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2010/04/23 コラム・雑感
マイホームを建てて25年・・・。
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マイホームを建てて25年・・・。

 田舎の築百年を超す古い大きな家に育ち、中学生に入る頃から父の転勤であちこち各地の官舎を点々を過ごして来た。小中高と2度ずつの転校をせざるを得なかった。・・・よって、マイホームのいうものへの憧れや愛着、そして固執もなく大人になったような気がする。

 実家は部屋が12部屋ほどあったと記憶する。昔、移築する前はその2倍ほどの部屋数(女中さんの部屋も2つ)があったようだが、大黒柱が太く、表や座敷などは本畳で走り回ってもいいような家だった。2階への階段が2つもあり、地下室まであった。大層な家では無いが、広さだけは凄かった。

 転勤族であった為に、各地の官舎を渡り鳥のように移り住んだ。官舎は平屋だが部屋は4LDK以上はあった。しかしどう見ても仮住まいであり、学生時代に広い自分の部屋(8畳の洋間)を与えられたとしても何となく落ち着く処ではなかった。

 25年前に転機が訪れた。転勤族として育ち、転校の連続に飽き飽きしていた筆者だったが、転勤のない会社を選び就職することになった。それから4年ほどマンション住まいをする事に・・・。それは当時、熊本市内では豪華マンションでもあり、今も筆者のオフィスから200メートルほど先に建っている。その煉瓦色のマンションを遠目に見る度に当時の事を思い出す。

 その高額な賃貸マンションを出て、マイホームを建てる時が来た。それから、あっという間の4分の1世紀・・・25年が過ぎた。写真のような形状のマイホームを建てたのだが、シロアリにかじられたり、台風19号や20号で心臓が止まる思いをした事があった。

 今思い起こせば、マイホームは建てたものの、日々のメンテナンスがしっかりしてないと家はボロボロに老朽化する。一軒家のマイホームが良かったのか、がっちりしたマンションが良かったのか、今でもその結論が出ない筆者である。

 ただ、山の中腹に1戸建てを手にしたのだが、「風の道」、「水はけ」や「景観」などに関しては事前に十分調査をしておいたので、20年近く前の台風19号の被害は屋根瓦が2枚ほど浮いただけで済んだ。すこぶる幸運だった。

 昔の我が家は百年以上の歳月が流れようとも、その土地にドンと建っている。しかし、現在の家は数十年経てば大リニューアルを必要とするほど弱々しいものである。全国数有る住宅会社だが、折角作るのであれば孫の代までしっかりと受け継がれるような家を建てて欲しいものである。・・・家は万年筆のカートリッジ式のスペアインクでは無いのだから。

 この記事を筆耕しながら庭を見た。恵みの雨なのか、若草が元気よく生えそうな気配。そのまま放置しておくと、知らぬ間にジャングル化する庭。・・・要注意である。
登録2010/04/23 14:01:18  更新2010/04/24 12:40:17   

2010/04/11 コラム・雑感
林檎のスフレは初恋の味!
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林檎のスフレは初恋の味!

 年齢を重ねるほどに「恋」への執着を感じる今日この頃だ。日本人は「歳相応に!」、「いい歳こいて!」、「年甲斐も無く!」など、いつの間にか自分や他人を年齢で決め付け、何かを押し付け制限を加えているようにしか見えない。勘違いも甚だしい。アクティブに動ける年齢幅を極端に縮め、自分自身を知らず知らずの内に腐らせている。海外では有り得ない。相手の年齢を出会い頭に聞いてしまう、デリカシーの無い日本人特有の物事の捉え方でもある。

 特に所帯染みた人達を見ると、男女を問わず「恋」への憧れや関心などが全く薄れ、無変化の日々が連綿と続いているのだ。男性は仕事に追われ、子育てのアシスト役をしながらも、それをストレスと受け止め酒や麻雀などで誤摩化しているようでもあり、また子育て中心になった女性は「恋人」であったはずの彼の存在が単なる生活のパートナー的「旦那」、つまり粗大ゴミとして取り扱っている。だったら、最初から結婚すべきではない。

 特に世間も人の心も良く理解せずに、出来ちゃった結婚で若くして一緒になったカップルに多い現象でもあるようだ。あんなに華々し披露宴で幸せ一杯の二人が、いつの間にか凄まじい形相に変わり果てている。すこぶる無計画な人生でもあり、実に情けない。

 子育てが一応落ち着けば、「旦那」は相変わらずお付き合いの呑み方や草刈り(ゴルフ)などで外出がまた増える。一方、「嫁さん」は同級生や近所の奥様方とカルチャースクールへ足を運ぶようになる。ここで少しでも「恋心」が残っているのであれば、夫婦の動きは全く変わって来るのではないか。核家族の原因は、既にこの瞬間にある。

 「もう、飽きた!」と言われればそれまで。短い人生において、上述のような繰り返しでは・・・自分に都合の良い言い訳の為に「歳相応に!」とか「年甲斐も無く!」という言葉で誤摩化しているに違いない。内心は「林檎のスフレのような初恋の味」を欲しているのに、心のどこかにひた隠しているのではないかと思う次第。

 自分の心の変化を「第2、第3の人生」という言葉で簡単に締めくくってしまう。人生は1回きり。昨日はショートケーキ、今日はシュークリーム、明日は苺のタルトではなく、人生とはバームクーヘンの様な年輪そのものなのだ。安易に右から左へと切り替えれるものでもない。その年輪、すなわち人生の積み重ねを楽しみながら、単調となりがちの日常生活に心のエッセンスを加える工夫をしなければならないのだ。

 既婚者で結婚を失敗と思う人であれば、早く区切りをつけて思う存分「恋」をすれば良い。結婚がまあまあの人は、ここで一工夫して「林檎のスフレ」の味を思い起こせば良い。独身であれば、年齢に関係なく永遠に「林檎のスフレ」を追い求めれば良いのである。・・・今後の人生において、最良のパートナーと「林檎のスフレ」の味を共有してもらいたい。

 しかし、思ったより人生は長いようで短い。折角目の前にある「林檎のスフレ」をただ呆然と見ていると、即座に縮んでしまう。そこは要注意といったところだ!!

