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2008/08/30 コラム・雑感
月心寺の豪傑庵主さん
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月心寺の豪傑庵主さん

 筆者が「月心寺」を訪れたのは20年ほど前の事。ある方に「月心寺」という書籍を頂いて興味を持ち、全国ニューメディア研究会のメンバー十数人ほどで同寺の精進料理を食べに行く事に。・・・当時はテレビなどでも紹介され、知る人ぞ知る有名な寺でもあった。

 現地集合、現地解散だったので、筆者は熊本空港から伊丹へ飛び、京都駅までバスに乗り、それからタクシーを乗り継いで1号線を滋賀県大津方面に向った。途中で「月心寺」を見つけたが、その頃はGPSなどなかったので、果たしてこんな所に目的の寺が見つかるかどうか凄く不安であった。

※左はイメージ写真。

 門をくぐり玄関を覗くと、右手に畳の部屋、奥に小さな庭・・・こじんまりしているが、なかなか風情のある寺である。「ごめんください!」と何度か声を掛けると、お手伝いさんらしき女性が顔を出して来た。熊本から来たことを伝えると、「庵主様がお待ちです。」と言いながら、中へ通してくれた。

 畳の間に導かれて目の前に立っていたのが噂の庵主さん。「おー、来たな!まあ、上座に座って・・・どうぞ、どうぞ!遠慮無く!」としゃがれ声の庵主さんが話し掛けて来た。「どこから来たかね?」・・・唐突な質問に・・・少々、内心「イメージと違い、荒々しい人物だな!」と思った。

 筆者が興味を持っていたのは、吉兆の料理長も驚く庵主さんの精進料理。その庵主さんは左半身が不自由だが、全て右手で料理を作っていると聞いていた。その話だけでも、その料理が如何なるものか、心は料理の鉄人「月心寺の庵主さん」に向いていた。

 30分ほど庵主さんと話し込んでいる内に、メンバー全員が全国各地から集まってきた。「今日は、広島から天然の大きな松茸も来ており、芋、・・・何でも召し上がれ。」と大声を出し、「わしは、この真ん中で酒を呑んどるわ!ハッハッハ!」と、胡座をかいて、手酌でグビグビと呑みだしたのである。暫くして、お手伝いさんが大鉢に盛った料理を次から次へ持って廻り、我々は小皿に一つずつ箸で取り分けして食して行った。

 昼食で1人1万円だったと記憶するが、一つ一つの料理は、食材その物を大切に取り扱ったものだ。「へえ、やっぱり吉兆の料理長も腰を抜かす料理としての価値はありますね!」と、参加者全員が頷くばかりであった。約1時間半ほどのランチタイムを「月心寺」で楽しんだ我々は、現地で解散し各地へ散って行った。

 1冊の本を読んで訪れた「月心寺」。その豪傑庵主さんもご健在と思うが、また「月心寺」へ赴き、特に絶品だった「胡麻豆腐」を食してみたいものだ。
登録2008/08/30 07:04:51  更新2008/10/06 06:03:55   

2008/08/29 コラム・雑感
珈琲の想い出!
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珈琲の想い出!

 珈琲に目覚めて30年近くが経ってしまった。学生時代に初めて見た手動型「ミル」。手で回してガリガリと珈琲豆を粉にして行く。取っ手の根元に付いている調整ネジを、右に回せばパウダー状の粉になり、左に回せば少々粗めの粒になって行く。珈琲豆やたてる珈琲の種類によって、挽き具合を調整するのである。

 ※左は、イメージ写真。

 初めて十数種類の珈琲豆を見たときは、何が何だか分からなかったが・・・珈琲専門店に通い詰めて、色んな種類の珈琲にチャレンジしてみた。先ずは、モカマタリから始まり、ブラジル、キリマンジャロ、フレンチロースト、ブルーマウンテン、グァテマラの豆が定番となり、またダッチ珈琲やカイゼル珈琲、ターキッシュ珈琲など世界の珈琲を試飲していった。いつの間にか喫茶店に行くのが日課となり、その日の珈琲を決めて毎日飲みに行ったほどである。

 残念ながら他界され今は店構えも無くなったのだが、25年前に足を運んだ老夫婦が経営する画廊喫茶には驚いたものだった。自家焙煎として1杯の珈琲が当時500円だった。筆者は当時新聞社に勤務しており、その画廊喫茶のお客は何故か新聞社の重役や最大手カーディーラーの社長さんらが多かった。昼食後に足を運ぶと、カウンターの重役の隣で珈琲を静かに飲まざるを得なかった。

 その老夫婦から孫のように気に入られた筆者は、レストランでもないのに・・・おばあちゃんが筆者だけに、「焼きビーフン作ったので食べなさい!」と、2人前ほどの焼きビーフンを作ってくれる。勿論、お金をとられることもない。・・・と言うか、そこは珈琲専門店なので、軽食などの料理メニューが一切無かったのである。

 実に想い出深い1杯500円の珈琲。自家焙煎で可成り濃厚な珈琲だったので、1杯を1時間ほどかけてチェイサー(水)を間に挟んで飲んでいた。勿論、昼休み時間はとうに過ぎている。重役達から何ら注意もなく、たまに甘えて仕事をサボタージュさせて頂いた。

 おばあちゃんは重役達にも「○○ちゃん」と呼び、親しげに子供扱いである。当時の500円はサラリーマンにとっては凄く高い1杯の珈琲だったが、お陰で重役達からも可愛がられ、色んな有益な話をして貰ったような気がする。・・・その画廊喫茶には7〜8年ほど通ったが、ビルが転売される事になり、高齢であった老夫婦も隠居生活をせざるを得なったのである。

 良き時代「昭和」が、音もたてずに少しずつ消え始めた頃でもあった。

【筆者が好きな珈琲の飲み方】

■ターキッシュ珈琲:豆ごと一緒に入れる珈琲で、上澄みを楽しむもの。
■カイゼル珈琲:卵の黄身を珈琲に浮かべて飲むもの。
登録2008/08/29 18:48:11  更新2008/10/06 06:04:06   

コラム・雑感
上を向いて歩いていたら・・・
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上を向いて歩いていたら・・・

 夏休み直前の日曜日だった。小学校1年2組のクラスメイトと一緒に恩師の家に遊びに行く事になった。実は筆者が夏休みに入り別の小学校へ転校する事が決まり、そのお別れ会であった。

 恩師の家は木造平屋建て。土間もあり、昔ながらの伝統的な農家の造り。土間を上がり、座敷で昼ご飯をご馳走になっていた。恩師が「みんな、夏休みにはお父様のご都合で転校するんだよ。寂しくなりますね。ご飯も食べたことだし、皆で川沿いを散歩しながら話しましょう!」と、全員を川の方へ連れ出した。

 マシュマロみたいな真っ白な雲がふんわりと浮かんでいて、風一つ無い好い天気だった。土手を走る細い路は耕耘機の車輪が作ったような溝が二本延々と続いている。先頭を恩師が歩き、その後ろから5人のクラスメイト達がついて行く。筆者は最後尾をちんたらと、何か考えながら歩いていた。

 その時、突然大きな烏がこちらに向かって飛んで来るのが見えた。真っ白な雲と真っ黒な烏のコントラストが何とも言えないくらい印象的で、いつの間にか筆者の眼はその烏をずっと追尾していた。

 烏は一瞬のうちに飛び去って、だんだん点のように小さくなって行く。もう見えなくなるかなと思い、少しでも高いところから見ようと思いジャンプしてみた。・・・・その瞬間ゴロンゴロンという音が耳の周りに聞こえた。そしてグルグルと目が回っている自分がいた。

 何が起こったのか、全く理解できなかった。とっさに立ち上がったが、そこは土手の路ではなく、水の音がチャプチャプと聞こえる川岸だった。どうしてここに座っているのだろう?どうして両手の肘や手のひらが痛いのだろう?・・・

 土手の上方を見ると、先ほどまで筆者の目の前を歩いていた恩師たちの姿が見えないくらい離れているではないか。きっと筆者は大きな烏に夢中になり、足を滑らして土手を転げ落ちたのだろうと、ある程度時間が経って分かった。

 あまりにも情けない自分が恥ずかしく、必死で土手を登り恩師達の方に向かって走って行った。・・・恩師が筆者を見るなり、「あら、何していたの?泥んこになって、また虫でも追っていたんでしょう!!」と。ゴロンゴロンと転がったのを、誰も気付いていなかったらしい。少し辛くもあり、悲しくもあった。

 肘や肩に、時間が経つにつれじわじわと痛みが走る。また元の路をUターンして恩師の家に到着した。一人井戸の水を汲んで手足をこっそり洗っている筆者。不思議に思ったのか、恩師が近づいて来て、「まあまあ、怪我しているじゃない!どうして怪我していると正直に言わないの?」と心配そうな目をして、赤チンキを沢山塗ってくれた。赤チンキを塗られた所はズキズキして余計痛かった。

 それから3時のおやつを頂き帰途についたのだが、自宅に帰って鏡を見ると、顔にも赤チンキが丸々と付けられている。何とも映画の「キョンシー」か、熊本の「おてもやん」のような形相であった。よくもまあ、こんな姿での街中を歩けたものだと・・・これまた情けなかった。

 それからというもの、歩くときは必ず前後、上下、左右をよく見て歩くようになった筆者である。
登録2008/08/29 05:55:53  更新2008/10/06 06:04:19   

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