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不慮の事故に遭遇せぬよう、万全の対策を!

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 昨日、久し方ぶりに、隈部氏館跡(熊本県山鹿市菊鹿町)へ足を運んだ。4月下旬はツツジ満開の頃であるはずだが、1週間ほど遅かったようだ。ほとんどのツツジの花々は、花びらに瑞々しさを失い、枯れ落ちて行きつつあった。

 同地に初めて足を運んだのは、2017年4月6日である。2016年4月の熊本地震から、熊本県北部へ行くことが多くなり、そこで山鹿市在住の友人から紹介されたのが隈部氏館跡。『中世(16世紀代)肥後の有力国衆であった隈部氏の居館跡。標高345mほどの山腹にあり、麓の高池集落から140mの高低差がある。』(山鹿市公式サイトより一部引用)

▼2017年4月6日「隈部氏館跡」過去記事
https://www.dandl.co.jp/rsblog/index.php?UID=1491404827Link

▼山鹿市公式サイト「隈部氏館跡」
https://www.city.yamaga.kumamoto.jp/www/contents/1400116794221/index.htmlLink

 ゴールデンウィークとなり、コロナ禍を忘れたかのように、全国各地へ人の波が押し寄せている。まん延防止等重点措置が何だったのかと首を傾げながら、キーボードを叩き、ニュースを聞く。ウクライナ危機がコロナ禍を消し去ったのか、コロナに対する危機感も薄れているような気がしてならない。

 毎年、ゴールデンウィークとなれば、雨風がつきものだというイメージを持っている。また、全国各地の主要幹線の大渋滞やら、ぎゅうぎゅう詰めの列車やら。人が大移動する度に、死亡事故はつきもの。今年はゴールデンウィーク前に、知床の海難事故が発生し、事故の恐ろしさを再認識している次第。

 不慮の事故により絶命された方々の情報が入ると、それも、人為的な原因で多くの人たちの命を奪ったとなれば、我が身の如く、腹立たしさが募る。今回は、釈明が遅延した経営者に焦点が当てられているが、言葉の抑揚、言葉の選択、表情、そしてその他挙動を見る限り、誠意というものを感じ得ない。

 経験上、このような人種は多く存在する。空気を読めず、自らの失態への猛省もなく、他人事のように振る舞う人たちである。どんな躾や教育を受けてきたのか知る由もないが、人の子であるのなら、早期に同事故を直視し、絶命した方々やご遺族、行方不明の方々の悲痛なる声を真摯に受け止めるべきだ。

 今回も同様に、いろんな事件事故に対する記者会見で、まともな会見を見たことがない。やはり、何事も他人事で済ませる、責任転嫁という逃げの姿勢が、当事者たちを狂わせてしまう。土下座すれば済むようなものでもなく、そのパフォーマンスが余計に、被害に遭った方々の逆鱗に触れるのは当然のことである。

 極寒の知床の海に投げ出された行方不明全ての方々の早期発見を、また、この長期黄金週間に死亡事故や傷害及び殺人事件など重大事件が発生せぬ事を祈るばかり。「俺は大丈夫だから!」と豪語する人ほど、心の隙間に魔物が入り込む。よって、事件事故に遭遇しないよう、全天球的危機管理を忘れてはならない。

 末筆ながら、危機管理について一言申し上げておきたいのは、「身の回りの小さなことから始める!」が鉄則。例えば、取材したり景色を楽しむ場合、先ずは「足元の安全確認」が重要だ。ファインダーに目を奪われ、足元を確認できず、滑落して絶命した人が、想定外に多い事を知るべきである。更に、初めて足を運び入れる土地については、事前に十分なるリサーチを行い、現地に詳しい方々のサジェッションを得る事である。


▼「隈部氏館跡」(2022年4月28日撮影)
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◎西田親生@ICTdocotor「Note」プロフィール
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写真・文責:西田親生

                       

  • posted by Chikao Nishida at 2022/4/30 12:00 am

「つもり」は正当化のための虚言にすぎない・・・

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 仕事にしても、約束事にしても、「◯◯しているつもり」、「◯◯したつもり」は、自らの正当化のための虚言に過ぎない。また、「○○は関係ない」、「◯◯は終わった」、「◯◯なんぞ遣った覚えはない」と一蹴するのは、開き直りの罪人や独裁者が好んで遣う言葉だ。

 昨日、国連事務総長とロシア独裁者の会談の模様が報じられていたが、予想通り、「○○は終わった」と断じている。3年前だったか、熊本市内の某会社社長が、厳しくパワハラや契約について追及されると、「◯◯したつもりはなかった」と目が泳ぎ、さっさと社長室に閉じ籠った。

 自らの正当化のために、無意識に発した「つもり」や、意識的に相手を脅しながら断じる「終わった」などの発言は、その人物の日頃の素行の悪さを物語るだけの話。「つもり」は自画自賛であり、やってる感を表現する最も軽い言葉であり、「終わった」は正当化を証明できない人間の逃げ台詞である。

 特に苛立つのは、「終わった」と一方的に我が身と自国軍によるジェノサイドをもみ消すための虚言である。こんなにも無意味で馬鹿らしい発言など、取材する価値もない。目に落ち着きがなく、きょそきょそしている中で、マフィアの目に豹変する。パーフェクトな悪魔的偽善者である。

 昨夜は、可愛い野草を撮影してオフィスに戻ったのだが、どうしても、ロシアの独裁者やその操り人形ジェノサイド軍団のことが頭から離れない。ここまで嘘に嘘を重ねて蛮行を繰り返し、その独裁者や操り人形たちにとって、何がメリットなのかも理解不能となった。それほど、常軌を逸している訳である。

 本日のテーマは、「つもり」であること、一瞬忘れそうになってしまった。やはり、仕事に関しても、約束事にしても、余りにも「つもり」を多用していると、「欺罔の天才」と言われ、先々、「恥ずかしさの境界線」を逸脱した無能力者のレッテルを貼らてしまうに違いない。


▼可愛い野草たち
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  • posted by Chikao Nishida at 2022/4/29 12:00 am

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