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ラッコのツールボックスを見て、「!マーク」が頭に突き刺さる。・・・際限なく進化するツールの今昔物語。

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 或るテレビ番組を見ていると、ラッコが脇下にある袋(皮膚の皺が袋状になっている)から、おやつの生きた貝、貝殻を破るための石、その他おもちゃなどを、飼育員へ次から次へと渡す姿があった。

 折角、自分の脇下の袋(ツールボックス)に入れているものを、短い両手を器用に使い、入っている全ての物を渡していた。10個ほどあったろうか。余りの可愛さに、つい吹き出してしまった。

 実は、この動画を見るまでは、ラッコは脇下の隙間に石1個を抱えていると思っていたのである。カンガルーかワラビーのような袋ではないが、マジシャンのように取り出す可愛い姿に、釘付けとなった筆者だった。

 ツール(道具)と言えば、原人が狩猟の道具や調理道具を発明したことで、人間の進化が加速したことは歴史書に記してあるが、ラッコと同様に、ツールを常にツールボックスに携行するビジネスマンは、甲冑を身に纏った戦士のように思えてならない。

 薄くて軽い、iPhoneやiPad(タブレット)を持ち歩くだけで、いつでもどこでもネットサーフィンしたり、企画書を公園のベンチで書いたり、魚釣りをしながらビデオ会議に参加したりできる、便利な世の中になった。

 第二次世界大戦後、空前絶後の復興を遂げた日本だが、特に、昭和30年代(約60年前)からの、日本経済発展の極超音速進化時代を振り返ることにする。

 家庭にどんどん浸透して行く、文明の利器。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫は、当時、家電製品の三種の神器ともてはやされ、我先にと電気屋さんに行列ができるほどであった。

 算盤で事務をした人たちが、シャープ、キヤノン、カシオなどの電卓を使い始める。1964年の東京オリンピック前夜には、カラーテレビが世に出される。大きな箱型ステレオが、ラジカセに変身。昭和の文明開花の凄まじい風が吹き出した。

 扇風機がエアコンに、黒電話が各家庭に浸透し、国産車も軽自動車からグレードアップ。東京オリンピック同年には、ホンダがF1初参戦を果たしたのである。前年に、軽トラックと軽スポーツカーを発表したばかりの、4輪自動車メーカー最後発のホンダだが、本田宗一郎氏の英断であった。(1980年代はホンダがF1を席巻する)

 発明の後に製品化するを繰り返し、日進月歩から秒進分歩、そして光進音歩の時代へと様変わりして行く。

 以下は、過去60年ほどを振り返り、その当時の新しいツールが、これまでどのような進化を遂げ、新たな時代の文明の利器として、世界を変えてきたのかを、筆者なりに書き綴ってみたい。

1)白黒テレビがカラーテレビとなり、ワンセグの小さな液晶画面でテレビを視聴。更には、現在のスマホ画面でテレビ番組も映画も、普通に観れる時代となった。(真空管→LSI/大規模集積回路)

2)洗濯機が本格的なドラム式に変わり、乾燥機能が当たり前となり、冷蔵庫もIOT搭載となり、進化したものは、冷蔵庫内の食材管理まで可能となっている。製氷機も、レストランにあるそれに負けず劣らず、いつでも瞬時に美味しい氷が取り出せる。

3)算盤を使っていた事務職員が、電卓時代を迎えたのも束の間、現在はパソコンのテンキーで数値を打ち込んでいる。画面は自動計算結果が瞬時に出され、複合機でプリントすればウェルダンである!

