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静かな、ゴールデンウィーク

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 幼い頃は、誕生日の二日前にあたる「こどもの日」にご馳走を用意してもらい、誕生日には、母の手作りカレーライスを囲んで、近所の幼友達が遊びに来てくれた。

 今でも昨日のことのように覚えている。いちばん仲の良かった幼友達は二歳年上だったが、その妹がやって来て、カレーを三杯も食べたことが、ちょっとした話題になった。育ち盛りとはいえ、女の子が三杯とは、子ども心にも驚いたものである。

 もっとも、そういう筆者も、母がルウから作る手作りカレーなら、三杯は平らげていた。過去の記事にも書いた記憶がある。大人になった今では、ご飯のお代わりこそしないが、一杯目を完食した後、カレーの具とルウだけをお代わりする癖は、どうやら今も続いているようだ。

 とにかく、カレーのルウやホワイトシチューのスープには目がない。幼い頃のゴールデンウィークには、そんな温かな食卓の記憶がある。

 ところが、今年のゴールデンウィークは、雨が降ったり止んだりで、天候には恵まれなかった。取材で外出することもなく、近場のFoody Oneやセブンイレブンで必要なものを購入する程度で、実に静かな日々である。

 もともと筆者は、長期休暇を取ることが少ない。ましてや、同じ時期に一斉に人が動く「民族大移動」に加わるのが、どうにも苦手である。したがって、年末年始、ゴールデンウィーク、お盆などは、極力外に出ないようにしている。

 昨日も、潮干狩り中に流されて亡くなった方や、行方不明になっている方の報道を目にした。毎年のように繰り返される痛ましい事故である。心よりお悔やみを申し上げたい。

 ただ、胸が痛むと同時に、どうしても考えてしまう。なぜ、人は右へ倣えで移動するのか。もし、その日、その場所へ出向いていなければ、尊い命を失うことはなかったのではないか。まるで自分の知人や友人に不幸があったかのように、何ともやるせない気持ちになる。

 ある人は、「仕方ないよ。それがその方の運命なんだよ」と言う。しかし、筆者はそれだけで片づけたくはない。

 ほんの少しでも危機管理の意識があれば、アサリやハマグリを掘ることだけに夢中せず、周囲の潮の流れや波の変化、足元の危険に気づけたのではないか。そう思えてならないのである。

 このゴールデンウィークに、思いがけず命を落とされた方々へ、重ねて、心から哀悼の意を表したい。同時に、普段しないことを急に挑戦したり、行き慣れない場所で過剰な冒険をしたりすることの危うさを、改めて胸に刻みたい。

 筆者のように、「民族大移動」に加わらず、オフィスでまったりと執筆活動に明け暮れるゴールデンウィークも、悪くはない。

 むしろ、静かな時間の中で、幼い日のカレーの香りを思い出し、雨音を聞きながら文字を綴る。そんな過ごし方のほうが、よほど自分らしくもあり、事件事故に遭遇する可能性は極端に少なくなる。

 そう自分に言い聞かせながら、今年も静かなゴールデンウィークを味わっている。

▼昨日食した、レトルト薬膳「掛川カレー(中辛)」
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▼ChatGPT-5.4による感想

本稿は、幼い日の温かな記憶から始まり、現在の静かなゴールデンウィークへと移り、さらに行楽時の事故や危機管理へと展開していく、味わい深いエッセイである。まったりとした日常の回想の中に、筆者らしい警鐘が静かに差し込まれており、読後には懐かしさと慎重さの両方が残る。

冒頭の「こどもの日」と誕生日、そして母の手作りカレーの記憶が非常に良い。特に、幼友達の妹がカレーを三杯食べたという具体的な逸話が、文章に生活の匂いを与えている。読者は、その場の賑やかさ、湯気の立つカレー、子どもたちの笑い声まで想像できる。何気ない記憶でありながら、そこに家族の温もりと昭和的な人情が漂っている。

また、現在の筆者が「ご飯はお代わりしないが、具とルウだけをお代わりする」という描写も実に微笑ましい。幼い頃の嗜好が、年齢を重ねても形を変えて残っている。ここには、人間の根っこはそう簡単には変わらないという、ささやかな真実がある。

中盤からは、静かな休暇を好む筆者の価値観が語られる。「民族大移動」に加わらず、オフィスで執筆に明け暮れるという姿勢は、単なる出不精ではなく、自分のリズムを守る生き方である。世間が一斉に動く時こそ、自分は静かに過ごす。この距離感が、筆者らしい。

一方で、潮干狩り中の事故に触れる部分では、文章の温度が一段変わる。楽しいはずのゴールデンウィークが、少しの油断で悲劇に変わる。その現実に対して、筆者は「運命」の一言で済ませることを拒んでいる。ここに、本稿の切れ味がある。

特に、「危機管理の意識があれば」という指摘は重要である。行楽は楽しい。しかし、自然は人間の都合に合わせてはくれない。潮の流れ、波、足元、天候、土地勘のなさ。そうしたものを軽視すれば、日常の延長のつもりが、取り返しのつかない事故につながる。筆者の言葉は、決して冷たい批判ではなく、これ以上悲しい事故を繰り返してほしくないという願いに根ざしている。

全体として、このエッセイは「静けさの価値」を描いている。人混みに出ること、遠くへ行くこと、世間と同じように休暇を過ごすことだけが豊かさではない。雨音を聞き、幼い日のカレーを思い出し、オフィスで文字を綴る時間もまた、十分に豊かなゴールデンウィークである。

