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苦手意識克服は、心から好きになることだ。好きにならなきゃ、何だって貫徹できるはずがない。

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 自らが好まぬものを無理して遣っていても、円滑に事が運び、目標を達成することなんぞ、夢のまた夢となる。

 仕事となれば、好むと好まざるとに関わらず、早期達成しなければならない。それは担当者としての責務であり、出来て当たり前のこと。達成しなければ能無し落ちこぼれのレッテルを貼られるだけである。

 何故できないのか!?それは、仕事内容を好き嫌いで決めてしまうからである。それはプロとは言えない。仕事内容を選り好みするくらいならば、初手から上司に相談し、配置転換を願い出ることだ。

 人でも仕事でも物でも、皆同じこと。心から好きにならねば、何事も動かず、何一つ貫徹しない。プロ意識の欠落と言うか、だらし無いと言うか、情けないと言うか、実に大人気ない。

 しかし、言葉巧みに、言い訳三昧にて逃げることもできないことはない。ただ、それは積極姿勢に欠け、仕事放棄と見做されるのみ。一度「遣る!」と口に出したのであれば、全て貫徹せよ。遣り終えてこそ、信頼のおける人間と言える。

 だらだらと時間稼ぎで逃げ回る、自分の背中を恥ずかしいと思わぬ人間は、外面良くても魅力はない。そこで、何事にも好奇心を持ち挑戦すれば、苦手意識も吹っ飛んでしまい、全てが好循環に転ぶようになる。

 目標達成の本当の喜びを知らぬから、日々変化のない、進化のない事をちまちまと遣っている。子供でも、一つ目標がクリア出来ねば、恥をかかぬよう、何とか出来るまで歯を食いしばる。大人には、その根性や執念がない。

 鉄棒で逆上がりができないと、周りから笑われる。何度も何度も挑戦して逆上がりができると、周囲は大喝采となる。それが、達成時の喜びだ。だらしの無い大人は、鉄棒にぶら下がったまま、それ以上に努力をせず、地上にポトリと落ちてしまう。

 若さの素晴らしさは、チャレンジ精神が溢れ出ているところだ。その若き頃のチャレンジ精神を忘れず、日々努力を積み重ねている大人は素晴らしい。狭い領域で狭い了見にてボケッとしている大人には、残念ながら、それが理解できない。

 何と無様な人間であろうか。滑舌悪く、覇気もなく、ただただ言い訳ばかりを考える大人たち。よって、謝罪を要する記者会見では、切れ味の悪い言い訳しか聞いた事がない。恥を知れと、声を大にして物申したくもなる。

 今回の熊本県南の私立高校暴力事件も然り。本当にスポーツが好きで、生徒が自分の子供のように大好きで、指導することが天職のような本物のプロであるならば、あのような無様な記者会見を行うことはない。

 最後の最後に尻尾を出して、逃げ場を失い、苦し紛れに学校全体のイメージダウンに火を注ぐのだから、指導者、教育者としてばかりではなく、人間として失格だと言わざるを得ない。暴言や暴力で弱者を抑え込むのは、蛮行としか言いようがない。実に残念なことである。


▼スズメバチと薔薇の花(熊本県農業公園)
SUZUMEBACHI


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写真・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/21 12:00 am

「配慮」が欠落した日本人・・・

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 単純に、皆が「配慮」をモットーとしていれば、諍いや暴力事件などは激減するはずだ。因みに、「配慮」とは、手落ちのない、又は、良い結果になるよう心を配る事であり、常に相手の立場を考え、その場の空気を読むような、相手ありきの多元的シミュレーション能力を言う。

 壇上において登壇する時、人の視線を遮る時は手を前に差し出し、横切る予告と失敬のシグナルを送る。野外でタバコを吸っている時、近くに人が近づけば、距離を置くようにする。今時であれば、食後にお喋りする場合は、マスクをつける。そのような、ちょっとした心配りである。

 その他、例を挙げれば、バスの座席を高齢者や妊婦に譲る。横断歩道に立つ人の手前で停車し、対向車を確認した上で横断を促す。コンビニの駐車場から出てくる車を優先し、手前で停まって待つ。好き嫌いのある人との食事では、嫌いなものを事前チェックする。ホテルやコンビニのトイレを使用する場合は、「使う前より美しく」を徹底するなど、枚挙に遑がない。

 「配慮」とは、自分の我儘、都合ばかりを押し通す人には無関係なるもの。他人の事など視野にはなく行動するので、「配慮」にて相手を思うシミュレーションは存在しない。だから、「配慮」なき人と接点を持つと、諍いなり騒動なりの問題が生じることになる。

 日本人というのは、他国の人たちと比較すれば、大人しく礼儀正しいというのが自慢の一つであったが、明治維新以降現在に至るまで、欧米化が進む中で、いつの間にか、自己中心的な考えを主とし、時には品性に欠けたり、粗野な挙動が目立つようになっている。

 しかし、そこに大きな勘違いがある事に気づかねばならない。実は、欧米文化の解釈において、曲解、拡大解釈などの誤謬が存在している。「個人主義」を「利己主義」と同一視したり、「Going may way」を「強引にマイウェイ」としたり、自分以外、他人への迷惑を考えぬ人のが圧倒的に多くなった。コンビニやスーパーで買い物をしている人の中に、結構見受けられる。

 また、「LADY FIRST」という言葉は、「配慮」の一つでもあるが、時代の変遷に伴い、「多様化の時代」となり、昔ながらの紳士淑女の典型的なものをどう捉え、どう解釈するのかは、国によって異なるようだ。

 ただ、性別や世代などに関わらず、「配慮」とは普遍的に価値あるコミュニケーションの基本の一つである。しかし、各国の歴史や多種多様な慣習が存在しており、何が最適、何に違和感があるなど、一概に断言はできない。

 されど、他国(海外)へ足を運べば、「郷にいれば郷に従え」は常識。勿論、他国のタブーに抵触しないのであれば、日本人らしい「配慮」や「気配り」、「もてなし」は体得しておく事で、他国においても日本人らしい所作(グローバルスタンダードを超越するもの)を披露できる事になる。

 自分は自分、他人は他人と豪語すれば、周囲に気を遣わず、気ままに生活できるようだが、生粋の日本人であれば、人に迷惑を掛けぬよう「配慮」すべきが、民度高き日本人であると言える。そこは、他国には絶対に譲れぬ、日本特有の優れた伝統文化及び善き慣習でありはしないかと・・・。


▼前川水源近くにて
HAIRYOKIJI


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  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/20 12:00 am

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