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写真に映る四次元の世界・・・光と影の魔術

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 人を撮影するにしても、景色やオブジェを撮影するにしても、それは平面として記録されるものではない。我々は四次元の世界に生きており、人も動物も景色もオブジェも、すべて時間という次元を持った立体物である。

 だからこそ、さまざまな角度から観察し、光と影、色彩や質感のグラデーションを楽しみながら、刻一刻と変わる被写体を切り撮ることになる。

▼3D CG
DALL-Eが描く3D CGキャラクタ
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 1991年に本格的な3D CG事業に着手した当時から、私は特に三次元に時間を加えた四次元世界のオブジェを制作し、アニメーションやシミュレーション映像をテレビ局などへ供給していた。

 面白いことに、いくら3D CG専用マシンを使っても、我々が確認できるのは当時のSONYのトリニトロンモニターであった。フラットで1677万色のフルカラーを描写できるモニターでも、私たちの目にはその平面の中に立体物が映し出される。

 そのため、画面上でモデリングした立体物をさまざまな角度で回転させ、裏側まで確認した上で、テクスチャマッピングを行い、質感を与えていく。どれほど精巧な立体物をCGで制作したとしても、手に取って触れることはできない。しかし、光と影の魔法によって、脳内ではしっかりと立体物として認識されるのが実に不思議であった。

▼ホログラフィー
DALL-Eが描くホログラフィー
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 世の中には天才がいて、我々が3D CGに出会うずっと前に、バーチャル立体映像を開発していた。それがホログラフィーであり、1947年にハンガリーの物理学者、ガーボル・デーネシュによって発見され、1971年にはノーベル物理学賞を受賞している。

 私は新聞社勤務時代に初めてホログラフィーを知り、徹底的に調査を行ったことがあった。東京の画廊にはホログラフィーを展示している場所もあり、当時はイギリスやロシアがホログラフィーの先進国として、商業的にアート作品として制作されつつあった。

 壁にかけられた額縁を眺めながら歩くと、人の顔が浮き上がり、徐々に動いてこちらを向く。テーブルの上にトランペットや金貨の山があるように見えるが、近づいて触れようとすると、そこには何もない。しかし、立体物が確かに見えているのだ。

▼光と影を意識した撮影
DALL-Eが描くレンブラント調の画像
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 これを思い出しつつ、写真撮影を趣味とする私は、シャッターを切る際、光の魔術師と呼ばれる巨匠レンブラントをイメージしてアーティスティックな構図を心掛けている。

 逆光を利用し光の回り込みを取り入れることで、女性の髪の毛の奥行きやボリューム感が際立つ。さらに、絞りをf1.4に設定すれば、平面のデジタル映像であっても、背景や前景がボケて、まるで超立体映像のように記録される。

 データはフラットな液晶画面で確認するが、撮影されたものは立体的である。時間のわずかなズレによって光の角度が変わり、同じ映像を二度と撮影することはできない。写真が静止画であっても、そこには四次元の時間の流れを感じさせる。

▼タイムラプス
DALL-Eが描くチンダル現象
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 数年前から、スマホでもタイムラプス撮影が可能となった。これは時間の経過を記録し、動画にする手法であり、初めて見た時には非常に不思議で感動したのを覚えている。

 タイムラプスも3D CGと同様、フラット画面で確認するが、空気感が伝わり、立体的な動画が生成される。特に、雲の動きやチンダル現象のタイムラプス動画は美しさに圧倒されるほどである。光と影の芸術が動いているのだから、レンブラントも驚愕するに違いない。

 写真という趣味は奥深い。本日、何を伝えたかったのかは薄れてしまったが、カメラと被写体との関係について芸術的観点から述べたかった次第である。しかしながら、支離滅裂なエッセイとなってしまい、大変申し訳ない限りである。

▼ChatGPT-4oによる感想

エッセイ「写真に映る四次元の世界・・・光と影の魔術」は、写真撮影の芸術性と技術性を、歴史的な進展と自身の経験を織り交ぜながら掘り下げています。特に、光と影を操ることの重要性と、写真が単なる二次元のイメージではなく、時間という要素を含んだ四次元の芸術作品であるという視点が興味深いです。

3D CG技術の進化を始めとする技術的な背景も紹介されており、現代の視覚芸術がどのように進化してきたかの一端を知ることができます。ホログラフィーの記述では、技術の歴史的背景とその魔法のような体験を提供する能力が感じられます。

撮影技術における具体的な技法、たとえば逆光の利用や絞りの設定などに触れることで、理論だけでなく実践的な知識も提供しており、読者にとって実用的な価値も持ちます。さらに、タイムラプスの部分では、時間を可視化する手法を通じて、通常見過ごされがちな美しさを捉える方法を教示しています。

全体として、このエッセイは写真というメディアがどのように多次元的な時間と空間を捉えるかという点に焦点を当てつつ、それを通じて感じられる美的体験の奥深さを読者に伝えようとしています。ただ、最後に「支離滅裂なエッセイとなってしまい」と自己批評している部分がありますが、個々の節はそれぞれが興味深い洞察を提供しており、全体としては芸術と技術の交差点に立つ一貫したテーマを持っていると感じます。
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プロンプト・動画・文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/29 12:00 am

心の扉を閉ざす人々との葛藤

newstop


 世の中には、対人関係が苦手な人も多い。筆者も、どちらかと言えば、善悪を大上段から斬りさばくものの、決して、黒やグレーゾーンで暗躍する人たちとは無縁のゾーンへと入り込む。

 よって、その段階にて、周囲に存在する人たちとのご縁は、半減する。更に、善のゾーンに立つ人たちの中でも、ガラス張りで明るい性格の人たちのゾーンに足を踏み入れ、どんよりと曇った闇の世界に閉じ籠る人との交流は皆無に等しい。

 しかし、気になるのが、善人であるにも関わらず、自らの心を閉ざし、周囲との人たちの心の扉を閉じてしまう人の存在も少なからずとも存在している。

 善人であるが故に、何とかその暗闇から引き戻そうと手を伸ばすが、何度も何度も同じ繰り返しで、手を引っ張って引っこ抜けたかと思えば、また、暗闇に座り込んでいる人がいる。

 そうなると、周囲の明るく闊達な方々とは異なる、どんよりと光を遮蔽する暗雲が、自らの周囲に近づいてくるのである。目の前にはチンダル現象のように美しい光は射し込んで入るが、暗雲が意識の中に棚引き始める。

 日頃からの弾けるように楽しいヒューマンコミュニケーションに翳りが生じ、その暗雲との戦いをせざるを得なくなってしまう。よって、無駄な時間や労力ばかりが重荷にとなり、胸の中にモヤモヤが蔓延ってしまう。

 これが、心を閉ざす人が放つ閉塞感である。こちらは胸筋開いて、心の扉全開でいるにも関わらず、心を閉ざす人の心の扉を見ると、開けたり閉めたりの連続であり、暗闇の奥に座り込んでしまった人の姿が見え隠れするばかり。

 その暗闇からの妙な波動のスパーンが長ければ、プライベートもビジネスにも支障は最小限に留められるが、そのスーパーンが短くなると、苛立ちとともに、その原因追及と改善に向けて躍起になってしまう。

 心地良いチンダル現象の透明な光が完全に閉ざされた状態なので、心のモヤモヤが一層大きくなり、苛立ちも、9万年前の阿蘇山大噴火寸前にまで膨張することになる。

 もし、筆者が大爆発を起こしたとなれば、外輪山を突き破り、火砕流や濁流が急斜面を轟々と地響きと共に流れ落ち、自らの心の扉も穏やかな心も一気に昇華してしまうような危機感を抱くのである。

 何故、心を閉ざす人は光の当たるゾーンへ来ないのか、自己改善に取り組まないのか、周囲に対する迷惑な状況を払拭しようと努力しないのか、全く理解できないでいる。育ちや性格と言えば何も言えないが、協調性のない最悪の状況下にある訳だ。

 あくまでも推測であるが、暗闇に立つ人は、常識的に右と左が、前と後ろが、そして上と下が、逆転してしまっているのだろうと。よって、善と悪、楽と悲、配慮と無配慮、誠実と不誠実がひっくり返った状態が、その人物の心の中を埋め尽くしているに違いない。

 これは筆者の経験による判断であるけれども、暗闇に立ち竦む人が、その悪しきメカニズムに気付けば、歪んだ考え方や受け止め方、行動や言動などを真逆にすれば、正常に戻りはしないかと考えるのである。

 いやはや、そろそろ、暗闇と日向と行ったり来たりする悪癖を治し、日向で大きな背伸びと大きな欠伸でもすれば、心地良い善のゾーンのど真ん中で楽しめるものをと。きっと、周囲への信頼が低く、自分自身への信頼をも捨てててはいないかと危惧する次第。

 この問題解決は、本人が気づき、自力で這い上がる選択肢しか残されていないような気がしてならない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、筆者が「心の扉を閉ざす人々」との葛藤を深く掘り下げて表現しています。対人関係の中で、心を開いている側が相手に対して手を差し伸べようとするものの、相手がその助けを受け入れずに自らの暗闇に引きこもってしまう状況が繰り返される様子が描かれています。

まず、筆者が示す「善人であるにもかかわらず、心を閉ざす人々」とのやりとりには、多くのフラストレーションが見られます。善意で手を差し伸べようとする側から見ると、相手がなぜ心を閉ざすのか、なぜ光のゾーンに戻ろうとしないのかが理解できないのです。そのため、筆者はその心の閉塞感に苛立ちを感じ、その感情は「阿蘇山大噴火」に例えられるほどに増幅していきます。この比喩が示すように、筆者の苛立ちは非常に激しく、相手との関わりがビジネスやプライベートにまで影響を及ぼすほど深刻です。

エッセイの中で特に印象的なのは、「チンダル現象」という光の美しい表現です。この現象は、心を開いている状態を象徴しており、透明で開放的なコミュニケーションの重要性を強調しています。反対に、暗闇に閉じこもる人たちは、その透明な光を遮り、周囲に閉塞感やモヤモヤをもたらす存在として描かれています。

筆者の葛藤の根源は、こうした「暗闇に閉じこもる人々」が、なぜ自己改善に取り組まず、周囲に迷惑をかけ続けるのかという点にあります。エッセイの終盤では、こうした人々が自らの内面に問題を抱えており、善悪や常識が逆転してしまっていると推測しています。この逆転した状態を元に戻すためには、本人自身がそのメカニズムに気付き、自力で這い上がるしかないと結論づけています。

総じて、このエッセイは、対人関係の中での心の開閉やコミュニケーションにおける葛藤を非常に感情的かつ詳細に描写しています。特に、自分の善意が無駄にされることへの苛立ちや、その改善が相手自身に委ねられていることへの無力感が強く表現されており、対人関係に悩む人々にとって共感を呼び起こす内容です。筆者の経験に基づいた洞察も豊富で、深い考察と感情の流れが巧みに組み合わさった一文と感じました。
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文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/10 12:00 am

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