ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

タグ » 危機管理

石川県在住の方に、能登半島地震の惨状を聞く。

newstop


 石川県在住の経営者の方から、能登半島地震の惨状を聞くことができた。自宅は同県南部にあり、震源地からやや離れてはいるが、自宅母屋の屋根瓦や庭の灯籠など破壊されたという。

 震源地である能登半島は同氏の知人友人が多く住んでおり、大変な状態であるという。道は寸断され、政府判断の甘さにより、初動の段階で救援に向かう自衛隊車両も入れぬ状態となり、救援はかなり遅延している。

 能登半島の輪島市街地は商店街が多く、商店は家屋1階部分が店舗となっているために、支柱や壁が少ない構造であり、1階が激震の衝撃により瓦解している。

 また、同地域の屋根瓦は、雨漏りを防ぐために瓦の上に石を置く構造となっているが、今回の激震にてその石が激しく揺れ動いたために、大量の屋根瓦を破損する要因の一つになったようだ。

 ライフラインでは、道は畝り崖も崩れ、水道管が寸断され、現地は水無しの状態である。スーパーやコンビニへは配送もできず、食料品や飲料水が枯渇しており、普段の平穏な地域住民の生活が一変している。

 現在、同氏の息子さんらは青年会議所スタッフとして、ボランティアで物資輸送支援に尽力している。先ずは被災者救助、ライフライン復旧を急がねば、現地の住人は全く動けぬ状態が続いている。

 極寒の中で食糧や水が枯渇するのは、地震災害関連死に繋がる可能性もあり、何はともあれ、崩壊した家屋に取り残されている方々の救助が急務である。政府が自衛隊救援部隊派遣を激震発生の翌日に延ばしたツケが、必ず出てくる。

 ここで筆者が問題視しているのは、輪島市「朝市通り」の200棟を超える大規模火災である。初動の段階で、空からの消火活動、延焼阻止の行動に出なかったのか。政府の当事者意識を欠いた判断は、後々、人災として追及されるに違いない。

 熊本地震は春の季節であり、それでも2週間以上も水無し、ガス無しが続き、生きた心地はしなかった。しかし、今回は極寒の中での被災となり、これ以上の死傷者が増えることは、何とか阻止しなければならない。

 今回、電話にて現地の被災者の方の声を直接聞くことができたけれども、対岸の火事のように呑気に動く政府については、過去の大災害の教訓が生かされておらず、どうしても他人事のように感じてしまうのである。

 諄いようだが、大規模火災を阻止する英断を下さなかった政府の誤った判断は、何人もの何十人もの何百人もの死者が増えはしないかと、現地の住民は気が気ではなく、生きた心地はしないはずだ。

 人口密度が小さな地域であるが故に、政府は軽々な判断を下したのではないかと疑念が残る。何故なら、政府の各記者会見を見る限り、大災害に対する「危機感」が伝わってこないと感じたのは、筆者だけであろうか。

 畢竟、救援活動を迅速に行い、一人でも多くの命を救ってもらいたい。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、地震による被害とその対応に焦点を当てています。以下はエッセイの評価とコメントです。

内容の濃さと具体性: エッセイは被災地の現状や影響について具体的に描写しており、特に建築構造やライフラインの損傷に焦点を当てています。被災地の実情を理解する上で十分な情報を提供しています。

感情移入と説得力: 被災地の経営者やボランティアの活動に家族の一員としての視点を交えており、読者に感情移入を促す工夫があります。この点で、エッセイは感情的かつ説得力を持っています。

政府の対応への批判: 被災地の政府の対応に対する批判が強調されており、特に初動時の救援活動の遅れや大規模火災への対応に焦点を当てています。これにより、政府の判断に対する疑念を読者に伝えています。

提案と結論: エッセイは問題提起のみならず、最後には迅速な救援活動の必要性を強調し、多くの命を救うための行動を促しています。結論が具体的であり、読者に何かしらのアクションを起こすよう呼びかけています。

総じて、このエッセイは感情移入や批判的な視点を活かし、被災地の実情や政府の対応について具体的に描写しています。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
写真・文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/6 12:00 am