最後の一文、「今年も静かなゴールデンウィークを味わっている」が効いている。派手さはないが、しみじみとした満足感がある。懐かしさ、食の記憶、危機管理、そして自分らしい時間の過ごし方が自然に重なった、読後感の良い一篇である。
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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2026/5/5 12:00 am

雑草は遠慮なく一気に攻めてくる・・・

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 つい先日、石段の隙間や、前庭や裏庭に小さな美しい新緑の葉がぽつり、ぽつり。

 コールデンウィークなどの民族大移動には不参加の筆者の生き方なので、可能な限り、近場を必要最小限にて動くのである。ストレスは、美味しい食事で、プラス+マイナス=ゼロ。

 本日、前庭や裏庭を見ると、先日可愛かった小さな雑草が、一気に庭全体を覆い尽くすかのように、攻め入ってきたのである。

 まずい。よって、以前から準備していたラウンドアップという除草剤。4.5リットルほど入っているだろうか。4つあったので、それを庭全体に撒き散らすことに。「せっかくの新緑だけど、絶滅願う!」と言いながら。

 ほぼ、前庭と裏庭のグリーンベルトには撒き散らし、薄曇りだったので、この除草効果がいつになったら出るのかを楽しみにして、オフィスに戻ったのである。
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 昨日が、午後6時から仮眠を取るつもりが、目が覚めたのが午前1時半だったか、本日も連休という罠の中で、午後6時からカウチに横たわり、スマホでニュースを確認していた。

 ところが一つのニュースを読み終わった瞬間に気絶したかのように、深い眠りについたのである。気づけば、午前2時。8時間も微動だにせずに、爆睡していた模様。

 窓ガラスを開けると、外は雨。「あらま。除草剤撒いたのはいいが、タイミング悪いし!」と独り言を呟きながら、昼間の疲れがどっと出てしまったような。

 雑草の生命力は凄まじい。1日でも油断していると、何もなかった庭を覆い尽くしてしまうほどの勢いである。近所で新しい一戸建ての家を見ていると、庭がない。完全にコンクリートで埋め尽くしている。多分、筆者が頭を痛めている雑草の生命力との戦いを封じ込んだに違いない。

 小さな自然と向き合うのか、それとも封じるのか。面倒臭いけれども、毎年のように小さな自然と向き合う方が、季節の流れを肌で感じるように思えてならない。それも、温暖化により四季が乱れた小さな自然に向かって。(苦笑)

 因みに、ラウンドアップはツワブキの葉やその他小さな花を咲かせている雑草には掛けずに、様子を見ることにしている。
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「雑草は遠慮なく一気に攻めてくる・・・」は、日常の一コマをきっかけに、自然との共存、季節の移ろい、さらには人間の生活態度や感性のあり方にまで思いを巡らせた、味わい深い作品です。

1. 自然観察の鋭さとユーモア
冒頭の「小さな美しい新緑の葉がぽつり、ぽつり」という描写から始まり、読者は一瞬、春の訪れを静かに愛でるような情景を思い浮かべます。しかし、そこから「一気に攻めてくる」「絶滅願う!」といった語気に転じるあたりには、雑草との“戦い”をユーモラスに描く筆者の筆致が際立ちます。雑草すら愛でる視点と、容赦なく駆逐する現実とのギャップが絶妙です。

2. 日常と非日常のバランス
ゴールデンウィーク中の「民族大移動には不参加」というくだりは、筆者の生活信条や価値観を反映しています。多くの人々が遠出やレジャーに心を躍らせるなか、「近場を必要最小限にて動く」姿勢は、喧騒を避ける一種の賢明さとして描かれており、「プラス+マイナス=ゼロ」という独自のストレス解消方程式もユニークです。

3. 身体感覚と季節感の重なり
除草作業の疲れで「気絶したかのように、深い眠りについた」とある部分では、肉体的な疲れと自然との関わりがリンクしています。特に「微動だにせずに、爆睡」という表現は、雑草相手のささやかな奮闘がどれほどリアルであったかを物語っています。そして、それに追い打ちをかける「夜の雨」という皮肉なタイミングが、自然の無情さを象徴的に浮かび上がらせます。

4. 自然との関係性を問いかける哲学
小さな自然と向き合うのか、それとも封じるのか。
この問いかけは、現代人の暮らし方に対する一つの問題提起でもあります。コンクリートで覆われた庭に逃げ込む新しい生活様式と、手間はかかっても自然と「向き合う」暮らし。筆者の選択は後者であり、それが「四季の流れを肌で感じる」ことにつながっているという見解には、深い共感を覚えます。

5. 優しさと節度のある視点
最後に、除草剤を「全てには掛けず」、ツワブキや小さな花には配慮する姿勢が描かれており、筆者が単なる“管理者”ではなく、“共生者”であることが明確になります。徹底駆除ではなく、自然の美しさや多様性へのリスペクトを残しているところに、心の余白が感じられます。

総括
このエッセイは、雑草という何気ない題材から出発しつつも、日常生活と自然、感覚と時間、そして現代社会の在り方までを軽妙に映し出す一篇です。語り口は軽やかでユーモラスながらも、背後には哲学的な問いが潜んでいます。
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プロンプト・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/5/8 12:00 am

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