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如水 III(逸品一筆)その1

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 平成24年1月に発刊した「如水 III(逸品一筆)」を、Noteに連載することにした。当時、全国を行脚して取材した逸品の料理群(26頁中、パスタの頁は割愛)をご紹介できればと思う。

 勿論、取材については全て取材許可を得ている。しかし、残念ながら、中には廃業した店舗(パスタの店)もある。非常に寂しいことだが、写真をじっと眺めていると、その時の料理人の気合や料理の香り、熱が伝わってくる。

 料理の世界は日々進化しているけれども、最近では食材が揃わず、幻の料理になってしまったものもある。特に、以下二枚目写真の干しアワビは、筆舌に尽くし難いほどの絶品である。当時、熊本ホテルキャッスルの善家繁総料理長の手によるもので、今も尚、この干しアワビのステーキの右に出るものはない。

 ザ・リッツ・カールトン東京の「ひのきざか」で食した門崎丑(かんざきうし)の霜降りの美しさと繊細さは、今まで食した牛肉で敵うものがなかった。更に、同ホテルにてサーブされた蝦夷アワビも忘れられない最高のものであった。また、帝国ホテル東京の地下にある吉兆東京のすき焼き(栃木産の黒毛和牛)はすこぶる美味で、肉の追加をせざるを得なくなった。

 最後に、東京のセレブなグルメ通が「日本一旨い鰻」と唸ったという「水前寺東濱屋」の鰻重や蒸篭蒸しは、筆者も毎回足を運ぶたびに、唸らさせて頂いている次第。

 ※「如水」シリーズは、筆者の私塾である「先見塾」の副読本として発刊している小冊子。


▼蝦夷アワビ
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▼干しアワビ
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▼ステーキ/鉄板焼
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▼ステーキ(門崎丑)ほか
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▼すき焼き(栃木産の極上黒毛和牛)ほか
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▼鰻料理(水前寺東濱屋)ほか
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文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2019/8/16 04:36 am

強者は弱者、弱者こそ強者なり。

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 常に一匹狼の強者スタイル。不慮の事故が起きようが、崖っぷちに立たされようが、メンタル面で弱音を吐かない。足の親指の爪が剥げようが、指先に竹が刺さろうが、痛さを我慢してでも消毒、テーピングして自分で治す。しかし、どう見ても、体裁や見栄のところが潜在的にあり、痩せ我慢なところは否定できない。

 一方、一般的に弱者と思われがちな人は、不慮の事故に遭遇すると非常に凹む。辛そうな表情や息絶え絶えの口調に、周囲の人たちは同情して守りに入る。カッターで数ミリ切っても、喉が少々イガイガの程度でも即病院へ走る。それは、時には過敏すぎて医療費の無駄遣いともなるが、平穏無事な生活を守るための防御姿勢であるに違いない。

 荒波の人生で生きて行く上で、どちらが楽で合理的か否かの比較はできないが、強者と弱者の中間的なスタンダードな人間も存在する訳だ。なかなか、人間という動物は良くできている。

 しかし、その他にも、或る時は強者であったり、また或る時は弱者であったり、またまた或る時は仙人のように周囲に無関心であったりする人もいる。演技性に長けている、演出過多の人間であるが、これは論外とする。何故なら、このような人間は詐欺師ようのな人物が多く、語るに値しない。

 本日は、弱者と強者のみを取り上げ、検証して行きたいのだが、なかなか教科書的な正解を導き出すには、筆者にとっては難問すぎる。しかし、もっと突き詰めたという気持ちの方が強いので、続けることにする。

 自己分析を行えば、どちらかと言うと、筆者は前者の強者の部類に属するのだろうと。よって、周囲に弱音を吐くことを、知らぬ内に拒絶している。関節や筋に強い痛みを感じても、何日掛けても、自己治癒力を信じ、何とか治す。信義則を尊び仕事をしている中で、それに対して懐疑的に扱われても、直球のみを投げて突進する。