4)フィルムカメラがデジタルカメラへ。1999年にニコンがD1というデジタル一眼レフカメラを世に出して、本格的なDSLR(Digital Single Lens Reflex camera)戦争が始まった。ご存知の通り、世界を席巻するDSLRは、全て日本製。現在は、4Kも8Kの動画撮影が可能となり、映画の世界にもDSLRとそのレンズ群が活躍する時代となっている。

5)糸電話でも凄いと、拍手喝采の小学校時代。それがダイヤル回して、遠隔地に住む友人と会話ができる黒電話や公衆電話。ダイヤルがプッシュに変わり、市外局番の最初の「0」の戻りに苛つくこともなく、サッと電話が通じる時代。今や、掌(てのひら)で、登録している友人の電話番号をワンプッシュで話ができる。更には、SNSを通じれば、電話回線を使用せずに、ネット回線で電話ばかりか、ビデオ会議も無料で可能となっている。

6)文書作成、表集計とグラフ、統計解析など、全て手作業であったものが、パソコンが高速処理を可能とし、全てのオフィスのデスクに鎮座していた時代。そのどでかいモニターが薄い液晶画面に変わり、今や、ラップトップ(ノートブック)が仕事の戦略ツールとなっている。

7)自宅にストックしていたLPやEPレコードとステレオ。それが、ラジカセでカセットテープの音楽を楽しめる時代となり、SONYのWALKMANが世界を席巻した。更に、カセットテープが新たなメディアに変わり、今では、ネットから音楽MP3データを数秒でダウンロードして聴ける時代へ。

8)車の三角窓が、クーラー搭載の車に。更に、クーラーがエアコンとなり、現在、高級車に搭載されているツイン・エアコンは、運転席側と助手席の温度を変えることも可能である。クーラーは、時には霜がつき、冷たい白い煙が吹き出していたが、今や、自宅の部屋のエアコンよりも快適なものに進化した。

9)ツーリングに必携であった地域別日本地図。今や、衛星からの位置情報を的確に知られるカーナビ搭載の車は当たり前の時代。カーナビにて、テレビ番組など、自宅のリビング感覚にて楽しめる。更には、スマホのカーナビアプリを使用することで、最新地図情報は自動更新となり、道に迷うことは殆どない。

10)牛乳と言えば、牛乳屋さんの宅配。ベビーコーラやラムネ、サイダーはお菓子屋さんやスーパーにて。お茶は自宅で点てるが当たり前の時代。今や、世界一の自販機国日本では、スマホのアプリを使用し、電子決済にてガチャンと音がして、選んだ飲み物が落ちてくる。

11)食パンはトースター、餅やサンマは七輪、冷めたカレーは鍋で再び温めていた昔。今は、高機能電子レンジ1台で、全てを捌いてくれる。冷めたコーヒーは50秒で飲み頃に。食パンに限らず、いろんな形状のパンも焼ける。更に進化したレトルトのカレーやその他食材は、電子レンジに置いたまま、1分少々で「いただきます!」となる。(火傷注意)

12)本屋さんに行き、自分が読みたい本を物色するアナログ時代。今や、Kindleなどの電子本が登場し、数分でデータをダウンロードすれば、iPadなどのタブレットで、すぐに読める時代になった。難を言えば、ページを捲る時に、パサっと音がすれば、臨場感があり嬉しいのだが。まだ、進化の余地ありと見ている。SDGsという観点では、森林伐採を抑える効果があるに違いない。

 上述のように、昔と今を比較すると、昔が旧石器時代のように思えて、懐かしいばかりの思い出になるが、LSIの発明は、特に、電化製品や事務用ツールの進化に、すこぶる貢献してきたことが良く分かる。

 本日も、徒然なるままに、一気に書き綴った主な家電製品の変遷やその他ツールの進化。スティーブ・ジョブズが2000年に「パソコンは100年進化する!」と言っていたが、これから80年弱、どのようなデジタル時代になるのだろうか、興味津々である。

 しかし、懸念していることは、「量子コンピュータ」が一般的に流通すれば、現在の管理社会がより一層厳しいものになり、AIロボットに支配された、刑務所のようで無機質な社会に変わり果てるのではないかと・・・。


▼AI調理ロボットよりも、愛する人が作る料理が断然旨いに違いない。
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  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/30 12:00 am

世代の壁を打ち壊せ!・・・祖父母、両親から家族の歴史や生活の知恵を引っ張り出せ!

