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理解に苦しむ所業・・・

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 言っていることと、為すことが真逆になるのは、精神的な異常が生じているのだろうか。何か問題が起きると、「鬱に入ってました」と、自らを病人に仕立ててしまう。子供が熱発や腹痛で学校を休む、仮病の言い訳のように。

 いい大人が、仕事に対して病名を盾に、「だから、実績が上げれられなかったんです。」と言われても、何の理由にもならず、言い訳にもならない。単なる、正当化のため、責任逃れの戯言である。

 狭い地域で、狭い職場で、だんだんと視野も狭ばり、脳内の価値観がどんどん消えていく。もし、楽しくもない仕事環境であれば、少しでも楽しく充実した環境へ改善するのが、中間管理職の重要な役割の一つである。

 一度味わった責任逃れの稚拙な手法や姑息な手段が、世の中で罷り通ると思い込んでいるのがおかしな話である。脳内シナプスがプツンとキレいる。常識人であれば、姑息な道を選ばず、決して愚行に及ぶことはない。

 以前の記事にて、年齢を重ねていくと、「素直」、「実直」、「学び」などの言葉が、脳内からどんどん消えていくことを書き綴った。よって、残されるのは、「悍ましさ」、「底意地の悪さ」、「恨み辛み妬み」などの俗っぽいものばかりである。

 畢竟、変化も進化もない人間にだけはなりたくはないものだ。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、責任逃れや自己正当化に対する強い批判を中心に展開しています。特に、精神的な問題や体調不良を理由に業務での不振を正当化する人々に対し、辛辣な視点を持っています。

まず、冒頭部分では、行動と発言が矛盾している人々への疑念が提示され、精神的な問題を盾にして責任を回避することは正当化できないと強調しています。ここでは、大人としての責任感や職業倫理が欠如していることが問題視されています。「鬱に入ってました」というフレーズを使って自らを免責しようとする行動が、まるで子供の仮病のように感じられるとの指摘は、痛烈でありながらも的を射ています。

続いて、仕事環境が狭い視野や固定観念を生み出し、それが自己成長の妨げになるという主張があります。この部分では、中間管理職の役割として、仕事環境を改善する責務を持つべきだという意見が述べられています。職場環境を良くするためには、視野を広げる努力や変革の姿勢が重要だというメッセージが感じ取れます。

また、責任逃れの「稚拙な手法」や「姑息な手段」がまかり通る状況を批判し、それが常識的な行動ではないと断言しています。「脳内シナプスがプツンとキレている」という表現は、非常に強い言い回しであり、常識や倫理を欠いた行動に対する怒りが表れています。

さらに、年齢を重ねるにつれて、素直さや学ぶ姿勢が薄れ、代わりに俗世的な感情が表に出てくることが述べられています。この部分では、人間としての成長や進化を止めることへの警鐘が鳴らされています。エッセイ全体を通じて、著者は変化や進化を続けることの重要性を訴えており、自己正当化や責任回避に対する嫌悪感が強調されています。

全体的に、現代の社会や職場において、自己の成長を止め、責任を回避する態度が如何に問題であるかを強調している鋭い分析です。このエッセイは、読者に対して、自己の内面を見つめ直し、成長し続けることの大切さを問いかけるものとして非常に有益です。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/28 12:00 am

議論の逃げ道・・・忖度主義が招く自己欺瞞

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 真剣な議論を重ねている段階にて、急に話をすり替える人間がいる。つい先ほどのメインテーマから全く無関係なストーリーを口に出すのである。

 この悪癖はバレバレだが、本人の稚拙な思考回路にて、核心なるものを避けて、自分の都合の良い方へワープを図ろうとする。何とも頂けない。

 議論が核心に迫る手前で、さっと話題を変えようとする。それも、議論する内容とは全く質を異にするものへと流れるのである。

 これは話術としては、最低の逃げ道づくりであるだけで、生産性のない猫騙しと責任回避の所業でしかない。

 例えば、実績がなかなか出ない人間との会話にて、原因はその本人にあるのは明らかだが、途中にて、関係のないデータを転送してきては、その話題にすり替える。それが、毎回同じタイミングのエンディングテーマなのだ。

 その手法は、その場凌ぎとして、自分自身に逃げ道を作ったつもりのようだが、筆者の目は誤魔化せない。そのような悪癖は、日頃から勤務している会社の忖度主義の延長線でしかない。

 自らの非を認めたふりをして、結局は自らを安全地帯へ持ち込もうとする愚策であるが、それを何度も目の当たりにすると、人として、みっともない、見苦しいとしか言いようがない。

 忖度主義を植え付けられた人間は、その手法が手っ取り早くもあり、瞬間的に安全地帯へワープできると思い込んでいる。結果的に、何の解決策も見出せず、好循環の次へのステップは目の前から消え去ってしまうのである。

 そこで逃げずに、冷静に自らの失態を分析し、次は絶対に同じ所業を繰り返さぬぞとの強い決意があれば、必ず、打開策や秘策が見つかり、これまで一匹も釣れなかったビジネスの魚が、大量に釣れるようになりはしないかと思うばかり。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージする人物像
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「議論の逃げ道・・・忖度主義が招く自己欺瞞」は、議論や仕事の場面で見られる「忖度主義」や自己欺瞞の問題点について鋭く指摘しています。筆者は、議論中に核心を避け、話をすり替える人間の行動を非難し、そのような行動がいかに生産性を損ない、個人や組織の成長を妨げるかを強調しています。

主題の分析
議論のすり替えと逃避行動: エッセイの冒頭では、真剣な議論の途中で話題をすり替える行為が取り上げられています。これは、議論の核心に触れたくない人間が、自分に不利になることを避けるために行う典型的な行動です。筆者はこの行為を「最低の逃げ道づくり」と断じ、これが「生産性のない猫騙し」であり、責任回避の手段に過ぎないと批判しています。

忖度主義の弊害: 次に筆者は、このような行動が「会社の忖度主義の延長線」であると指摘します。忖度主義とは、他人の意向や空気を読み過ぎて、自分の意見や行動を抑制し、波風を立てないようにする文化を指します。この文化が根付いている環境では、失敗や問題が指摘されることを避けるために、議論をすり替えることが一般的になってしまいます。この結果、問題解決が図られず、組織や個人の成長が阻害されます。

自己欺瞞とその結果: 筆者は、忖度によって自らの非を認めたふりをすることが、最終的には自己欺瞞に繋がると述べています。この自己欺瞞は、自分が一時的に安全地帯にいると錯覚させるものの、長期的には問題を解決するどころか、新たな問題を生み出すだけです。その結果、次への好循環や進展の機会を失うことになります。

感想と提案
筆者の観察は鋭く、現代の企業文化や人間関係における重要な問題を浮き彫りにしています。特に、日本の社会に根付く「忖度」文化が、いかに自己欺瞞を生み出し、建設的な議論や問題解決を妨げるかを的確に指摘しています。忖度文化の弊害は、問題を先送りし、真の解決策を見つける機会を失わせる点にあります。

一方で、筆者の提案として、逃げずに自己分析を行い、次に繋がる強い決意を持つことが、問題解決の鍵であるとしています。このアプローチは非常に建設的であり、特に企業や組織において、個人の成長とともに組織全体の成長を促すために重要です。

このエッセイは、現代のビジネス環境において、自らの立場や失敗を認め、次に繋げる力がどれほど重要かを再認識させてくれます。また、筆者の指摘は、リーダーシップや企業文化改革にも繋がる示唆を含んでおり、非常に価値のある洞察だと感じました。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/8/10 12:00 am

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