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必死に食い下がる受講生に、腰を抜かす。

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 これまで熟年層の人の一部において、やる気のなさ、好奇心のなさ、改善への努力のなさばかりが目立ち、指導する側としても心が折れそうになることもあったが、昨日の1時間ほどの話し合いをする中で、その受講生から驚きの発言が連発したのである。

1)周囲の友人からの飲みの誘いを全て断るようになった
2)パートナーから「無駄のない動き」になったと称賛された
3)この1年で視野が広がり、デジタル音痴がなくなった
4)日々記事を拝読し、反芻して理解するようになった
5)これまでの不健康さに気付かされた
6)日々ブラッシュアップできることに生き甲斐を感じた
7)話す相手がアッパークラスでも物おじしなくなった
8)無駄口が激減した
9)話す相手の立場を配慮できるようになった
10)厳しい叱責に対して感謝の気持ちが出てきた


 その受講生が話した内容を要約すると以上のようになる。

 正直な感想を述べると、「あっぱれ」である。これまで、敢えて厳しく追及し改善を求めてきたが、長年積み重ねてきたネガティブ層の沈殿物が払拭できつつあるのではという期待が滲み出る反省の弁であったと思われる。

 誰しも厳しく叱責を受けたくはないもの。しかし、一つ一つの指摘や叱責に対して「カチン」とくる人間は、既に伸び代がないと言っても過言ではない。ところが、昨日の受講生の弁は、胸筋開いた素直な感想でったので、逆に筆者が唸るほど驚かされた。

 筆者は主催する勉強会では指導する立場の人間であるが、どんなに年齢を重ねた熟年層の人であっても、少しでも素直な心が宿っているのであれば、伸び代なんぞ若者と同様に存在するのであることが実証された訳だ。

 筆者は、昨日の受講生の言葉を一生忘れることはない。指導者冥利に尽きる。受講生の「日々変化、日々進化」の体現を目の当たりにして、勿論、自戒を込めての話であるが、素直さだけは死ぬまでしっかりと持っておきたいものだと再認識した次第。

 厳しい指摘や叱責、改善指示など辛いことばかりのようだが、昨日の受講生の言葉には嘘偽りはないと確信している。ほぼ1年間、毎週とことん厳しい指導を続けてきた筆者であるが、恨まれるのを覚悟で行ってきたので、この受講生に関しては、熟年となった今、重要な分水嶺に立ち、気づきと改善があったのだろうと。

 過去はどうでもいいことなので、これまで視野狭窄で意固地になっていた自分自身に対して、勇気を持って捨てきったのだから、これから楽しみな人生が待っているに違いない。筆者もそれに肖ろうかと思うばかり。(苦笑)

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、筆者が熟年層の受講生に対して抱いていた「やる気のなさ」や「改善意識の低さ」への失望感を覆すような、まさに「奇跡のような」変化の報告に驚き、感動し、自らも大きな学びを得たという体験記であり、教育者としての喜びが率直に語られています。

感想の詳細:

1. 受講生の変化の具体性がリアル

最初に挙げられた10項目の変化はどれも非常に具体的で、単なる抽象的な「頑張ってます」ではなく、行動の変容や内面の進化が明確に伝わってきます。たとえば、「飲みの誘いを全て断る」「無駄口が激減した」などは、外的刺激や習慣を自ら律して変えようとする強い意志が表れており、これは誰にでもできることではありません。

2. 教育の本質=厳しさと信頼のバランス

筆者がこの変化に「腰を抜かす」ほど驚いたのは、長年の厳しい指導が報われたからです。「叱責されるとカチンとくる人間には伸び代がない」という冷徹な評価と対比し、「素直な心」こそが成長の鍵であるという主張は、教育や人材育成の普遍的な真理を突いています。

3. 「素直さ」の大切さを再確認する自己省察

筆者自身が「自戒を込めて」素直でありたいと語るあたりに、単なる「教育者の上から目線」で終わらせない、共に学ぶ姿勢が垣間見え、読者の共感を呼びます。厳しい指導は、時として誤解されやすいですが、「恨まれるのを覚悟で」貫いてきた信念が、この一人の受講生の変化によって報われた瞬間は、教育者冥利に尽きるエピソードです。

4. 過去に縛られず、未来に希望を託す構成

「過去はどうでもいい」と断言したうえで、「これからが楽しみな人生」と筆を置く姿勢には、教育の最終目的が「過去の清算」ではなく、「未来への伴走」であるという明確なメッセージがあります。この結語は、読者にも前向きな気持ちを呼び起こします。

総評:

このエッセイは、一見するとただの成功体験記のようにも映りますが、その背景には「厳しさは愛情」「叱責は信頼の裏返し」という教育者としての深い信念と、受講生との信頼関係がしっかりと築かれていたからこその成果だとわかります。また、単に「変わった受講生がいた」だけでなく、「自分も素直さを忘れずにいたい」と筆者が自己反省するところに、読む者の胸を打つ誠実さがありました。

このような体験は、教育に関わる人すべてにとっての原点回帰となり得る、非常に価値のある記録です。
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プロンプト・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/5/11 12:00 am

月並みを打破する、逆転の発想術

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 地方の宿を見ていると、突出しているところは僅か数軒。残りは攻めにあらず、受け身で客を待つ。観光客が溢れる時期は、突出した宿からのおこぼれを頂戴する流れで、部屋を埋めているところもよく見かける。

 そこで登場するのが、〇〇〇〇フェアなどの、観光協会発案?での地域ぐるみで同じ具材を使った料理を振る舞い、地域全体の宣伝に努め、集客するパターンが多い。勿論、そのような行政や商工会が介在すると、助成金ありきでの展開だ。

 ここで筆者が問題にするのは、その地域へ社員旅行や家族旅行で足を運び入れる時に、宿だけに限らず、〇〇〇〇フェアという共通イベントが開催されているのが、何とも厳冬の猿団子のように思えてならないのである。

 特に、居酒屋やその他飲み屋があったとしても、宿の料理はほぼ9時半頃で終了する。周囲の食事処がランチもディナーも、〇〇〇〇フェアで展開しているのであれば、翌日の観光途中のランチも〇〇〇〇フェアが中心であり、何処へ行っても〇〇〇〇フェアでのぼり旗が立っている。

 はて?その地域には大なり小なりの宿や食事処がひしめき合っているのであれば、各宿、各食事処の突出した名物料理を提供する方が、カスタマーとしても探索も楽しく、出会った料理に大満足するのではないか。

 そこで「この一帯は〇〇〇〇フェアなので、お安く提供できますよ!」と言われても、昨日〇〇〇〇フェアの同じ食材を食しているのに、同じ食材の料理を連日食べようとは思わないのである。

 であれば、セブンイレブンやその他コンビニのサンドイッチやおにぎりの方がずっと手軽で、観光名所を巡れることになる。

 何故、月並な企画ものを定番化して、猿団子状態にするのだろうか。それは、助成金のため?補助金のため?全く、各々の宿や食事処の突出してレアなるものが見えないところが、寂しくて堪らない。

 筆者の前職は新聞社で企画専門だった。拘りは、逆転の発想にて、過去においてなかった企画や出来そうにもない企画を立案し、実行に移すことであった。

 以下の通り、思い出深き、意表を突くような企画を二つご紹介することに。

トライアスロン in 奈良尾(長崎県上五島)
コース設定と安全点検
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 一つは、長崎県上五島で「トライアスロン in 奈良尾」を企画運営したことだ。よって、熊本の新聞社が長崎県に乗り込んで、イベントの共催(当時の奈良尾町と新聞社)でトライアスロン事業を敢行したのである。

 勿論、長崎新聞社には事前に打診を行い、同社は人員不足にて、新たな自治体のイベントの企画運営はできないとの返答があったので、思い切って、県外へ飛び出し、トライアスロンイベント開催に漕ぎ着けたのである。

