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「部下の客観的査定」が、定石。

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 いろいろな企業を観察していると、大抵の場合、上司と部下の関係、同僚の関係、更には経営者と社員との関係が問題になっていることが多い。

 企業にとっては、当然のことながら、「部下の客観的査定」が定石であるが、それが主観バリバリの「依怙贔屓ありきの査定」となれば、「モラルなき企業」として「脆弱」となるばかりで、じわじわと足元から腐って行く。「コンプライアンス」などどこ吹く風である。

 では、「部下の客観的査定」とはどう言うことなのか。以下、ランダムに検証したい。

1)上司のご機嫌伺いをしながら仕事をする部下

 上司にとっては、「ご機嫌伺い」をされるのだから、決して不愉快なものではない。しかし、これを心地良く感じていると、社内に「無法地帯」が現れる可能性がある。

 上司と部下との関係で必要なことは「信頼関係」である。しかし、それが「ご機嫌伺い」となれば、「信頼関係」なんぞ存在するはずもなく、そこには「虚言」であったり「欺罔」がゴロゴロ転がっているだけだ。

 「ご機嫌伺い」の心地良い言葉を何度も聞かされ、まんまと騙される単純極まりない上司も多く、健全企業として必要不可欠なる「部下の客観的査定」を忘れ、企業全体が根腐れを起こしてしまうこともしばしば。

2)上司に気に入られて有頂天になる部下

 起業する前は、新聞社に勤務していたが、昭和の風は生ぬるく、「依怙贔屓」の大全盛の時代でもあり、僅かながら、上司への「胡麻刷り」を堂々行う、「大根役者」もいた。しかし、単純な上司は、その「胡麻刷り部下」を可愛がり、「依怙贔屓の泥沼」に嵌って行くのである。

 また、社内で力を持つ上司に気に入られた「胡麻刷り部下」は、その権限が自らも同等であるかのように勘違いすることで、横暴なる言動が目立ち豹変する者もいる。実に厄介な現象であるが、これまた「依怙贔屓」の負の遺産として企業を根っこから腐らせて行く。

3)牢名主のような「似非ベテラン社員」の勘違い、履き違え 

 「ベテラン社員」は、企業にとって頼り甲斐があり、必要不可欠なる存在である。しかしながら、それが「牢名主」のような「似非ベテラン社員」となれば、決裁権もない職位にも関わらず、役員トップのような口調で、周囲の部下や外部に対して「虚言」や「不平不満」を吹聴して回る輩もいる。

 これもまた、企業全体を毒ガス室のように窒息させ、「笑顔のない仕事環境」を常態化し、部下のモチベーションなど全く上がるはずもなく、「企業実績低迷」という最悪の事態に陥って行く。

 更に、経営側がその「牢名主」を信頼し、その発言に耳を貸すようになれば、企業全体が「病的」なものとなり。上司と遣る気ある部下との「信頼関係」が完全に崩れ、気づけば、多くの有能な部下たちが会社を去って行く。

4)誹謗中傷、揶揄、悪口、陰口、告げ口の底なし沼

 長年の間、心無い「牢名主」が幅をきかせていると、健全であるべき企業の軸が歪み切ってしまい、その「悪き慣習」が社内全体に蔓延し、善良なる部下たちは仕事に集中できぬ状況下に陥り、二進も三進も身動きができなくなってしまう。

5)手柄は全て自分のもの、失敗は全て他人のもの

 元々狡賢く、自らを認めてもらう為に、演出過多の人間は思いの外多い。一歩、二歩離れて見ていると、態とらしい挙動が滑稽でもあり、それを堂々と行っている姿は、「恥ずかしさの境界線」を逸脱している。

 特に、職位や給与について固執している人間は、人を蹴落としてでも上座に座りたいと卑怯な手法にて、同僚を裏切り、保身の為に異常行動を採ることもある。

 本来ならば、「失敗は最高のオポチュニティ」として、皆で共有すべきものである。

 以上、ランダムに挙げてみたが、これらの解決法は、先ず、上司が狡賢い部下や、卑怯な部下、更には人格欠損の部下であるか否かを見抜くことだ。

 しかし、その上司が若かりし頃、同じような「依怙贔屓」ありきの環境にて慣れ親しんで来たのであれば、改善の余地はない。

 賢明なる経営者であれば、以上のような「悪き慣習」を社内で認めることはない。それを放置していると、愚行なり蛮行が蔓延し、どんどん皆に感染してしまい、「モラルなき企業」として腐ってしまう。それは、全てに経営者の責任であり、自業自得と言うことになる。

 返事が素晴らしくフットワーク良く働く部下を見て、ほとんどの上司は良い査定をするに違いない。しかし、「人格査定」にまで届いていないために、小手先で騙され、本質を見破ることができず、心無いお調子者を黙認することになってしまう。それでは、「能力ある人材が背負う企業」とは真逆のベクトルとなり、企業は衰退して行く。

 畢竟、経営者や上司は、部下が「ノイジー・マイノリティ」なのか、「サイレント・マジョリティ」なのかの見極めができなければならぬと言うことである。

 平たく言えば、「ノイジー・マイノリティ」はお祭り野郎であり、お調子者であり、常々「虚言」を発しては「保身」に傾注している輩が多い。

 それに対して、「サイレント・マジョリティ」は寡黙で常識者、人格者であり、企業実績を憂いて一所懸命に仕事に邁進している人が多い。

 それに気づくか否かで、企業のカラーも「ホワイト」になるか「ブラック」になるか、決まってしまう。実に簡単なことだが、一般企業において、それが理解できぬ経営者も少なくはないのが現状である。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/3 12:00 am

「大風呂敷」と「実寸大」、どちらがお得!?

