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2008/09/02
コラム・雑感
背筋がゾクゾク、冷や汗タラーリ!
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いつだったか、とんだ珍事があった。新聞社主催、○○カントリークラブでコンペの予定。確か午前8時30分現地集合、9時スタートだった。
担当者は企画部長と筆者(当時、企画係長)、部下の3人。更に重役1人がコンペに参加することになっていた。筆者が賞状、トロフィーなどを手配し、部下が白布や受付用備品や筆記具などを準備することになっていた。
※左はイメージ写真。
コンペ前日、たまたま重役と朝4時頃まで呑んでいた筆者。マンションに帰って、バタンキューの状態。・・・何となく顔が火照るので、熱があるのかと生汗を拭いながら思い時計を見ると、午前8時であった。どっと生汗が冷や汗に変った。
顔が熱かったのは、酒を飲み過ぎていたのではなく、朝陽が窓ガラスを通して筆者の顔に直接当たっていたからだった。・・・「おいおい8時だ!」と自分に気合いを入れて起きようとした瞬間に、何か妙に嫌な予感がした。
もしかしたら今日は○○カントリークラブでコンペだったんじゃ・・・。流石に一瞬間固まってしまった。集合が8時半なのに、今からでは間に合わない。・・・それより賞状やトロフィーの手配を完璧に忘れていたのである。さあ大変どころの騒ぎではなかった。
ここで焦る自分を押さえて、深呼吸しながら頭の中を整理する事にした。
1)手配していないトロフィーをどうするのか?
2)トロフィーが手配できても、文字プレートをどうするのか?
3)賞状の手配や印刷、押印はどうするのか?
4)トロフィーや賞状、備品をどうやって運ぶのか?
5)午後3時の表彰式に間に合うのか?
筆者の頭の中はミングルマングルの状態だったが、差し迫って来る荒らしの様な時間の中で、何とか最短最適な行動をシミュレートしていた自分がいた。当時、S商会にトロフィーやメダルを依頼していていたので、早速同社へ電話を掛け、「本日のいつものコンペ賞品をお願いしたい。優勝、2位、3位・・・・」と説明をしたのだった。
S商会の担当者は「今日の今日は無理ですよ。文字プレートの刻みも間に合わないし、後日送るということではいけませんかねえ?」と困り果てた様子。筆者もすかさず押しの一手で、「ある物で良いので、予算に合わせて揃えて欲しい。文字プレートは何も刻まず付けておいて欲しい!(★ここがポイント)」と無理な注文をしてしまった。
しかし、S商会の担当者は営業車が無く物を運べないと言うので、即座にタクシー会社へ電話をかけ「通用門に1台願います。先ず、通用門で女性が立っているので賞状と筆ペン、角印を受け取って、それからS商会へ向かい、トロフィーを受け取り、そのまま○○カントリークラブの事務所にこっそり私宛に送り届けて下さい。タクシー代は後ほどチケットを持ってくるので、ちゃんと金額をメモして置いてください!・・・」と。
筆者は顔を洗い、タオルを持ったまま玄関から飛び出した。電気カミソリで髭を剃りながら車を運転し、同ゴルフ場のクラブハウスへ直行。当時の愛車はツートンカラーのホンダCR-X1.5i(真っ赤なライトウェイトスポーツカー)。バリバリ走りまくり、タクシーよりも早く到着するように、ドライビングに集中した。その間、景色など全く記憶にないが、ラリー車並の走りだったと思う。
筆者が同ゴルフクラブに到着したのは午前9時15分。既に皆はコースを回り始めていた。それからが電話で手配していた物をタクシーが運んできてくれた。運転手に御礼を言って、チケットにサインをしてチップ(1000円)を渡した。それから2時間ほどで準備万端にしておかないといけない。昼ご飯で皆が戻ってくる、それまでが勝負の時だ。
出された珈琲を飲みながら目を覚まし、午後3時の表彰式会場に全ての物を持ち込んだ。先ず手間がかかる物から片付けなければならない。賞状を最初に取り出し、筆ペンを用いて「優勝」、「第二位」、「第三位」と一枚ずつ手書きで文章を書いて行った。勿論、文言を考えながら書くので余裕の無い状況だ。それからゴルフ場から朱肉を借り、賞状の筆文字が乾いてから押印すれば良い。一人で頷く筆者であった。