【写真/Bros.よしむらでiPhoneにて撮影】
 http://www.dandl.co.jp/bros-yoshimura/
登録2010/04/11 13:42:40  更新2010/04/11 13:42:40   

2010/04/10 コラム・雑感
転勤族の儚い莟の恋物語!!
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転勤族の儚い莟の恋物語!!

 幼少時は山鹿市に育った筆者。父の転勤で県内外を長期旅行のような感じで移動していた。仲の良い友人が折角できたと思うと、また転勤。初恋の相手の気持ちにも気付かず、また転勤で金魚の糞である。

 宮崎中学校1年の2学期の終わり頃だったろうか、急に父の転勤を知らされた。小学校も2度転校しているので、既に慣れていた筆者ではあったが・・・住み易さと人の好さで永住したくなるほど気に入っていた宮崎市。そこを離れなければならないのは、実に辛かった。

 宮崎市へ来て僅か8ヶ月しか経っていないのである。駅の傍にある瀬頭公園や中村園芸場、はにわ公園、一ッ葉の海岸、こどもの国、宮崎神宮など、自転車で友人と遊び回った僅か8ヶ月が何気に勿体なかった。しかし、仕方なく父の転勤で大移動しなければならない。

 引っ越し当日、両親は既に車で赴任先へ向かったようだ。私だけ遅れて宮崎駅を出発する事になった。数人の友人とは前日会って別れの挨拶をした。懐かしかった橘通りを1人で歩き、高千穂通りから宮崎駅に向かった。

 何となく後ろ髪を引かれる思いで、列車に飛び乗った。長時間列車に揺られ、何となくメランコリーな気持ちに浸っていた。孤独というのか、友人たちの笑顔や歴史有る宮崎中学校中庭の噴水、砂塵が舞うグランドの乾いた匂いが頭のなかを駆け巡っていた。

 それから数時間して目的地である延岡駅に到着した。外は真っ暗で、桜小路にある新しい官舎までの経路が全く分からない。現在のようにGPSなど無い時代なので、商店のおばちゃんに検察庁官舎の場所を聞いてみた。すると、そのおばちゃんが親切に連れて行くと言う。

 それじゃ悪いので何か駄菓子でも買おうと思い、右のズボンのポッケに手を入れた。10円玉がじゃらじゃら入っていた。眠気覚ましにクールミントガムを買った。その隣に電話機があったので、ちょっと宮崎市の友人に電話で到着報告をする事にした。

 「着いたよ!宮崎から遠いから、今からなかなか会えないよな!」と友人に言った。友人曰く「そうだね!また休みの時でも会おうよ!・・・そうそう、あのね!宮崎駅で誰か会わなかった?アケミちゃん来てなかった?」と。アケミちゃんと言われたも、私には正直ピンと来ないし、思い出してもPTAで会ったその子のお母さんがかなり美人だと皆が噂していた事だけは覚えていたのだが。

 「実はね。アケミちゃん。ずっと好きだったって!君の事。・・・で、宮崎駅に見送りに1人で行ったらしいよ。」と。筆者は全く気付かなかったが、列車が動き出した瞬間に、何となく階段のところで人気を感じた気もしたが、それは定かではない。

 10円玉がチャリンチャリンと落ちて行き、重たかったポッケが凄く軽くなった。急いで官舎の電話番号を友人に教えて、電話を切った。かなり長話をしたらしい。お店のおばちゃんもしびれを切らしたのか、「ごめんね。今から夕飯の準備をしなくちゃいけないし、店も閉めるので。」と、道順を描いたメモ紙を手渡されて、新しい官舎にやっと辿り着いた。両親は筆者の到着時間が余りにも遅かったので、心配していたようで不機嫌だった。

 新しい官舎。引っ越し荷物が山積みだ。明日から部屋のセットアップ。・・・「美少女のアケミちゃんから好かれてたんだ!」と少々頬が熱くなった。自分の部屋にある段ボール箱の荷解きをしなければならない。面倒くさいが、夕食後することにして両親と食事を共にした。

 ちょうどその時、玄関先にある黒電話がリリリーンリリリーンと鳴った。今の着信音とは全く異なる響きだ。母が「何とかアケミさんだってよ!誰?」と、慌てて電話に出た筆者だったが、なかなか言葉が出ない。彼女も言葉が出ない。サイレントーク?って感じだったが、筆者の背後には両親のダンボの耳が覆い被さっているようだった。余計に言葉が出なくなった・・・。

 転勤族の儚い莟の恋物語だ。・・・友人に感謝!

 
登録2010/04/10 12:02:20  更新2010/04/10 12:12:11   

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