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※このブログの内容は2008年3月から2012年2月までの情報です。現在の情報とは異なる場合があります。
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ロゼッタストーンのオフィシャルBLOGです。1995年に熊本に生まれたポータルサイト・ロゼッタストーン。
※文責:西田親生
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2008/08/31
コラム・雑感
おやつの変遷
この記事をつぶやく
30数年前の「おやつ」を思い浮かべてみた。都市部では大型百貨店全盛の時代であり、現在のようなコンビニも何もない時代だ。熊本の田舎では、スーパーマーケットも無い時代の話。
※左はイメージ写真。
ちなみに筆者が幼少の頃過ごした所は、熊本県北部の山鹿市であった。山鹿灯籠まつり、芝居小屋・八千代座、装飾古墳などで有名な温泉町。「千軒盥(たらい)無し」と唄われるほど、殆どの市民は温泉場を利用していた。湯量も豊富で泉質がすこぶる良い。現在は住んではいないが、筆者にとっては素敵な素敵なふるさとでもある。
当時の商店街を思い浮かべると、中町を中心に、南に下町、北に九日町(芝居小屋・八千代座があるところ)と・・・1階が店舗、2階が住居という、昔ながらの個人経営の小店舗が長屋のように連なっていた。江戸時代の豊前街道の道沿いでもあったらしい。残念ながら二十数年前の大火事で、湯の端周辺の商店など50軒ほどが焼けてしまった。
小学校低学年であった筆者は、学校が終わると10円玉持って大宮神社や裁判所の傍にある駄菓子屋へ足を運んだ。・・・「雀の玉子」、「赤いセロファンに包まれたビスケット」、「小さな烏賊の串照り焼き」、「ニッケ紙」、「ニッケ水」、「くじ引きあめ玉」、「元祖・カルミン」、「ハリスチューインガム」、「ベビーコーラ」、「リボンシトロンオレンジジュース」、「セロファンが貼ってあるチョコレートパン」・・・と買いあさっていた。
特に「ニッケ紙」や「ニッケ水」をピチャピチャと食べて帰宅すると、祖父母から毎回のように雷が落ちて来たことを思い出す。「また、ニッケ水飲んだでしょ!!身体に悪いから、止めなさい!!」と。筆者は祖母の厳しい取り調べを終始否認していたが、「あっかんべ〜!!」と言った瞬間に、舌が真っ赤となっていてバレバレであった。「また、この子は・・・しょうがないねえ!」と、苦笑いの祖父母であった。
遠足前日となると、ふだん通い詰めている駄菓子屋へは行かず、小銭をかき集めて出来たばかりのスーパーマーケットへ行き、店内をぐるぐる回って物色を開始。当時人気だったのは、「森永ヨーグルトキャラメル」、「グリコアーモンドチョコレート」、「シャーベット(小さな丸いソフトケーキ)」、「角形カルミン」、「森永ビスケット」、「コカコーラ」、「牛乳パン」・・・と、駄菓子屋より上のランクの菓子類が沢山陳列してあった。
現在の菓子類は贅沢なパッケージで包まれ、賞味期限がきっちり記入され、甘い菓子には発癌物質の「チクロ」など一切使用されていない。筆者の幼少期に通っていた駄菓子屋は雑菌だらけ。発癌物質バリバリで、製造元不明、賞味期限不明又は超過のものをたらふく食べさせられたことになる。・・・だから大病をしないのか?^^;;;
今、コンビニが数百メートルおきに建ち並び、弁当、飲み物、菓子、生活雑貨が所狭しとビッシリと陳列されるようになるとは、当時は予想もだに出来なかった。何でも揃うコンビニの存在は実に大きい。ATMなどもあり、おまけに酒類や米なども取り扱っていて、普段の生活必需品は殆ど揃えられるのというのが凄い。現代の物流システムの賜でもある。
話は前後するが、昭和20年8月15日終戦からGHQの占領の下、全国へ向けて「脱脂粉乳」が給食を飾った時代もあった。何とも言えない臭いと味。今のワンちゃんに飲ませるミルクの方がよっぽど美味いのではないかと思った次第。それから半世紀、高度成長期、バブル期を体験し、とんでもない贅沢が当たり前の国家になってしまったのであろうか。物に困って苦労していた時代の方が、人は清々しく生き生きと見えた。しかし、今は目的も忘れ、地に足がつかない生活をしている人間が増えて来たように思えて仕方ないのだが・・・。
たかが子供の「おやつ」。しかし、その歴史を振り返ると・・・時代背景がクッキリと見えてくるというものだ。良き時代とは、縁を大切にして、互いに助け合い、必死に生きていたような気がする。確かにデジタルの進化で便利な世の中にはなったが、人として恥ずかしく無い人生を歩んで行きたいと考える次第。
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登録2008/08/31 23:16:56 更新2008/10/06 06:03:33
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© 1995 D&L Research Inc.
