかでない事もしばしば。特に、他人の年配者から、分かりきったような、それも思い込み激しい言い方をされると、絶対に会話は成り立たない。

 他人様の年齢や性別、そして歳の差を気にする日本人が多いから、上記のような流れが当たり前の世界となっている訳である。若者がどんなにキャリアがなくとも、年配者よりも柔軟かつ大胆な発想を持っているに違いない。年配者が若者よりも社会経験が豊富なことなど分かり切っている。

 但し、年配者にも若者にも、その中間的な年齢層の人にも必要なことは、いくら歳の差があろうが、「敬愛の念=リスペクト」がなければ、決して素晴らしいコミュニケーションが取れるはずが無いことを知るべきである。相手を尊ぶことで、その話がよく理解できる。「聞く耳」ではなく「聴く耳」を持ってである。

 まあ、世代の垣根を飛び越えられない人たちは、上で指摘したような考え方やものの言い方を、デリカシーなく言う人たちだろうと考える次第。要は、「敬愛の念」と「聴く耳」を持てば、何の障壁もなく、世代の違いを感じることなく、愉快な会話が延々と続くことになる訳だ。

 「年功序列」、「女性蔑視」、「上から目線」、「価値なき経験論」、「根拠なき推論」を全て脱ぎ捨て、裸一貫でフラットな関係を保つことで、人間らしい、素敵なヒューマン・コミュニケーションが可能となることを、全世代の人たちへ申し伝えたい。実に簡単なことなのだが、理解できていない人が多すぎる。


▼孔子公園のカラー
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文責:西田親生

                   


  • posted by Chikao Nishida at 2021/5/17 12:00 am

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