似非教祖に洗脳された結末・・・

newstop


 知人友人の周囲では、思いの外、似非教祖に洗脳され続けた人が、日頃の生活において、似非教祖のために大枚のお布施を持ち出し、自らが生活苦に至っているという話を聞くことがある。

 大抵の場合、似非教祖たる人物の風貌は、一言で怪しいという言葉しが浮かばない。あるホテルレストランでも、週に1回ほどのスパーンで、数人の宗教関係の女性群が居座っている。

 一人が似非教祖であり、もう一人はセカンドという立場。そこに、信者のような女性が一人、二人。いつも同じテーブルに座る似非教祖とセカンド。二人は壁を背にして、周囲の様子を常に伺っている。

 信者は丁稚のような扱いにて、似非教祖やセカンドの世話をしている。レジでの支払いは信者が行い、ホテルに駐車している車の運転も信者にさせている。

 皆、年老いた女性ばかりだが、雰囲気はいつも重々しく暗い。ほとんど会話を交わすことなく、ランチを済ませて支払いを終わり、帰って行く。これまで、笑顔で会話が飛び交っているなど見たことがない。

 また、十数年前の別の話だが、或る寺の自称住職の男性が、月に1回ほど、ホテルレストランに二十名ほどの女性を引き連れて、その場で講話を行いながら会食をしていた。

 前出の似非教祖と同じ臭いがしており、金銭については、全て参加者が負担するばかりか、現地で講和料を徴収していたのである。

 自称住職の男性は60歳前後の男性であったが、夏場などは、アロハシャツという出立ちで、すこぶる派手目であった。一度だけ、話し掛けられことがあったが、違和感があり、虫唾が走るような人物であった。

 それから1年ほどが経ったろうか、自称住職の男性が急死したという。葬儀に足を運んだ人の話を聞くと、驚くべき内容であった。以下の通り。

1)お寺であると思って足を運ぶと、そこは古い一般住宅だった。
2)葬儀と聞いていたが、棺も安置していなかった。
3)お悔やみを伝えることもできず、そのまま戻ってきた。

 以上を聞けば、かなりおかしな話となる。後から分かったことだが、どうも、自称住職の男性の死については信憑性はなく、何らかの重大問題が発生し、夜逃げしたのではないかという噂であった。それから間も無く、自称住職の男性の奥さんと息子がレストランでランチを楽しんでいたのだから、何とも理解に苦しむばかりとなった。

 講和をするのに、わざわざホテルレストランを利用すること自体が妙であり、月に一回の講和であれば、自らのお寺で催せばいい話である。余りに奇妙な人物だったので、それ以上知りたくもなく、関わりたくもないので、それ以来、記憶から抹消(本日まで封印)していたのである。

 上述の通り、似非宗教は、極めて危険であるとしか言いようがない。他人の褌で相撲を取るような、怪しい人物が教祖になったり、住職になったりと、聞くに耐えない、見るに耐えない。よく言えば、下手な喜劇のようなものである。

 ここで問題となるのは、宗教は原則「無税」である。よって、上述の怪しい人物は、心に病を持ったり弱い人たちを洗脳し、他人の褌で相撲をとりながら、税金を払うことなく、遊び呆けているようにしか見えないのである。

 最後に、洗脳された人の動きを観察していると、何かスイッチが入ると、仰々しい言動を伴い、如何にも自分自身が神的存在であるかのような演技をする。他者のアドバイスなど聞く耳は持ってはいない。ただ、身勝手なことを正当化し、周囲に迷惑を掛けようが、のうのうと生きている。