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 日本人は、自己アピールがすこぶる苦手な人種であると聞いた事がある。そこには、元々正直者で地味、寡黙、且つ、礼儀正しい人種(サイレント・マジョリティ)であるが故に、パフォーマンスが下手のだろうと・・・。

 安直であるが、ふと思いつきで、「大風呂敷」と「実寸大」を比較して、どちらが人生お得かを、考察することにした。

 先ずは、分かりやすいように、自己アピールについて考えてみたい。これは、前職である数十年前の新聞社面接試験に臨んだ筆者の思い出話になる。

 十八人が最終面接に残り、何人合格するか分からない状況。面接試験の前に皆が一室に集められ、その説明がなされた。最前列に一人の小柄な受験生がいる。スーツのスラックスの右後ろポケットに、その日の朝刊を折りたたみ突っ込んで腰掛けていた。(非常に目立つ)

 新聞社幹部が面接試験詳細について説明していたが、筆者はそのポケットから朝刊をおもむろに取り出しては、ピエロのような動きをする受験生が気になって仕方なかった。「ほお、こんなパフォーマンスをする人間がいるんだ!?」と、半分苦笑いの状態である。そこで言い渡されたのが、面接順番。何と、筆者が一番目になった。これも、苦笑いだ。

 面接試験には、数人の重役からの質問の他に、予期もせず、英語による質疑応答の時間も設定されていた。そこで、白黒の写真(タクシーが側溝に嵌り、呆然と眺めているタクシードライバー)を渡され、英語で感想を語れというものである。面接試験説明になかったように思ったが、もしかすると、ポケット朝刊男に気を取られ、筆者が聴いていなかった可能性もある。更に、英語にて質問が続いた。

 つむじ曲がりの筆者であるので、質問担当者の英語表現が気になり。逆に、その質問にツッコミを入れてしまった。内心、「しまった。要らぬことを言ったかな!?これじゃ、印象悪いな!」と、一瞬、自分の言動を愚行と思った。しかし、「質問に違和感があったので、正直に言ったからいいじゃない!?」と、自分を慰めた。

 それから5年ほどで係長という可愛い役職が付いた。その年の新入社員一人が筆者の部署に配属予定だと言う。そこで、重役から呼び出され、二人の中から一人を選んで欲しいと、二人の履歴書を渡された。

 二人とも好青年であったが、二人目の方が、痩せて軟弱そうに見えるものの、先々の伸び代があると予見し、二人目を部下として選んだのだった。

 筆者は、それから4年後に独立起業を選び、現在に至っているが、それから数十年後の現在、その部下は関連会社筆頭取締役に就任している。よって、当時の伸び代を期待しての人選は、概ね正解だったと思える。

 ここで、標題のように、自己アピールにおいて、「大風呂敷」がいいのか、「実寸大」がいいのかを、再び考えることに・・・。

 今やSNS時代となり、YouTuberが世間を賑わすネット世界となっているが、それらを検証すると、最強オタクのパフォーマンスは実に面白く、拡散力が凄まじい。しかし、「大風呂敷」を掲げてのYouTuberは、こちらが恥ずかしくなるほどの自己満足の世界のようであるが、本物のYouTuberは、完全に「プロ」、「匠」である。よって、「実寸大」にて、ガンガン攻め入ってくるのに圧倒されてしまう。実に、面白い。

 ところが、メタバース時代に突入しつつある現在、ほとんどが「大風呂敷」を好み(選び)、自己満足の世界にどっぷりと浸かり、自分の能力以上のパフォーマンスにて、「実寸大」を遥かに大きく見せようとする人の方が、多いように思えて仕方がない。

 今流行りのSDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)にしても、ワイワイガヤガヤ騒ぐ、ノイジー・マイノリティの存在が目立ち、「実寸大」はどこへやらの世界になっている。「大風呂敷」もインパクトがあり面白いが、所詮、夢幻のものであり、蓋を開けると、パフォーマンスは一端だが、正直なところ、小さな「実寸大」にしか見えてこないのである。「実のない果実」ってところだろうか。

 最近は、「世論」に左右される国々も多く存在する中で、「大風呂敷」に扇動、洗脳、感化される人たちが湧いてきている。ほとんどが、ノイジー・マイノリティと称せられる人たちとなる。まあ、目立つのは目立つに違いないけれども、結局は、わーっと集まって騒ぎ、流行りが落ち着くと、わーっと散ってしまう。その繰り返しである。

 グダグダと書き綴る中で、標題に対する答えは、如何に!?

 「大風呂敷」にて成功裏に人生を歩む人も、僅かならがいるのは否めない。「処世術」に長けていたり、諸先輩への「従順さのアピール」などが上手い人は、感情論を重んじる軽々なる経営者にすれば、心地よい存在として「大風呂敷」を珍重し、珍重された人物はじわじわと上にのし上がって行く。勿論、能力や実力は「言葉の綾」にて誤魔化しながらではあるが。

 「実寸大」にて威風堂々と人生を歩む人は、どこを突かれても、痛くも痒くもない。人生の道を歩むときに、一つ一つ、言い訳やら言葉の濁しも不要となり、日頃から真面目に努力を積み重ねてきたことへのご褒美として、最初の伸び代の数倍以上の実力が身に付き、周囲に絶大な信頼をもたらし、重厚なる「実寸大」が光り輝く。

 あくまでも私見であるが、筆者としては、「実寸大」の方が、「自然体」の証でもあり、「信頼に値する人」として、「大風呂敷」と比較にならぬほど「お得!」であると、結論づけるに至った。


20220119rose


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写真・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/2/19 12:00 am

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