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その道のプロに無償で仕事を依頼するものではない。

ningengaku


 これは自戒を込めた話であるが、筆者の専門分野について、「記事を読ませて頂き、勉強になります!」と言われることがある。この言葉には素直に嬉しく思う。

 気軽な質問は構わないが、何でも無償で求められるとなると、少々首を傾げてしまう。そのような人は稀ではあるが、厚顔無恥であり、相応の自己投資を積み重ねてきた者に対して、「便利屋」のように依頼する行為は、一切お断りすることにしている。

 筆者は、自らの意志で、様々なノウハウを盛り込んだ記事を執筆することがある。それを通じて他者が学びを得られるのは嬉しいことだ。しかし、どれだけ親しい間柄であっても、学びを得るための依頼は無償で行うものではない。

 例えば、ある特製ハンバーグの仕込みや焼き方について、匠のシェフに直伝をお願いしたことがある。その際、シェフには休みの日にわざわざ店に来てもらい、しっかりとノウハウを教わった。もちろん、ささやかながらお礼もさせて頂いた。

 だが、同行した料理人は、その特製ハンバーグを再現するのに7ヶ月も要し、今だに匠のシェフの域に達してはいない。よって、プロフェッショナルの教えを乞うには自腹を切る必要があり、そうしなければ表面的な自己満足で終わってしまい、身に付かないのである。

 これは、同行した料理人の「学ぶ姿勢」に問題がある。フレンチシェフとして成功したプロフェッショナルの教えを軽視している証ともいえる。その結果、特製ハンバーグの食感や味わい、オリジナルソースも未完成のままだ。妥協しているのか、あるいは理解が足りないのか、理由は不明。

 地方で仕事をしていると、無償で情報を得るのが当然と考える経営者も少なくない。このような価値観では、自己スタンダードがグローバルな基準に至るはずもなく、ピラミッドの底辺レベルにとどまるのは避けられない。

 こうしたとき、筆者は次のように諭すことがある。

 「小学生がチョンカケ独楽を見事に操っているのを見て、教えを乞うことと同じである。相手がどんなに年少であっても、自分ができないことを教わるのであれば、そこには師弟関係が生じる。つまり、小学生が先生であり、習う側の大人が生徒になるのだ!勿論、お礼を忘れずに!」と。

 しかしながら、どんなに諭しても理解できないのが、厚顔無恥で常識を逸脱した一部の大人である。そのような人間はいくら無償で情報を得たとしても、本物にはなれないのである。言うまでもないことであるが。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、専門的なスキルや知識に対する無償の要求が持つ問題点を鋭く指摘しています。特に、プロフェッショナルに対する敬意の欠如とその教えの価値を理解していない態度を批判しています。エッセイの筆者は、自らの経験と他者の例を引用し、専門知識やスキルを持つ人々への適切な対価の支払いが重要であることを強調しています。

文章は、無料で知識を得ようとする人々の姿勢が、真の学びや成長につながらないことを示しています。特に料理人の例は、プロフェッショナルから学ぶ姿勢の重要性と、その教えを深く理解し実践することの難しさを浮き彫りにしています。また、無償でのサービスを当然とする地方の経営者たちの態度が、グローバルな標準に到達することの障害になっていると警鐘を鳴らしています。

教育的な側面でも、小学生が独楽を操る技術を持つ場合の例えは、学ぶ姿勢と尊敬の念を象徴的に示しています。この部分は、年齢や立場に関わらず、知識やスキルを持つ人に対する敬意を払うべきだという普遍的な教訓を提供しています。

全体として、エッセイはプロフェッショナルへの適切な評価と尊重の重要性を説くとともに、教育と学びの真の意味を問い直す内容となっており、読者にとって考えさせられるテーマを提示しています。それにより、専門家に対する姿勢を見直す契機を提供する貴重な一文であると言えるでしょう。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/10/26 12:00 am

人の紹介を上手くできないのは、紹介される人を十分把握していないから。

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 先ず、簡単な例を挙げて、その紹介内容がどのようにイメージが変わるのかを検証してみることに。以下は、代理店Aさんが料理人Bさんを、企業経営者Cさんに紹介するシーンを思い浮かべて頂きたい。

<パターン1>
料理人のBさんを紹介したいんですけど。Bさんはイタリアンもフレンチもできるようなので、先々予定されているレストランにどうかと思い、話を持ってきました。都合がつけば、いつでもお連れしますので。彼との関係は同郷でもあり、友人のようなものです。

<パターン2>
Bさんはイタリアンにもフレンチにも精通している凄腕料理人です。ホテルレストランでのキャリアを持つBさんに、お会いされては如何でしょうか。商品開発など突出したスキルの持ち主であり、人望も厚く、引く手あまたであると聞き及んでいます。

 以上、簡単な紹介の例であるが、<パターン1>では、紹介される側のBさんが主役ではなく、Aさんが主役のようで、Bさんへの尊敬の念が見い出せない。更に、いつでも連れてこれるような軽々なイメージを与えてしまう。よって、Cさんは、Bさんのイメージが周囲の料理人と同等の存在のように植え付けられてしまう。

 それに対して、<パターン2>は、Bさんに対する尊敬の念が伝わり、周囲からも認められる逸材であることが分かる。「引く手あまた」という言葉を遣うことで、直ぐにでも会わねば他所が動き出すという焦りを与え、Cさんの心を動かす要因となる可能性が高い。

 このように、人を紹介するにあたり重要なことは、紹介される側の人の履歴やスキル、能力などを全て把握した上で、慎重に紹介することが鉄則である。紹介される側の人の「真価」をストレートに伝え、相手のニーズに最適である点を強調することで、その紹介は功を奏すに違いない。

 上の<パターン2>のように、Cさんが唸るような情報として提供することで、Bさんの「真価」が伝わり、Aさんもまた信頼性の高い情報を持ち込む、頼り甲斐のある人として評価されることになる。

 人を紹介するのは、口先だけで行えるような簡単なものではないことを、営業職や企画職の人間であれば、再認識しておくべきであろうかと。

 紹介される側の人への尊敬の念、敬愛の念がなければ、紹介される側の人のイメージダウンにも繋がりかねないので、慎重かつ正確に「真価」を伝えるノウハウが必要となる。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、人の紹介において重要なポイントに焦点を当て、具体的な例を挙げながら説明しています。以下に評価ポイントを挙げてみましょう。

具体例の活用: エッセイは具体的なシナリオを用い、異なる紹介パターンを比較しています。これにより、抽象的な概念を具体的な状況に結びつけ、読者に理解しやすくしています。

論理構造: エッセイは導入、例の挙げ方、それに続く分析、結論といった一般的な論文の構造を守っており、読みやすさを確保しています。

言葉の選び方: 適切な言葉選びが行われており、例えば「引く手あまた」といった表現は、被紹介者の魅力を引き立て、読者に印象付けやすくなっています。

論点の明確さ: エッセイの主題である「人の紹介が上手くできない理由」という論点が明確であり、それを論じるための論拠や具体例が適切に組み込まれています。

提案と結論: エッセイは問題提起から始まり、最終的には慎重で正確な「真価」の伝え方の必要性を提案しています。結論が論文の主旨と整合しており、まとまりがあります。

全体として、論理的な構成や具体例の活用など、良い論文の基本的な要素が含まれています。被紹介者の「真価」を伝える際には、細心の注意が必要であるというメッセージが分かりやすく伝わっています。
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写真・文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/12 12:00 am

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