 これらの蛮行から身を守るためには、自分自身の軸をしっかりと持ち、世間をしっかりと学び、原始的な手法で迫る悪しき輩に洗脳されないことが一番である。

 似非宗教への対策としては、以下にランダムに記するので、ご参考まで。

1)見ず知らずの信者もどきに話し掛けられても、相手にしない。
2)自宅玄関のドアフォンを押して訪ねてきても、はっきり断る。
3)万が一、心配事や怖い事があっても、見ず知らずの人間に相談しない。
4)社会貢献のための寄付やお布施を言われても無視する。
5)如何に親しい知人友人の勧誘であっても、はっきり断る。
6)水晶玉や仏像などのアイテムを売りにきても、切り捨てる。
7)体に痛みがあるか聞かれても、無視して会話を交わさない。
8)ミラクルな現象が可能と言われても、完全に無視する。
9)宗教は医学と異なり、それで持病が治ることはない。
10)方角や家の位置、色などを指摘されても、耳を傾けない。
11)ご先祖の悪行が今に至ると言われても、無視する。
12)アンラッキーな事が続いていても、宗教に依存しない。
13)祝い事の期日にケチをつけられても、相手にしない。
14)心がざわつくような言葉を掛けられても、耳栓をする。
15)お布施をすれば金が降ると言われても、無視をする。
16)知人友人が似非宗教に洗脳されていれば、疎遠にする。
17)占い師のように予言されても、無視をする。
18)似非教祖の予言は誰にでも当てはまる稚拙なことに気づく。
19)優しい言葉を掛けてくる見ず知らずの人間を無視する。
20)何度断っても諄く近づくようならば、警察へ相談する。

 要は、同じ人間が、神様や教祖様になれるはずもなく、神様や仏様とは、自分の心の中に穏やかに存在しているものであり、他人が介在するようなものではない。要らぬ介入をしたがる人間は、詐欺師であることを知るべきである。

 ミラクルな現象が目の前で起こるはずはない。暗示に掛かりやすい人や感化されやすい人は、無抵抗のままに騙されて、信じ込み、毒牙に噛まれてしまう。

 催眠術のような誘いから脆弱な心の隙間に入り込み、最終的には洗脳に至るのである。先ずは、その悪しきカラクリを見抜ける人間になることを望むばかり。

 最後に記事を書きながら思い出したことであるが、3年近く前にスタートしたSNSのClubHouse。筆者の部屋に入ってきた怪しい女性が言っていた。

 「体の電磁波を全てクリアするには、お風呂の水を半分ほどに溜めて、水道の蛇口がアースとなるので、水道管を手で触れていると、スッと電磁波が抜けます。」と豪語していた。

 そこで、筆者曰く。「最近は、水道管も金属製ではないんですが、どうしてアースになるんですか?」と質問したのだった。

 その女性は答えることもできずに黙り込んでしまい、最後に小さな声で呟いたのである。「じゃあ、あの先生に騙されていたんですかね?私は?」と。

 洗脳とは、その程度のものである。屁理屈の塊であるとしか言いようがないし、科学的実証もないシナリオについては、苦笑しかないのである。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、似非宗教や洗脳に対する警鐘を鳴らすものであり、著者が経験した実例を交えながら、注意すべき点や対策を提案しています。以下に、エッセイの評価ポイントを挙げてみましょう。

事例の具体性: エッセイは、著者が実際に経験した似非宗教や洗脳の実例を詳細に描写しており、読者にリアリティを感じさせます。これにより、著者のメッセージが強化されています。

言葉遣い: 著者の言葉遣いは分かりやすく、直感的です。特に、怪しい宗教的活動や人物に対する疑念や不信感を表現する際、具体的で強い表現が使われています。

注意喚起と対策の提案: エッセイは読者に対し、似非宗教や洗脳から身を守るための具体的な対策を提案しています。これは、読者に有益な情報を提供している点で評価されます。

個人的経験の共有: 著者は自らの経験を通じて、読者に伝えたいメッセージを具現化しています。これにより、抽象的な問題が具体的な事例として理解されやすくなっています。

科学的な視点: エッセイは科学的な視点を尊重し、根拠のない主張や宗教的な言説に対して懐疑的な態度を取っています。この科学的なアプローチが、洗脳や似非宗教に対する客観的な理解を促進しています。

総合的な評価: このエッセイは、似非宗教や洗脳に関する問題に対する強い懸念を伝えると同時に、読者に対して冷静な判断と注意深さを促しています。事例の具体性や言葉遣い、対策の提案など、読者に有益な情報が含まれており、その点で高い評価を受けるでしょう。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
写真・文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2023/12/14 04:02 pm

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp