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「考えています」という霧隠術

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 「考えています」

 仕事の進捗を尋ねるたびに、この言葉を返す人がいる。社外の人間だが、語る抱負は立派でも、その後の行動が見えてこない。何を考え、どこまで整理し、いつ動くのか。そこに話が及ぶと、返答は途端に曖昧になる。

 考えることは、仕事に欠かせない。拙速に動けば、取り返しのつかない失敗を招くこともある。しかし、熟慮と停滞は違う。両者を分けるのは、費やした時間の長さではなく、その時間によって何が明らかになったかである。

 問題の所在が絞れた。選択肢が二つに減った。判断に必要な情報が分かった。それならば、思考は前に進んでいる。たとえ結論に至らなくとも、次に確かめるべきことは示せるはずだ。

 ところが、昨日も今日も「考えています」の一言で終わる。問い直しても、具体的な説明がない。それでは、周囲には熟慮しているのか、判断を先送りしているのか、見分けがつかない。

 本人にも、不安や迷いはあるのだろう。失敗したくない。責任を負いたくない。できれば、誰かに正解を教えてほしい。その気持ちは分かる。だが、不安を繰り返しなぞるだけでは、解決策は生まれない。悩み続けることと、考え抜くことは、同じではないのである。

 仕事には、動いて初めて分かることがある。仮説を立て、小さく試し、結果を見て修正する。その過程で、机上では見えなかった問題が姿を現す。完璧な答えが出るまで動かないという姿勢は、ときに、答えを得る機会そのものを遠ざけてしまう。

 厄介なのは、「考えています」が、その場をしのぐ言葉として使えてしまうことだ。

 「やっていません」と答えれば、理由を問われる。「分かりません」と認めれば、学ぶ必要が生じる。ところが、「考えています」には、何かに取り組んでいる響きがある。判断も行動も保留したまま、努力しているように見せることができる。

 しかし、その効き目は長く続かない。

 初めは待ってくれた人も、やがて進捗を尋ねなくなる。相談が減り、依頼が減り、重要な仕事は別の人へ渡っていく。本人は追及されなくなって安堵するかもしれないが、それは理解を得たからではない。期待を失ったからかもしれないのだ。

 信用が失われるとき、必ずしも厳しい言葉が飛んでくるわけではない。次の仕事が来ないという、静かな形で現れることもある。

 もちろん、指示を受けて正確に仕事をこなすことには価値がある。定型業務も、それを担う人の誠実さによって支えられている。問題は仕事の種類ではない。自分が判断すべき場面でも判断を避け、その責任を曖昧な言葉の中に隠してしまう姿勢である。

 変えるべきは、まず返答の中身だ。

 「考えています」で終わらせず、何に迷い、何が不足し、いつまでに何をするのかを伝える。自分だけで決められないのなら、必要な助言を求める。そして、約束した一歩を実際に踏み出す。

 それだけで、周囲は協力しやすくなる。結果が思わしくなくても、次の手を一緒に考えられる。信用は、立派な抱負よりも、こうした小さな約束を果たすことで積み上がっていく。

 仕事の成果だけで、人間の価値が決まるわけではない。しかし、仕事を通じて寄せられる信用は、自分の言葉と行動によって変わる。「考えています」を保身のために繰り返せば、自らその信用を削ることになる。

 失敗を避けたつもりで、挑戦の機会を失う。責任を逃れたつもりで、任せてもらえなくなる。その場を取り繕うには便利な一言も、重ねるほどに代償は大きくなる。

 畢竟、自分の価値を落とす愚行とは、答えを持たないことではない。答えに近づく努力を怠りながら、考えているという言葉で、自分まで欺いてしまうことである。

 「考えています」の次に、何をするのか。

 信用の行方は、その一歩にかかっている。

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▼ChatGPTによる感想

「『考えています』という霧隠術」という題名で、批評の焦点が明確になっています。何を考えているのか、どこまで進んだのか、いつ動くのか。そのすべてを曖昧にしてしまう言葉の働きを、「霧隠術」の一語が巧みに表しています。皮肉にユーモアも交じり、本文を読みたくなる題名です。