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 アジアの或る国では、保存食の作り方を子供や孫に伝承せず、それが餓死者が増えた要因の一つと言われたことがあった。

 確かに、食糧が潤沢にある時に、野菜でも魚でも肉でも、長期保存できれば、万が一飢饉となっても、その保存食さえあれば、或る程度は凌げることになる。

 滋賀県名物の鮒寿司も保存食であり、発酵食品として健康にも良い。ものによっては、2年もの、3年もの、4年ものと熟成された鮒寿司が存在する。

 採れたての大根も、そのまま放っておくと腐れれて食い物にはならないが、漬物や干物にすることで長期保存が可能となる。新鮮な鮎も燻製にしておけば、出汁にも使えたりする。

 特に、食については、「おばあちゃんの知恵袋」をしっかりと習っておけば、子供や孫が一人暮らしになっても、しっかり生活ができることになる。

 「知恵袋」と言えば、松島観光ホテル岬亭(熊本県上天草市)の大女将が数十年前にネット上に掲載した「女将の知恵袋」を思い出したので、以下のURLにて、是非、ご一読頂ければと。

※当時、「女将の知恵袋」は全国局より取材が殺到した。

▼松島観光ホテル岬亭の大女将の「女将の知恵袋」
https://www.misakitei.co.jp/recipe.htmlLink

 最近、昔ながらの「生活の知恵」や「手作りおもちゃ」などを聞くことも、見ることも無くなった。それは、核家族化や少子化時代が当たり前となり、世代間に大きな壁ができてしまい、祖父母の知恵が子や孫に伝わらぬようになってしまった。

 おじいちゃんならば、コマを回すための紐を藁で編んでくれたり、コマの足を打ち込む前に、鉄製の足(鉄の芯棒)を真っ赤に焼き、コマの底の穴に塩を入れて、打ち込んでくれた。更に、ザブッと水に漬けて、ジュッという音で完成。

 ここには二つのおじいちゃんの知恵が含まれている。一つは、塩を入れて、鉄製の足がコマの中で錆びれば、抜けにくくなる。二つは、鉄製の足を真っ赤に焼き、水に漬けることで硬く締まる、となる。

 コマを回す紐も、藁を手編みにするけれども、同じく水に漬けて、縁側に何度も打ち付けて、藁の繊維を柔らかく強く仕上げていたように思える。これも、大した知恵である訳だ。

 大きな楠木から地面に無数に実が落ちてくる。それを見て、昔、祖父が豆鉄砲の作り方を教えてくれたのだった。細身の竹を切ってきて、その空洞部分の直径が楠の実よりやや小さく、まん丸、真っ直ぐした竹を選んでいたようだった。

 豆鉄砲の砲筒の部分は20センチほどの長さ、手前の実を突くためのパーツは、丸い割り箸のような棒状ものを軸として、更に、竹でグリップを作っていた。

 砲筒の手前に先ず1個の実を詰めて、そっと砲筒の先へ押し込む。そして二つ目の実を砲筒の手前に指で詰めて準備OK。グリップをしっかりと握り、棒を砲筒の手前の実に当てて、一気に突く。

 パンと音がして、実が飛び出した!砲筒の先に詰まっていた実と砲筒手前の実の間の空気が急激に圧縮され、実が飛び出す仕組みなのである。空気銃とはややカラクリは違うが、空気圧縮という原理は同じである。

 豆鉄砲については、素材選び、作り方、それに銃弾となる楠の実の状態が良く、操作もバッチリであれば、兎に角、遠くに飛び、当たれば痛いほど、強烈な武器となる。(笑)

※良い子は、絶対に豆鉄砲などで人や動物を撃たないように!

▼熊本ホテルキャッスル ダイニングキッチン九曜杏(脇宮盛久料理長)

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  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/29 12:00 am

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