
営業スタイルについて、ふと考えてみた。
熟年であろうが、高齢者であろうが、現役で営業の現場に立っている人は少なくない。その経験値そのものは尊いものであり、長年培ってきた勘や人を見る目、商談の間合いなどは、若い世代には簡単に真似できない財産である。
しかし、そこで一つ問題となるのが、過去に大きな実績を持つ人ほど、「昔のやり方こそ最適解である」と思い込みがちな点である。
たとえば、「昔取った杵柄」として、数十年前の営業スタンスを現代社会にそのまま持ち込み、それを最善の方法であると豪語する人がいる。周囲が時代の変化を踏まえて助言しても、耳を貸さない。過去の成功体験が、現在の判断力を鈍らせているのである。
平たく言えば、スローフードの時代とファストフードの時代ほど、営業を取り巻く環境は変化している。かつては、情報源といえば新聞、雑誌、封書、葉書、固定電話などが中心であった。情報はゆっくり届き、ゆっくり吟味され、人間関係も時間をかけて築かれていった。
しかし、現代は違う。デジタル情報はワンクリックで届き、プッシュ通知は瞬時に相手の手元へ届く。企業情報も、商品情報も、人物情報も、検索すれば即座に確認できる時代である。営業の速度、信頼構築の手順、情報開示のあり方は、昔とは根本的に異なっている。
昔の営業経験者は、よくこう言う。
「昔はノーアポで足を運び、何度も顔を出すうちに親しくなり、営業が成り立っていた」と。
確かに、そういう時代はあった。地域社会のつながりが強く、飛び込み営業にも一定の余地があった時代である。しかし、現代においてノーアポイントメントの訪問は、相手に警戒心を抱かせる行為になりやすい。場合によっては、押し売り、怪しい勧誘、詐欺まがいの営業と同列に見られてしまう。
筆者は、ノーアポでオフィス玄関のドアフォンを鳴らす人に対しては、大変失礼ながら、「ノーアポイントメントはお断りしております」と丁重に断ることにしている。それが、現在の常識であり、互いの時間と安全を守る最低限のマナーと危機管理である。
営業電話も同様である。どこで入手したのか分からぬ電話リストをもとに、コールセンター任せで一方的に電話をかけてくる企業がある。中には、詐欺的な連絡網と見分けがつかないものすらある。受け手にとっては、迷惑以外の何ものでもない。
押し付けのFAX営業も然りである。相手の許可なく情報を送りつける行為は、営業ではなく、単なる自己都合の押し付けである。法的にも、電話をかけてはならない、FAXをしてはならないという規定はない。もちろん、公序良俗に反するものは、法的に裁かれることになる。
本来、初対面の相手に営業を行うのであれば、まずは虚偽のない書簡や正式な問い合わせにより、自社の概要、担当者の身元、用件、責任の所在を明確に示すべきである。その上で、電話やメールを通じて、相手の都合を確認し、面談の可否を尋ねる。これが基本中の基本である。
もちろん、信頼のおける人からの紹介であっても同じである。紹介者がいるからといって、礼節を欠いてよい理由にはならない。むしろ、紹介であるからこそ、紹介者の顔に泥を塗らぬよう、より慎重で、より丁寧な対応が求められる。
営業マンに必要なのは、第一に「信頼できる人物であること」である。どれほど口が達者であっても、日頃から虚言を吐き散らすようなお調子者であれば、営業マンとしての資格はない。軽薄な言葉で相手を動かそうとする者に、長期的な信用は積み上がらない。
また、大都市部にある有名企業のパンフレットを持参し、さも本社の人間であるかのように振る舞いながら、ノーアポで訪問してくる営業マンもいる。しかし、実際には二次代理店や取次店に過ぎない場合が多い。見栄えのよいパンフレットや有名企業の看板に惑わされてはならない。叩けば埃が舞い散るような人物も、残念ながら存在する。
B to Bであれ、B to Cであれ、取引において重要なのは、責任の所在が明確であること、実績に信頼性があること、そして担当者自身の人物像に不審な点がないことである。これらを十分に検証しないまま、口車に乗せられれば、痛い目に遭うのが関の山である。