この比喩は、読み進めるにつれて意味が深まります。最初は、追及をかわして身を隠すための霧に見える。しかし終盤の「自分まで欺いてしまう」に至ると、その霧によって本人も自分の停滞を見失っているように読める。他人への取り繕いが自己欺瞞に変わるところに、この文章の怖さがあります。

とりわけ印象的なのは、霧隠術の「成功」が、仕事上の失敗につながるという皮肉です。進捗を尋ねられなくなれば、その場の追及は免れる。ところが、それは期待や依頼が失われた結果かもしれない。「次の仕事が来ないという、静かな形」という一節が、その代償を端的に伝えています。新しい題名によって、このくだりがいっそう鮮明になりました。

また、「熟慮と停滞」を、考えた時間ではなく「何が明らかになったか」で区別している点が、文章の説得力を支えています。ここに具体的な判断基準があるからこそ、読者は自分の仕事に引き寄せて考えられます。不安への理解や、助言を求めるという選択肢も示されており、厳しい指摘を受け止めた先に、行動へ移る道が用意されています。

「霧隠術」は意図的なごまかしを連想させる強い言葉ですが、本文が迷いや不安にも触れているため、人の弱さまで視野に入った批評として読めます。その釣り合いもよいと感じました。

そして、最後の「『考えています』の次に、何をするのか」。題名で立ち込めた霧を、この具体的な問いが晴らすような結びです。読後には、他人の言い訳を見抜いた満足よりも、自分が曖昧にしたままの約束や返答が思い浮かびます。風刺と内省がよく響き合うエッセイになっています。
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文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/14 12:00 am

煮え切らない人ほど、「やりたいと思っています」を繰り返す

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 会話をどれほど重ねても、結論にたどり着かない人がいる。話は毎回堂々巡りで、いつまで経っても締めくくられない。

 決まって口にするのは、こんな言葉だ。

 「やりたいと思っています」
 「やる方向で考えていました」
 「やらなければならないと思っていました」

 しかし、そこには肝心なものがない。

 「いつまでに」
 「何を」
 「どのような手順で」
 「どこまでやり遂げるのか」

 行動に必要な具体性が、すっぽりと抜け落ちているのである。

 その言葉を信じて待ってみる。ところが、数カ月が過ぎても、数年が過ぎても、何も変わらない。忘れた頃に、また同じ言葉が飛んでくる。

 「やるつもりです」と。

 本人はおそらく、頭の中で約束を思い描き、それを言葉にした時点で、一歩前へ進んだような気持ちになっているのだろう。しかし、意思を表明することと、実際に行動することは、まったく別物である。

 「思います」
 「思っていました」
 「つもりです」

 これらの言葉は便利だ。決意のように聞こえながら、期限も責任も曖昧にできる。だからこそ、行動しない人ほど多用する。

 そもそも行動とは何か。その入り口から説明し、何度軌道修正を促しても、いつまで経っても行動の「こ」の字すら見えてこない。毎回繰り返される奇妙な会話に戸惑うが、「それが性分なのだ」と言ってしまえば、それまでである。

 実に煮え切らない話だ。

 ゴルフ練習場を思い浮かべてほしい。ティーにはボールが自動的にセットされている。打席に立ち、スタンスを確かめ、ワッグルまで済ませている。

 それでも、

 「打ってみようと思います」
 「まっすぐ打とうと思っていました」
 「今から打つつもりです」

 と言うだけで、クラブを振らない。

 スイングしないのだから、ボールに当たるはずがない。ましてや、飛距離も方向も、フォームの良し悪しも分からない。失敗さえできないのである。

 行動しない人が失うのは、成果だけではない。経験も、反省も、改善の機会も失っている。

 なぜ言葉は発するのに、心と体が連動しないのか。

 一つには、長い間、受け身で仕事をしてきたことが考えられる。指示を待つことが常態化すると、自らの意思で判断し、最初の一歩を踏み出す感覚が鈍っていく。誰かに言われなければ動けず、誰かが背中を押してくれるのを待ち続ける。

