
短時間ではあったが、互いに肉声で語り合うことができた。
日頃は双方の仕事の関係上、メッセージのやり取りで終わっているが、毎日、筆者のエッセイに対する感想や意見が送られてくるので、とても有り難い存在のお一人である。
昨日は、ドクターが夕刻からの会議へ向かう途中、タクシーの中からの通話であったため、長くは話せなかったが、「紙書籍」の価値について一定の結論が出た。
ドクターは、筆者が書き綴る書籍を次々に購入してくれており、実に有り難い。その中で、次のように語ってくれた。
『やはり、紙書籍はいいですよね。購入した書籍を並べて眺めていると重みがあり、手に取って読んでいくと、電子書籍とは全く異なり、読み応えがあります。次々に出版されるので驚いていますが、よくもまあ、いろんなタイトルが次々と頭に浮かぶものだと感心するばかりです。』
ドクターは本当に生真面目な方であり、一巻をしっかりと読み終えてから、次の一巻に進むという。筆者はもともと読書嫌いの子どもであり、教科書ともなれば冒頭を少し読んだだけで飽きてしまい、外で遊び回っていた。
そんな人間が、今や二ヶ月少々で十七巻の紙書籍(エッセイ集は十五巻)を出版したのだから、自分でも驚いている。「お前さん、気が狂ったのか」と言いたくなるほどである。
熊本弁で的確に表現するならば、「カンナシ」という言葉が相応しいだろうか。
しかし、昨年夏からの電子書籍出版と比較して、大きな違いを日々感じている。それは、同じ書籍であっても、紙媒体のペーパーバックが手元に届くと、その手触りと重みを実感できる点にある。実に、温かい。
物理的には当然の現象ではあるが、デバイスやプラットフォームの進化により利便性が向上する一方で、このアナログな紙書籍の存在を、今頃になって「貴重なもの」と捉えるようになった。
書き手としては、すべて事実に基づき、信憑性を最大限に保ちながら記述することに、大きな緊張と責任を伴う。正直なところ、電子書籍を出版していた頃とは、全く異なる次元に足を踏み入れた感覚である。
記憶をインクの活字として記録に留める作業が、次第にルーチンとなりつつある。しかし、いまだ納得のいく作品には到達していない。おそらく、この世を去るまでに、たった一巻でも「完成形」と呼べるものを残せればと思うが、現時点ではその域に達していない自分がいる。
今回、とても勇気づけられたのは、この熱心なドクターやメディアの重役の存在であり、また、県内外の学校司書の方々のご配慮によって、新たな方向性が見えてきたことである。できることならば、堅苦しく言えば「日本人精神文化論」として、教育素材となる最終巻を残したいと考えている。
書けば書くほど、どこか気後れしてしまう。自分の物理的な執筆速度に対し、脳内のシナプスが沸騰しているように感じてならない。しかし、「やると決めたことは最後までやり通す」と呟きながら、今日もまたキーボードを打ち続ける筆者がいる。
蛇足ながら、キーボードが「パシャパシャ」と音を立てるのは、キー自体のスプリングの経年劣化によるものだ。かつて英文タイプライターでブラインドタッチを習得した人間ゆえ、キータッチは電子オルガンではなく、コンサートピアノのように重く強い。そのため、以前リターンキーを割ってしまったこともある。(大笑)

▼昨日、購入可能となった1巻

▼現在、出版準備中の2巻


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文責:西田親生

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