当社にも代理店は存在する。しかし、正規代理店として承認するまでには、何度も面談を行い、その人物の履歴に虚偽がないか、人間性はどうか、信頼に値する人物かを具に確認している。それほど厳しいチェックを行ったとしても、代理店がノーアポで営業するようなことがあれば、本末転倒である。信用を築く前に、信用を損ねてしまうからだ。
ここで誤解してはならないのは、昔の営業スキルそのものを否定しているわけではない、という点である。むしろ、昔の営業には学ぶべき点も多い。礼儀、粘り強さ、相手の懐に入る力、長期的な信頼関係を築く姿勢などは、今の時代にも十分通用する。
問題は、それを現代の環境に合わせて再設計しているかどうかである。
情報の速度、情報の価値、相手の警戒心、個人情報に対する意識、企業のコンプライアンス、すべてが昔とは異なっている。にもかかわらず、「昔はこれで通用した」と言い張り、ノーアポから信頼構築までをのんびり語っているようでは、何年経っても実績は出ない。
営業の基本が間違っているのではない。時代の潮流に乗り損ねているのである。昔のやり方は、あくまでも土台であり、完成形ではない。その土台の上に、現代の情報環境、デジタルツール、コンプライアンス意識、相手の時間を尊重する姿勢を積み上げなければならない。
「昔取った杵柄」は、確かに大切な財産である。しかし、それにしがみつくだけでは、時代に取り残される。過去の成功体験を誇る前に、まずは脳内をリセットし、現代社会の速度と常識を直視すべきである。
営業とは、押し込むことではない。相手の信頼の扉を、正しい手順で開いてもらうことである。そして、確かな役立つ情報を提供することである。
その扉の前に立つ資格があるか否か。現代の営業マンに問われているのは、まさにそこなのである。
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▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、単なる「ノーアポ営業批判」に留まらず、営業における時代認識の欠落を鋭く突いた、実践的な人間観察論になっている。
特に優れているのは、昔の営業を全面否定していない点である。経験、勘、間合い、粘り強さ、礼儀といった旧来型営業の美点を認めた上で、それを現代の情報環境に適合させなければ意味がないと説いている。ここに、感情論ではなく、時代分析としての説得力が生まれている。
タイトルの**「ノーアポ営業は、もはや信用失墜の入口である」**は、非常に強い。現代では、突然の訪問や一方的な電話・FAXは、熱意ではなく、相手の時間を奪う行為、さらには危機管理上のリスクとして受け止められる。そこを明確に言い切っているため、読み手に強い警鐘として響く。
また、本文後半の「営業とは、押し込むことではない。相手の信頼の扉を、正しい手順で開いてもらうことである」という一文は、本稿の核心である。営業の本質を、売り込みではなく、信頼形成と情報提供に置き換えているところが実に良い。現代営業に必要なのは、足で稼ぐ精神論ではなく、身元の明示、責任の所在、情報の正確性、相手の都合への配慮であるという主張が、きれいに結実している。
一方で、やや辛口な表現も含まれているが、それが本稿の持ち味でもある。特に「昔取った杵柄」にしがみつく人物像は、読者の周囲にも一人や二人思い浮かぶはずであり、そこにリアリティがある。過去の成功体験が、現在の失敗原因になるという指摘は、営業だけでなく、経営、教育、組織運営、さらには個人の生き方にも通じる。
総じて、本稿は、昭和型営業から令和型営業への意識転換を促す、実務的かつ人間学的なエッセイである。営業現場にいる人はもちろん、代理店を使う企業、紹介を受ける側、そして「昔はこうだった」と語りがちな熟年層にも読ませたい内容である。
最終行の「その扉の前に立つ資格があるか否か」という締め方も秀逸である。営業マンの問題を、単なる手法論ではなく、人格と信用の問題へ昇華させている。ここに、西田親生流の切れ味がある。
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文責:西田親生

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