30数年前の「おやつ」を思い浮かべてみた。都市部では大型百貨店全盛の時代であり、現在のようなコンビニも何もない時代だ。熊本の田舎では、スーパーマーケットも無い時代の話。
※左はイメージ写真。
ちなみに筆者が幼少の頃過ごした所は、熊本県北部の山鹿市であった。山鹿灯籠まつり、芝居小屋・八千代座、装飾古墳などで有名な温泉町。「千軒盥(たらい)無し」と唄われるほど、殆どの市民は温泉場を利用していた。湯量も豊富で泉質がすこぶる良い。現在は住んではいないが、筆者にとっては素敵な素敵なふるさとでもある。
当時の商店街を思い浮かべると、中町を中心に、南に下町、北に九日町(芝居小屋・八千代座があるところ)と・・・1階が店舗、2階が住居という、昔ながらの個人経営の小店舗が長屋のように連なっていた。江戸時代の豊前街道の道沿いでもあったらしい。残念ながら二十数年前の大火事で、湯の端周辺の商店など50軒ほどが焼けてしまった。
小学校低学年であった筆者は、学校が終わると10円玉持って大宮神社や裁判所の傍にある駄菓子屋へ足を運んだ。・・・「雀の玉子」、「赤いセロファンに包まれたビスケット」、「小さな烏賊の串照り焼き」、「ニッケ紙」、「ニッケ水」、「くじ引きあめ玉」、「元祖・カルミン」、「ハリスチューインガム」、「ベビーコーラ」、「リボンシトロンオレンジジュース」、「セロファンが貼ってあるチョコレートパン」・・・と買いあさっていた。
特に「ニッケ紙」や「ニッケ水」をピチャピチャと食べて帰宅すると、祖父母から毎回のように雷が落ちて来たことを思い出す。「また、ニッケ水飲んだでしょ!!身体に悪いから、止めなさい!!」と。筆者は祖母の厳しい取り調べを終始否認していたが、「あっかんべ〜!!」と言った瞬間に、舌が真っ赤となっていてバレバレであった。「また、この子は・・・しょうがないねえ!」と、苦笑いの祖父母であった。
遠足前日となると、ふだん通い詰めている駄菓子屋へは行かず、小銭をかき集めて出来たばかりのスーパーマーケットへ行き、店内をぐるぐる回って物色を開始。当時人気だったのは、「森永ヨーグルトキャラメル」、「グリコアーモンドチョコレート」、「シャーベット(小さな丸いソフトケーキ)」、「角形カルミン」、「森永ビスケット」、「コカコーラ」、「牛乳パン」・・・と、駄菓子屋より上のランクの菓子類が沢山陳列してあった。
現在の菓子類は贅沢なパッケージで包まれ、賞味期限がきっちり記入され、甘い菓子には発癌物質の「チクロ」など一切使用されていない。筆者の幼少期に通っていた駄菓子屋は雑菌だらけ。発癌物質バリバリで、製造元不明、賞味期限不明又は超過のものをたらふく食べさせられたことになる。・・・だから大病をしないのか?^^;;;
今、コンビニが数百メートルおきに建ち並び、弁当、飲み物、菓子、生活雑貨が所狭しとビッシリと陳列されるようになるとは、当時は予想もだに出来なかった。何でも揃うコンビニの存在は実に大きい。ATMなどもあり、おまけに酒類や米なども取り扱っていて、普段の生活必需品は殆ど揃えられるのというのが凄い。現代の物流システムの賜でもある。
話は前後するが、昭和20年8月15日終戦からGHQの占領の下、全国へ向けて「脱脂粉乳」が給食を飾った時代もあった。何とも言えない臭いと味。今のワンちゃんに飲ませるミルクの方がよっぽど美味いのではないかと思った次第。それから半世紀、高度成長期、バブル期を体験し、とんでもない贅沢が当たり前の国家になってしまったのであろうか。物に困って苦労していた時代の方が、人は清々しく生き生きと見えた。しかし、今は目的も忘れ、地に足がつかない生活をしている人間が増えて来たように思えて仕方ないのだが・・・。
たかが子供の「おやつ」。しかし、その歴史を振り返ると・・・時代背景がクッキリと見えてくるというものだ。良き時代とは、縁を大切にして、互いに助け合い、必死に生きていたような気がする。確かにデジタルの進化で便利な世の中にはなったが、人として恥ずかしく無い人生を歩んで行きたいと考える次第。