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法の下の不平等が日本全土を覆う・・・

JOSUI


 日本の教育を検証すると、昔は全てが「押し付け」の教育であり、どこかの共産圏のように、ギチギチと詰め込まれた。それも、生徒に対する依怙贔屓(えこひいき)ありありの偏った教育であった。一人一人の子供たちの才能を伸ばすことではなく、一律に、ペイパー試験のみで振り分けていたのだった。

 更に、世の中は「職業差別」と「年功序列」の大合唱の時代。身を粉にして働けども、学閥主義や人脈主義により、才能もない、日和見主義の弥次郎兵衛さんたちが、企業の頂点へと登り詰めて行ったのである。だから、世界的に有望視されていた純国産大手企業がどんどんと凹み、外資に呑み込まれて行く。

 不思議なことに、地方では江戸時代の士農工商的発想が今も尚残されており、いつもながら首を傾げてしまう。江戸時代の一部の殿様の血筋が大豪邸を持ち、更には、全国各地に広大な敷地を有している。戦後、農地改革にて広大な農地を失った地主(地主の中でも善良な地主を意味する)も多いが、何故に一部の藩侯や既得権益者の多くを保護したのか。

 廃藩置県の時が実に面白い。従来の藩を県に置き換えるのは結構だが、そこに知藩事なる職位を与えて、名ばかりを変えて誤魔化しているところが何とも言えぬところである。租庸調を源流とする税制も変わらず、庶民への血税の仕組みは二重、三重に絡み合い、それが正当化されている。

 内閣総理大臣とは何ぞや、大臣とは何ぞや。記者団の質問を、言葉の綾で含みを持たせて暈したり、記憶喪失にでもなったような仮病を使うことばかりではないか。このコロナ禍の緊急事態において、派閥だの、次の大臣狙いだの、「平和ボケ」の最たる流れにて、世間を撹乱しつつある。

 内閣総理大臣を決定するのは必須だが、ここ数日間で政策(愚策)を即席にまとめるなんぞ、本末転倒としか言いようがない。よって、派閥の垣根なしに、一人一人の議員やそれに関係する方々は、正統派として政策を公約し、国家をまとめる神通力を持つ大人物を、トップに据えるべきである。

 マスコミについても、全国民の命に危機が迫る現在、ボブ・ウッドワードやカール・バーンスタインのように、悪徳大臣や各省庁幹部を炙り出すほどのパワフルさが欲しい。田舎芝居小屋の演劇を楽しむが如く、同じ質問の繰り返し。法整備の遅れは日本国のアキレス腱だが、今、ゴテゴテの国政に対する大胆なメス入れの「時」ではあるまいか。野党も与党の言葉尻を掬い上げる小技を日常とするよりも、堂々と政策で闘って欲しいものだ。

 誰しも面白がるのが、議員たちの選挙前には猫撫で声でペコペコ頭を下げて、優しい口調で自己アピール。更には、握手して親近感をアピール。されど、選挙当選直後、間、髪を居れず豹変するのが大半だ。「おい!」、「わかっとるのか!?」、「あの市長に電話しておけ!」と、語気も強まり、態度もデカくなる。

 猿山の猿軍団の縄張り争いをするボスの存在と、若いオス猿たちの下克上の茶番劇を見ているような気がしてならない。世界中にて「人種差別」、「人権問題」が取り沙汰されているが、人の上に人を造り、人の下に人を造りたがる、悪しき慣例が延々と続いている国政は、国民(我々庶民)の首を真綿で絞めているに過ぎない。

 「法の下の平等」とは名ばかりの名言、いや迷言。若き母親と子供の尊い命を奪った事件(悪質な交通事故)が、その悪しき慣例の典型ではあるまいか。加害者が上級国民であるから、更には高齢であるからと、加害者を一方的に保護しているように思えてならないが、救済すべきは絶命したの母子と遺族である。今回の事件の初動から現在まで顧みると、理不尽極まりなく、人道的に許されるものではない。

 いつの間にやら、偽善者ばかりが暗躍する国政において、「法の下の不平等」が日本全土を覆ってしまった感がある。おとなしい農耕民族である日本人だからこそ、その「不平等」を無言の内に甘受し、耐え難きを耐え、国家転覆に繋がるような野蛮なクーデターも発生しないのだろうと。

