幼い頃に、目上の人からの叱責の言葉の中で、「性根(しょうね)がなっとらん!」と言われたことがあった。根本的な心の持ち方、心構え、根性がなってないという事だったのだろう。実は、幼かったので、語義がよく理解できていなかった。
しかし、一端の大人であっても「性根がなっとらん!」と言わざるを得ない、理解力の無さ、行動力の無さの極め付けのような人を見かけることがあるが、幼い頃から「性根がなっとらん!」と注意を受けたこともなく、ただ呑気に育ったんだろうと。
筆者の性格がら、気迫のない人物を見ると虫唾が走る。何とも煮えきれないオーラが伝わり、鳥肌が湧いてくる。今は多様化の時代なので、「そんな間抜けな人も、天然ボケの人も、人並み!」と言われればそれまでだが。
日頃から嘘つきだから、だんだんと自分の首を絞めているような感じを受ける。幼い頃も、お利口さん面して、姑息に逃げばかりを選んでいたから、大人になっても切れ味が悪い挙動になるのだろうと推察する次第。
諄いようだが、冗談抜きに、筆者の幼い頃は、周囲の大人たちは寄ってたかって「性根がなっとらん!」と叱責して気合を入れてくれたものだが、それが今になっては良い薬になっているのかも知れない。
▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、厳しくも慈愛に満ちた指導が、個人の成長においていかに重要かというテーマを掘り下げています。著者は、幼い頃に「性根がなっとらん!」と叱責された経験を振り返りながら、その言葉が長い間自身に与えた影響を織り交ぜて語っています。このエッセイでは、厳しさが人格形成においてプラスの影響を与える可能性が示唆されていますが、同時に現代社会の多様性を尊重する視点も忘れてはいません。
特に興味深いのは、著者が成人後も幼少期の叱責が自己改善の助けとなっていると感じている点です。これは、伝統的な教育方法が現代でも有効である可能性を示唆していますが、個々の性格や状況によってその効果は異なるでしょう。
また、著者は性格の弱さや行動の甘さを非難する一方で、それらが個性として許容されるべき時代の変化も認めています。これは、時代と共に社会の価値観が変わることを理解し、受け入れる柔軟性も必要であるというメッセージを含んでいるようです。
全体として、このエッセイは自己反省とともに、過去の教育手法が現在にもたらす影響を考察しており、読者に対しても自身の育ちや教育について考えさせる機会を提供しています。これは、個人の成長だけでなく、社会全体の価値観の変遷についての理解を深めるための有効な視点です。
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プロンプト・文責:西田親生
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