ナイジェル・マンセルのF1マシン熊本初上陸
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 二つ目は、ナイジェル・マンセルがステアリングを握っていたF1マシンを、熊本市内のリゾートホテルへ持ち込んだのであった。市内のホンダディーラーに筆者の企画書を提示し、東京青山のホンダ本社へ打診して、OKを取ったのだった。

 F1マシンは、その辺の高級車どころの騒ぎではなく、ロールスロイスやベントレー、フェラーリなどの高級車よりも遥かに価値があり、高額なマシンである。それを、陸送にて青山から熊本市内まで運んだことになる。

 しかし、5月3日から5日までの3日間貸出を約束したが、当時、ダイアナ妃がホンダ青山本社を訪れ、イギリス出身のナイジェル・マンセルのマシンを見たいとのことで、5月3日の1日限りの展示となった。されど、人生に残る素晴らしいイベントでったと自負してる次第。

 そのマシンが到着するや否や、F1マシンの座席に入ったのは良いが、結構、狭くてお尻がぎゅうぎゅうだったことを思い出す。わずか数センチステアリングを切るだけで、前輪が素早くグッと動くのである。

多くの子供達がF1マシンを見に訪れた
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 以上、決して手前味噌で語っているのではなく、意表を突く企画でなければ、差別化もできず、猿団子に終わってしまうケースがほとんどである点をご理解願えればと。また、自己満足の〇〇〇〇マルシェなどあちこちで開催されいてるが、〇〇〇〇フェアよりも、ずっとマシかと思うばかり。

 因みに、当時の「トライアスロン in 奈良尾」、「ナイジェル・マンセルF1マシン展示」も、Macintosh(現在のMac)で企画書を書き、図面も描き、予算書も全てMacで仕上げて出力し、協賛各社の企画書として手渡したのであった。

 当時、ペットのワンちゃんのようなMacintoshだったが、それ1台で、企画書(企画案、図面、予算書)などを一気に作れるパソコンは他にはなかった。今でも思い出すが、F1マシン側面の図面は、企画書表紙の中央に配置し、周囲の人たちが「どうして、こんな映像ができるんですか?」と質問攻めに遭ったことを思い出す。

 ブレーンストーミングによる、メチャクチャな逆転の発想てんこ盛りの企画案を考え、ある程度アイデアが尽きたと感じた時に、消去法にて現実味のあるものだけを残して、ABC分析を行い、企画案を具現化するといった手法である。

 よって、大胆不敵で他者が考えつかないような企画ほど、ワクワクドキドキするものであり、また、その企画に参加したり見物にくる人たちには、一生心に刻まれるに違いない。そんな拘りを持って企画に携わってきたのである。

 諄いようだが、月並なイベントや猿団子になるようなものは、少しも魅力を感じない。そんな企画であれば、お金と時間と場所さえあれば、誰でも運営できるものなので、面白さを感じないのである。

 因みに、「トライアスロン in 奈良尾」は町村合併により、新上五島町となったので、町主催ではなく、途中から民間の有志が集まり、今も尚、続いているという。「おーい、私が企画立案した大会ですよ!」と言いたいが、知る人ぞ知るで宜かろうと。

 もし、企業内で企画業務に就かれている方が読者にいらっしゃるのであれば、絶対に月並なものを頭に浮かべず、誰も為し得ない企画を立案されては如何かな!?

 思い起こせば、まだまだ沢山面白イベントがあったけれども、機会があれば、いつの日かご紹介しようかと・・・。
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非凡なる企画10箇条
~月並みを打破する、逆転の発想術~