次が問題だ。トロフィーの文字プレートをどうやって刻み込むかである。通常は機械を用いて活字刻印だから綺麗なものだが、どうやって刻むか?思いついたのは千枚通しのような、先が鋭利で尖った硬い針状の物があればと思い、ゴルフ場に問い合わせてみた。
手頃な物があったので、プレートに向かってダイレクトに「昭和・・年・・・」と刻んでみた。思ったよりばっちり文字が刻み込まれるようだ。それから正午近くまで、少しずつ正確に文字を刻み込んで行った。トロフィーを左手と両足太腿に挟んで、天才版画家棟方氏のように、ただひたすら刻み込んで行った。・・・「これでバッチリ!!」と、フーッと大きく息をついて、ソファーに座り込み寝てしまった。
昼食も忘れ、ソファーにぐったりと1時間ほどうたた寝をしてしまったらしい。今朝まで重役と酒を呑まなければ良かったとブツブツ独り言を言っていたが、実は結構ご機嫌な筆者であった。
午後3時になった。定刻通り表彰式が始まり、重役が「優勝!○○○○殿 貴殿は・・・・」と読み始めた。各入賞者へは賞状、トロフィー、記念品を次々に手渡されて行く。それでも筆者が書いた賞状や刻み込んだプレートの文字に、違和感を持つ者は誰一人として居ない。「大成功だ!!」と、心の中では右手を引いて笑顔でガッツポーズととっていた。
今思い起こせば、背筋がゾクゾク、冷や汗タラーリと赤面するような失敗談である。トラブルメーカーのトラブルシューティングという珍事だが、後日トロフィーのプレートは刻印した物と全て交換して、一件落着となった。
■
登録2008/09/02 07:53:31 更新2008/10/06 06:03:23
2008/08/31
コラム・雑感
おやつの変遷
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30数年前の「おやつ」を思い浮かべてみた。都市部では大型百貨店全盛の時代であり、現在のようなコンビニも何もない時代だ。熊本の田舎では、スーパーマーケットも無い時代の話。
※左はイメージ写真。
ちなみに筆者が幼少の頃過ごした所は、熊本県北部の山鹿市であった。山鹿灯籠まつり、芝居小屋・八千代座、装飾古墳などで有名な温泉町。「千軒盥(たらい)無し」と唄われるほど、殆どの市民は温泉場を利用していた。湯量も豊富で泉質がすこぶる良い。現在は住んではいないが、筆者にとっては素敵な素敵なふるさとでもある。
当時の商店街を思い浮かべると、中町を中心に、南に下町、北に九日町(芝居小屋・八千代座があるところ)と・・・1階が店舗、2階が住居という、昔ながらの個人経営の小店舗が長屋のように連なっていた。江戸時代の豊前街道の道沿いでもあったらしい。残念ながら二十数年前の大火事で、湯の端周辺の商店など50軒ほどが焼けてしまった。
小学校低学年であった筆者は、学校が終わると10円玉持って大宮神社や裁判所の傍にある駄菓子屋へ足を運んだ。・・・「雀の玉子」、「赤いセロファンに包まれたビスケット」、「小さな烏賊の串照り焼き」、「ニッケ紙」、「ニッケ水」、「くじ引きあめ玉」、「元祖・カルミン」、「ハリスチューインガム」、「ベビーコーラ」、「リボンシトロンオレンジジュース」、「セロファンが貼ってあるチョコレートパン」・・・と買いあさっていた。
特に「ニッケ紙」や「ニッケ水」をピチャピチャと食べて帰宅すると、祖父母から毎回のように雷が落ちて来たことを思い出す。「また、ニッケ水飲んだでしょ!!身体に悪いから、止めなさい!!」と。筆者は祖母の厳しい取り調べを終始否認していたが、「あっかんべ〜!!」と言った瞬間に、舌が真っ赤となっていてバレバレであった。「また、この子は・・・しょうがないねえ!」と、苦笑いの祖父母であった。
遠足前日となると、ふだん通い詰めている駄菓子屋へは行かず、小銭をかき集めて出来たばかりのスーパーマーケットへ行き、店内をぐるぐる回って物色を開始。当時人気だったのは、「森永ヨーグルトキャラメル」、「グリコアーモンドチョコレート」、「シャーベット(小さな丸いソフトケーキ)」、「角形カルミン」、「森永ビスケット」、「コカコーラ」、「牛乳パン」・・・と、駄菓子屋より上のランクの菓子類が沢山陳列してあった。
現在の菓子類は贅沢なパッケージで包まれ、賞味期限がきっちり記入され、甘い菓子には発癌物質の「チクロ」など一切使用されていない。筆者の幼少期に通っていた駄菓子屋は雑菌だらけ。発癌物質バリバリで、製造元不明、賞味期限不明又は超過のものをたらふく食べさせられたことになる。・・・だから大病をしないのか?^^;;;
今、コンビニが数百メートルおきに建ち並び、弁当、飲み物、菓子、生活雑貨が所狭しとビッシリと陳列されるようになるとは、当時は予想もだに出来なかった。何でも揃うコンビニの存在は実に大きい。ATMなどもあり、おまけに酒類や米なども取り扱っていて、普段の生活必需品は殆ど揃えられるのというのが凄い。現代の物流システムの賜でもある。
話は前後するが、昭和20年8月15日終戦からGHQの占領の下、全国へ向けて「脱脂粉乳」が給食を飾った時代もあった。何とも言えない臭いと味。今のワンちゃんに飲ませるミルクの方がよっぽど美味いのではないかと思った次第。それから半世紀、高度成長期、バブル期を体験し、とんでもない贅沢が当たり前の国家になってしまったのであろうか。物に困って苦労していた時代の方が、人は清々しく生き生きと見えた。しかし、今は目的も忘れ、地に足がつかない生活をしている人間が増えて来たように思えて仕方ないのだが・・・。
たかが子供の「おやつ」。しかし、その歴史を振り返ると・・・時代背景がクッキリと見えてくるというものだ。良き時代とは、縁を大切にして、互いに助け合い、必死に生きていたような気がする。確かにデジタルの進化で便利な世の中にはなったが、人として恥ずかしく無い人生を歩んで行きたいと考える次第。
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登録2008/08/31 23:16:56 更新2008/10/06 06:03:33
2008/08/30
コラム・雑感
色白の車掌さん
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父の転勤で宮崎市へ移り住むことになった。南国宮崎は道が広く一直線で、道沿いのフェニックスが異国情緒を醸し出していた。家族の住む官舎は宮脇町の法務合同宿舎。当時は宮崎県立体育館の傍にあった。
※左はイメージ写真。
4月から中学生。筆者は宮崎中学校へ入学することが決まっていた。官舎から南に巨大な宮崎刑務所(現在、移転している)があり、5メートルほどある背の高い灰色のコンクリート外壁沿いに延々と続く通学路。30分ほど歩くと同中学校へ到着する。
或る日の雨の朝、少々風邪気味で熱がありバスを利用することにした。宮脇町バス停で路線バスを待った。暫くすると濃紺の宮崎交通バスが来て、ドアから色白の車掌さんが降りて来た。当時は路線バスにも車掌さんが乗っていたのだ。
初めて乗る路線バス。宮脇町バス停から昭和町バス停まであっという間に到着。確かバス代が当時10円だったと記憶する。筆者はポケットの小銭入れから10円玉を取り出し、運転手さんの左側料金支払い箱にチャリンとコインを入れてバスを降りた。
バスに乗っていた僅かな時間。その車掌さんはずっと筆者の顔を覗き込むように、微笑みながら見ていた。何かご飯粒でも顔に付いているのかと、慌てて自分の顔を両手でなぞった。何も付いていなかった。「僕と同じくらいの弟が居るんだよ!」と言って、昭和町バス停で筆者を見送ってくれた。
遅刻しそうになった時、またいつもの路線バスに乗り込んだ。あの色白の車掌さんが乗っている。慌てて行ったので小銭入れに10円玉が無く、100円玉を支払い箱手前にある両替機に入れて、下からパラフィン紙に包まれたお金を取り出し、そのままバスを飛び降りた。
教室の自分の机上でパラフィン紙を開くと・・・何と10円玉が10個入っているではないか。筆者は、100円を入れると自動的ににバス代が差し引かれて90円がパラフィン紙で包まれて出てくると思い込んでいた。
現在の両替機や自販機では当たり前の機能であろうが、当時を振り返ると・・・おつりが自動的にパラフィン紙に包まれて出てくることに無理があり、短時間にパラフィン紙に包む機械であるのなら、凄い特許であったろうと・・・。机上のパラフィン紙を閉じながら、少々赤面気味の筆者であった。
それから数日後、またバスに乗った。いつもの車掌さんに「すみません。先日バス代を払おうと思い、100円入れてそのままバスを降りたので、先日分を含めて20円払います!」と、筆者の思い込みの理由を添えて話をした。恥ずかしさの余り、筆者の顔は火照っていた。
色白の車掌さんは笑いながら、「まあ、正直に有り難う。そんなに便利な両替機だったら良いのにね!」と20円を受け取らず、「今日からはお金は要らないよ!私の弟だから。ねっ!」と言って、筆者をさっさとバスから降ろしてしまった。
何度もバスに乗るたびに10円玉を差し出す筆者であったが、筆者の手を押しのけて頑なにバス代を払わせてくれなかった。たぶん筆者の代わりに毎回バス代を立て替えているのだと思った。それからいつもの路線バスを利用することを避けるようになっていった筆者であった。
2学期も終わる頃。父が官舎に帰って来るや否や、「先日、旧友の○○検察官が病気療養中に他界したので、○○検察庁へ転勤願いを出しておいた。魚も釣れるし、住むには良いところだ。・・・たぶん12月27日頃までに家移りするだろう。」と言った。「冗談でも自分の趣味で転勤地を決めるなよ!」と穏やかでない筆者であった。
気になっていた色白の車掌さんの顔が急に浮かんできた。大変世話になった車掌さん。母にはその経緯(いきさつ)を話していたので、母と御礼かたがた朝からバスに乗り込み、プレゼントを渡すことにした。
久しぶりに路線バスに乗る筆者であった。あの車掌さんは元気にしているのだろうか?いつもの時間にいつもの路線バスが目の前に停まった。「あれ、いつもの車掌さんじゃない!」と母に言った。今でも鮮明に車掌さんの顔は覚えているが、御礼の言葉を言わないままの転校となった。
父の趣味のお陰で!?、3学期から○○中学校へ通うようになり、官舎から学校まで近かったので路線バスを使うことはなかったが・・・今思い起こせば、バス酔いの激しい筆者が、よくもまあバス通をしていたものだと思い出し笑いをしてしまう次第だ。
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登録2008/08/30 18:11:23 更新2008/10/06 06:03:45
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計0821578 / 今日00939 / 昨日01087
いつだったか、とんだ珍事があった。新聞社主催、○○カントリークラブでコンペの予定。確か午前8時30分現地集合、9時スタートだった。
担当者は企画部長と筆者(当時、企画係長)、部下の3人。更に重役1人がコンペに参加することになっていた。筆者が賞状、トロフィーなどを手配し、部下が白布や受付用備品や筆記具などを準備することになっていた。
※左はイメージ写真。
コンペ前日、たまたま重役と朝4時頃まで呑んでいた筆者。マンションに帰って、バタンキューの状態。・・・何となく顔が火照るので、熱があるのかと生汗を拭いながら思い時計を見ると、午前8時であった。どっと生汗が冷や汗に変った。
顔が熱かったのは、酒を飲み過ぎていたのではなく、朝陽が窓ガラスを通して筆者の顔に直接当たっていたからだった。・・・「おいおい8時だ!」と自分に気合いを入れて起きようとした瞬間に、何か妙に嫌な予感がした。
もしかしたら今日は○○カントリークラブでコンペだったんじゃ・・・。流石に一瞬間固まってしまった。集合が8時半なのに、今からでは間に合わない。・・・それより賞状やトロフィーの手配を完璧に忘れていたのである。さあ大変どころの騒ぎではなかった。
ここで焦る自分を押さえて、深呼吸しながら頭の中を整理する事にした。
1)手配していないトロフィーをどうするのか?
2)トロフィーが手配できても、文字プレートをどうするのか?
3)賞状の手配や印刷、押印はどうするのか?
4)トロフィーや賞状、備品をどうやって運ぶのか?
5)午後3時の表彰式に間に合うのか?
筆者の頭の中はミングルマングルの状態だったが、差し迫って来る荒らしの様な時間の中で、何とか最短最適な行動をシミュレートしていた自分がいた。当時、S商会にトロフィーやメダルを依頼していていたので、早速同社へ電話を掛け、「本日のいつものコンペ賞品をお願いしたい。優勝、2位、3位・・・・」と説明をしたのだった。
S商会の担当者は「今日の今日は無理ですよ。文字プレートの刻みも間に合わないし、後日送るということではいけませんかねえ?」と困り果てた様子。筆者もすかさず押しの一手で、「ある物で良いので、予算に合わせて揃えて欲しい。文字プレートは何も刻まず付けておいて欲しい!(★ここがポイント)」と無理な注文をしてしまった。
しかし、S商会の担当者は営業車が無く物を運べないと言うので、即座にタクシー会社へ電話をかけ「通用門に1台願います。先ず、通用門で女性が立っているので賞状と筆ペン、角印を受け取って、それからS商会へ向かい、トロフィーを受け取り、そのまま○○カントリークラブの事務所にこっそり私宛に送り届けて下さい。タクシー代は後ほどチケットを持ってくるので、ちゃんと金額をメモして置いてください!・・・」と。
筆者は顔を洗い、タオルを持ったまま玄関から飛び出した。電気カミソリで髭を剃りながら車を運転し、同ゴルフ場のクラブハウスへ直行。当時の愛車はツートンカラーのホンダCR-X1.5i(真っ赤なライトウェイトスポーツカー)。バリバリ走りまくり、タクシーよりも早く到着するように、ドライビングに集中した。その間、景色など全く記憶にないが、ラリー車並の走りだったと思う。
筆者が同ゴルフクラブに到着したのは午前9時15分。既に皆はコースを回り始めていた。それからが電話で手配していた物をタクシーが運んできてくれた。運転手に御礼を言って、チケットにサインをしてチップ(1000円)を渡した。それから2時間ほどで準備万端にしておかないといけない。昼ご飯で皆が戻ってくる、それまでが勝負の時だ。
出された珈琲を飲みながら目を覚まし、午後3時の表彰式会場に全ての物を持ち込んだ。先ず手間がかかる物から片付けなければならない。賞状を最初に取り出し、筆ペンを用いて「優勝」、「第二位」、「第三位」と一枚ずつ手書きで文章を書いて行った。勿論、文言を考えながら書くので余裕の無い状況だ。それからゴルフ場から朱肉を借り、賞状の筆文字が乾いてから押印すれば良い。一人で頷く筆者であった。
次が問題だ。トロフィーの文字プレートをどうやって刻み込むかである。通常は機械を用いて活字刻印だから綺麗なものだが、どうやって刻むか?思いついたのは千枚通しのような、先が鋭利で尖った硬い針状の物があればと思い、ゴルフ場に問い合わせてみた。
手頃な物があったので、プレートに向かってダイレクトに「昭和・・年・・・」と刻んでみた。思ったよりばっちり文字が刻み込まれるようだ。それから正午近くまで、少しずつ正確に文字を刻み込んで行った。トロフィーを左手と両足太腿に挟んで、天才版画家棟方氏のように、ただひたすら刻み込んで行った。・・・「これでバッチリ!!」と、フーッと大きく息をついて、ソファーに座り込み寝てしまった。
昼食も忘れ、ソファーにぐったりと1時間ほどうたた寝をしてしまったらしい。今朝まで重役と酒を呑まなければ良かったとブツブツ独り言を言っていたが、実は結構ご機嫌な筆者であった。
午後3時になった。定刻通り表彰式が始まり、重役が「優勝!○○○○殿 貴殿は・・・・」と読み始めた。各入賞者へは賞状、トロフィー、記念品を次々に手渡されて行く。それでも筆者が書いた賞状や刻み込んだプレートの文字に、違和感を持つ者は誰一人として居ない。「大成功だ!!」と、心の中では右手を引いて笑顔でガッツポーズととっていた。
今思い起こせば、背筋がゾクゾク、冷や汗タラーリと赤面するような失敗談である。トラブルメーカーのトラブルシューティングという珍事だが、後日トロフィーのプレートは刻印した物と全て交換して、一件落着となった。