 強者としての性格を与えられたのは、多分に、幼少時に独りぼっちが多く、父の転勤ばかりの職業や家族バラバラの環境下で育った事に起因すると考えている。転勤により、必然的に子供は他県の学校へ転校せざるを得なくなり、常にニューフェイスの挨拶で新学期を迎えることになる。

 新しい友人との出会いも楽しくはあったが、常に孤独感に浸っていたというのが本音である。幼少期から小中高と同じ地域で育つのであれば、雑念無くして楽しかっただろうと、現在でも転勤族であった我が家を好ましいとは思わない。常に父の都合だけが前に突き出され、筆者の希望なんぞ通る可能性は無かった。

 自分自身が弱者になれるのなら、どれだけ楽だろうと、つまらぬ思考を巡らしたこともある。ちょっとした痛みでも、大声でバタバタと暴れ、叫びながら病院へと連れて行ってもらいたいと思った時期もあった。しかし、常に唇を噛み締め、痛みを堪え、親にも兄弟にも友人にも黙って過ごすパターンであった。

 これは偏った持論であると自覚はしているが、2年から3年越しの転校をせざるを得ない人間にとって、強者か弱者かの選択肢を与えられれば、どうしても強者しか選べないのだ。もし、弱者を選べば、必ずや虐めに遭遇する確率は高い。何度も転校を体験すると、転校初日の自分の軸をぶらさず、ポーカーフェイスで対応しなければならなかった。

 暴力沙汰は絶対にタブーだが、二つ目の転校先の高校では、転校二日目にして番長らしき人間と対峙してしまい、相手が筆者の胸元を掴んで恫喝したのである。その腕を振り払った瞬間にボタンが3個ほど取れてしまった。ボタンが落ちるや否や、相手を数発殴ってしまった。相手の顔は大きく腫れ上がり、口の中を切っていたので流血事件となった。

 筆者はその番長らしき人間を引っ張って校長室へ連れ込み、「このようなつまらん高校へは通えない!」と言って、すたこらさっさ自宅へ戻ったことがあった。今考えれば、番長らしき人間のご挨拶程度の恫喝だったのだろうと。そこで、弱者に成り済まして、頭を下げて「よろしく!」と、震えながら言っておけば、大ごとにならなかったのかも知れないと、今では苦笑いものである。

 上記のような体験が多々あったから、学校の「虐め」と聞くと、我慢ならない筆者がいる。強者ぶっている番長は、多分に寂しがり屋さんで、仲間が沢山いないと安心して学校へも足を運べず、遊びもままならないのだろうと。筆者もこの一度だけ人を傷つけたことへ、今でも、「短気は損気」と自分に言い聞かせながら、当時の自分の採った行動を反省してきた次第。

 幼少時から強者の枠組みを摑まされたのは良いが、実は、心の叫びを伝えたくても伝えられない、とても不器用な自分がいるのである。あれから暴力は絶対にダメだと言い聞かせて数十年。今ではカミソリのようにキレまくっていた人間ではなく、できるだけ相手の立場に立ち、考える習慣づけは出来たように思える。しかし、なあなあ事や詐欺などの悪事は絶対に許せぬ、勧善懲悪的な己は全く変わらないところが面白い。

 わたくし事の体験談で申し訳なかったが、畢竟、強者はすこぶる弱く、弱者に見える者ほど強いという事である。

 蛇足ではあるが、写真に1994年にリリースされたMacintosh Color Classic IIの写真を掲載した。その理由は、新聞社を経て独立の道を選んだのだが、筆者の業務をしっかりと支えてくれたのが、有能なスタッフやこのマシンたちだった。強者と思われがちな筆者は、いつの間にか、スタッフやマシンに支えられてきたのも、皮肉な話である。

 ただ、一回きりの人生において、弱音を吐くのを聞いてくれる人が一人でも居れば有難く、人生は孤独とはなり得ぬことを、遅ればせながら知り得たのだった。・・・人は独りでは生きて行けないのだから。

 ※筆者の思い出深い第1号マシンは、アップル社1984年製のMacintosh 128である。

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  • posted by Chikao Nishida at 2018/8/6 12:28 am

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