 その姿は、巣の中で親ツバメの帰りを待つ雛に似ている。親鳥が戻ってくれば、大きく口を開け、餌が運ばれてくるのを待つ。

 幼鳥であれば、それでいい。しかし、プロフェッショナルを目指す社会人が、いつまでも餌を運んでもらう側にとどまっていてはならない。

 自分で考え、自分で決め、自分で動く。その結果を引き受け、修正しながら次へ進む。それが仕事であり、成長である。

 行動がなければ、実績も生まれない。実績がなければ、自信も育たない。そして自信がないから、さらに行動できなくなる。こうして人は、「思っています」と「つもりです」の間を、いつまでも往復することになる。

 怖いのは、本人がその停滞に気づいていないことだ。

 原因を、育った環境や過去の職場だけに求めても仕方がない。どのような経緯があったにせよ、今の自分を動かせるのは、今の自分しかいない。

 「やりたいと思っています」と口にした瞬間、問うべきことがある。

 「では、いつやるのか」
 「最初に何をするのか」
 「今日中にできる一歩は何か」

 意思は、言葉にしただけでは現実を一ミリも動かさない。

 クラブを振らなければ、ボールは飛ばない。巣から出なければ、自分の翼で飛べる日は来ない。

 「やりたい」と繰り返す人と、「やった」と報告する人。その差を生むのは、才能ではない。

 言葉の直後に、最初の一歩を置けるかどうかである。

※ヘッダー画像は、ChatGPTが記事を読み生成したもの

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▼ChatGPTによる感想

 非常に耳の痛い、しかし本質を突いた文章である。特に印象に残ったのは、「意思を表明すること」と「行動すること」を明確に切り分けている点だ。「やりたい」「やるつもりだ」と口にすると、本人はわずかに前進したような満足感を得る。だが、期限も手順も最初の一歩も示されていなければ、現実は何一つ変わっていない。この自己欺瞞を、文章は容赦なく突いている。

 ゴルフ練習場の比喩も秀逸である。スタンスを確認し、ワッグルまで済ませながら、肝心のクラブを振らない。これほど滑稽で分かりやすい「行動しない人」の姿はない。さらに、「失敗さえできないのである」という一文には重みがある。行動しなければ失敗を避けられるように見えるが、実際には、経験も反省も改善も得られない。つまり、失敗しないのではなく、成長する資格そのものを自ら手放しているのである。

 また、「行動がないから実績が生まれず、実績がないから自信が育たず、自信がないからさらに行動できない」という悪循環の指摘にも説得力がある。煮え切らない態度は、単なる性格の問題ではない。放置すれば、自分の可能性を少しずつ削り取っていく習慣になる。その意味で、本稿は他人への苦言であると同時に、読者自身に向けられた警告でもある。

 一方で、行動できない人の背景には、受け身の習慣だけでなく、失敗への恐怖、過度な完璧主義、自信の欠如など、さまざまな事情があるだろう。したがって、すべてを本人の甘えや他者依存だけで説明することはできない。しかし、どのような事情があるにせよ、最後に現実を動かすのは本人の行動でしかないという本稿の主張は揺るがない。

 最も強く心に残るのは、結びの「言葉の直後に、最初の一歩を置けるか」という問いである。大きな決意や立派な宣言は必要ない。電話を一本かける、資料を一枚作る、期限を決める。その小さな一歩によって、「やりたい」は初めて「やっている」に変わる。

 本稿を読んで他人の顔だけが浮かぶなら、まだ読み方が浅いのかもしれない。自分自身もまた、「思っています」「つもりです」という言葉を、行動しないための隠れみのにしてはいないか。そう読者に振り返らせるところに、この文章の鋭さと価値がある。
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文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/3 08:17 am

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