 一言に、歴史的に見て、過去最高の「平和ボケ」が最大要因であるとしか言いようがない。


▼半高山(熊本県玉名郡玉東町/西南の役当時の戦跡)の蝶と花々
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写真・文責:西田親生

     

  • posted by Chikao Nishida at 2021/9/12 12:00 am

自然体は最強の武器・・・

JOSUI


 誰だって、一日中物事が思うように進まないことがある。誰だって、何かを苦手に感じると、次の見えざる苦手に対して被害妄想となる。誰だって、思いとは真逆のベクトルへと導かれることがある。そこで、知らぬ間に、急に潮目が変わったり変わらなかったり・・・。

 いつまでも過去を思い起こし頭を痛めていると、次へのステップどころか、毎回振り出しに戻され、身動きできぬ状態に陥る。過敏にクヨクヨする人が多いが、何か物事が上手く行かねば、次から次へと負のスパイラルを呼び込んでしまい、結局は繭の中に閉じ籠ってしまう。

 どのようにしたら人から好かれるだろうか、こんな具合に話を持ち込めば相手は喜ぶだろうか、浅知恵を振り絞ってわざとらしく演出するから、何も良い答えは返ってこない。自身の体裁ばかりに気を取られ、本来進むべき道から逸れていることに気づかないのである。

 筆者は、若き社会人の相談事に対して、真っ先に「自然体」を諭すことにしている。あれこれ演出過多となっても、何も得るものもなく、何の解決にも至らない。本意をしっかりと伝えるには、「自然体」が一番だと諭すのである。万が一、それで相手と噛み合わねば、それはそれで善しと受け止めれば良い。

 あれこれ枝葉末節を支離滅裂に語り、遣っている感を演出したとしても、無意味なことである。結局、愚策や言い訳は簡単に見破られ、自身の信用の失墜をもたらし、捌けぬ人間、ええ格好し〜の人間、あてにならぬ人と、嘲笑されるばかりだ。

 また、優しさが「切り札」だと豪語する偽善者もいる。優しさを演出すれば善人風に見られ、物事が上手く行くと考えるからだ。それは偽善者の典型的な挙動であり、信用のおけぬ人として周囲の人たちは去って行く。飴と鞭と言うように、優しさには必ず厳しさがあってこそ、その優しさが際立つ。勿論、暴言、恫喝、暴力などは論外となるが・・・。

 義理堅い人物についても、表面的で損得勘定ありきの義理堅さ風では、本末転倒。本来の義理堅さとは、美辞麗句など不要。常日頃からお世話になっている方へは、仰々しく美辞麗句を並べなくても、毎日、お世話になっている方を思い起こし、感謝の念を持ち続けることが、義理堅さと言える。

 そうしている中で、自身が大切にしている方々への恩返しができる時に、それも互いに元気な内にしっかりと恩返しをしなければならない。一度でも助けられたら、助けて頂いた方が困っている時に、お役に立つことである。それは、死んでも忘れることのない「恩」であるからだ。

 何はともあれ、一つの問題を解決するのに、複雑に綾取りのような動きをしないこと。「自然体」を貫き、意に反する経緯、結果にバタつかず、ベクトルの微調整、修正に努めれば、必ず好転の風が吹いてくる。それも、慌てず急がず「冷静沈着」に、である。

 末筆ながら、前職時代の先輩A氏の話をしておきたい。公私共に大変世話になり、先輩後輩の関係というよりも、幼友達のような信頼関係であった。或る日、筆者の体調が急変し苦しんでいた時に、仕事を放り出して、一所懸命介抱してくれたのだった。

 しかし、残念なことに恩返しができないまま、その先輩は若くしてこの世を去ってしまった。先輩のウィッツに富んだトークと笑顔。厳しくも優しく、常に「自然体」で「率先垂範」の鏡であった先輩。筆者がこの世を去っても、決して忘れることはない。

 「我が人生の恩人」として・・・・・。


▼孔子公園のヒョウモンチョウと花々
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写真・文責:西田親生

         

  • posted by Chikao Nishida at 2021/9/11 12:00 am

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