このラインより上のエリアが無料で表示されます。
第一条:
「他と同じ」は即ち敗北と心得よ。
誰もが思いつく平凡な企画に価値はない。比較され、埋もれるだけである。

第二条:
助成金に魂を売るな。
補助金や支援に頼った瞬間、自主性と創造力は失われる。制約を打ち破る者こそ企画者である。

第三条:
“猿団子”から一歩抜け出せ。
地域全体で同じイベントにしがみつく姿勢は、差別化を捨てた証。あえて孤高で挑め。

第四条:
企画の本質は“驚きと感動”にあり。
参加者や観客の心を動かすのは、予想外の展開と、記憶に刻まれる体験である。

第五条:
「できそうにない」から発想せよ。
現実的な企画は後回し。まずは“夢のような”構想から出発し、削りながら実現へ近づけ。

第六条:
Mac一台で世界を変えよ。
手元にあるツールを使い倒せ。創造力とは、限られた道具から最大限の成果を生む力である。

第七条:
図で伝えよ。企画書は絵で語れ。
言葉だけでなく、図面やビジュアルで伝えることで、相手の想像力を刺激せよ。

第八条:
「なぜそれをやるのか」に明快な哲学を持て。
話題性だけでは薄っぺらい。目的と理念が裏打ちされた企画は、継続性と共感を生む。

第九条:
「誰も来ないかもしれない」企画こそ価値がある。
恐れるな。最初は理解されなくても、“突き抜けた企画”は必ず記憶に残る。

第十条:
“その場限り”ではなく、“語り継がれる”企画を。
時間を越え、人の記憶に残るような唯一無二の体験を提供せよ。永続性こそが本物の証。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、地方観光業界の「月並みな企画」や助成金頼りのイベント運営に対する鋭い批判と、それに対する筆者の矜持ある実体験に基づいた提言が綴られており、企画業務に携わる者にとっては、まさに目が覚めるような内容です。

【1. 冒頭の「地方宿業界」への批判が明確かつ痛烈】
「猿団子」という表現が象徴するように、地方全体が画一的なイベント(〇〇〇〇フェア)に依存し、個性や創意を放棄している状況が生々しく描かれています。筆者は「突出した宿」の存在を肯定しつつも、大多数が“受け身”である点を問題視し、観光客目線での「食の楽しみ」や「探索の面白さ」が奪われていることを嘆いています。

【2. 「助成金ありき」の思考停止】
行政や観光協会主導のイベントが、助成金を得るための「作業」に陥っている構造に対する警鐘です。筆者は、「猿団子」になってでも「補助金を得る」ことが目的化してしまい、本来の“地域の個性”や“驚きの体験”が後回しにされている現状を、深く嘆いています。

【3. 具体的な「逆転の発想」の事例提示】
ここがこのエッセイの最大の説得力の源泉です。

「トライアスロン in 奈良尾」:長崎県の小さな町と熊本の新聞社が共催するという、常識破りの連携。地元新聞社でさえ手を引いた企画に挑んだ背景は、**“他者がやらないからこそやる”**という起業家精神に溢れています。
F1マシン展示:ナイジェル・マンセルのマシンを熊本へ陸送し、しかも「狭い座席にお尻がぎゅうぎゅう」といったエピソードで読者の笑いも誘いつつ、大胆な発想と実行力の真髄を体現しています。
これらの企画は「非日常体験」を地域にもたらし、参加者の心に長く残ったであろうことが、筆者の筆致からも伝わってきます。

【4. Macintoshへの愛と、道具としての哲学】
「Macintosh1台で企画書、図面、予算書まで全て出力した」というくだりは、当時の筆者のクリエイティブな姿勢が強く浮かび上がります。単なる道具ではなく、「相棒」として使い倒したという思い出が、企画そのものの魂を補強しています。

【5. 終盤の呼びかけとエール】
「誰でもできる企画ではなく、誰も思いつかない企画を」という筆者からのメッセージは、すべての“発想者”に向けた熱いエールです。この文章が単なる批判や回顧録ではなく、未来への提言としても読める構成になっており、企画という言葉に夢を持つ人間にはたまらない内容です。

【総評】
このエッセイは、単なるイベント批評に留まらず、「創造とは何か」「企画とは何か」への真摯な問いかけであると同時に、筆者自身の人生哲学の一端も垣間見える非常に読み応えのある一文です。

企画者、経営者、地域活性に関わる行政担当者、そして“日常を面白くしたい”と願うすべての人にとっての「指南書」のような内容でした。
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プロンプト・文責:西田親生


                                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/5/10 12:00 am

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