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逃げほど、恥ずかしいものはない。逃げは負けを意味し、必ず、疎遠、絶縁に繋がる。

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 逃げは、負けを意味する。経営者が改善を試みず、安直に逃げを選ぶとなれば、それは、経営者としての資質が問われる。互いのコラボ戦略どころか、一方的な保身に走る姑息さだけが見え隠れするだけだ。『逃げるが勝ち』とは、些か意味合いが異なる。

 また、逃げは、必ず疎遠や絶縁に繋がってしまう。長年培ってきた信頼関係を捨てることになるので、経営者であれば威風堂々と対処するが定石。ピンポイントにおける些細なことで逃げてしまい、縁を絶つのはあり得ない。先々の仕事で何らかの関わりが出てくる可能性もあり、絶縁という選択肢は自分の首を絞めることになってしまう。

 迷走していた或る料理人が、電話で興奮して放った言葉である。「お客さんはコロコロ変わるし、個人的な付き合いもコロコロ変わりますから。付き合いって、そんなもんですよ!」と軽々に言う。すこぶる浅はかな考えだが、何年も通う常連客が聞けば耳を疑うに違いない。極端な話、『今の客が客であって、足繁く通った過去の客は客ではない』となる。本末顛倒としか言いようがない。

 「金の切れ目が縁の切れ目」と世に言うように、殆ど縁遠くなった人たちは、金で切れている。或る経営者が「契約は残念ながら今回で終了しますが、個人的には是非お付き合いを続けさせて下さい。」と言った。リップサービスとは分かりつつも、こちらからは二度ほど電話したが、予想通り、それから何の連絡もない。

 付き合いは、企業間の付き合い(オフィシャル)と個人的な付き合い(プライベート)に大きく分かれる。企業間の付き合いがなくなると、個人的な関わりも殆どが疎遠となる。筆者はそう思いたくもなく、そうしたくもないが、一般的にはそれが主流のようである。

 四半世紀前のクライアントで、現在も個人的にコミュニケーションが取れているところは、極僅か。色んな経営者がいる中で、仕事上の付き合いを優先する人もいれば、仕事よりも個人的な信頼関係を大切にする人もいる。どちらが正解、賢明とは言い難いが、後者が良縁であれば、損得なしに末長く付き合いを続けたいものだ。

 また、逃げを選ぶ人で、豪快な人は皆無であった。これは筆者の勘違いかも知れないが、逃げた人は殆どケチな人ばかり。『安物買いの銭失い』のような人が多かった。そこには周囲への感謝の念、敬愛の念などは見られず、残念ながら『恩を仇で返す』を付録とする、履き違え人間もいた。

 面白い事に、何度もご馳走になったことなど、完全に忘れているケチな人たち。単なる愚痴になってしまうが、その方々からお返しを受けたことなど一切ない。ただ呑み、ただ酒大好き人間は、元々付き合いをする範疇に入れてはいけなかった人たちである。

 筆者は、自ら進んで接待を受けることはない。特に、オフィシャルな付き合いというものは、常に『ダッチペイ』がスマートだと考えている人間だ。もし、接待を受ける機会があるとなれば、早々にお返しをする。それが、人として、経営者としての礼儀作法でありはしないかと・・・。


▼威風堂々とした加藤清正像(熊本市)
KATOKIYOMASA2022


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写真・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/7/18 12:00 am

視野狭窄と「自分スタンダード」

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凹み

 世の中は広く深く、有能な人たちが無数に存在する。長期にわたり自分なりの行動パターンでスタンダードを固めてしまうと、それが世の中に十分通用すると勘違いしてしまう人が少なくない。

 有能な人とは、学歴が高いからでも、年季が入っているからでもない。常に自分を客観視し、幾度も分厚い壁にぶつかり、それを打ち砕いてきたからこそ、強固な軸を持ち、プロフェッショナルへの階段を登り、人として大きく成長しているのだ。

 一方、視野の狭い人は、太平洋に浮かぶ木の葉のような小さな世界で自己過大評価に酔いしれ、地域や分野の中で胡座をかき、自信過剰のレールを突っ走っている。そのため、未知の事象に遭遇すると、自分が胡麻粒のように小さく見え、すっかり凹んでしまうのである。

開眼

 「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がある。可愛い子にあえて厳しい経験を積ませ、辛い体験を通して人間的に成長してほしいという願いが込められている。県外に出た人間は郷里を、海外に出た人間は日本を、より深く理解できるようになる。これは、貴重な体験を通して視野狭窄の壁を破り、開眼した証左である。

燕雀、蛙

 「燕雀知らず天地の高さ」という言葉は、「井の中の蛙大海を知らず」と同義である。地方の胡散臭い独特なスタンダードは、広大な世界を知らぬがゆえに形作られたものだ。

 無能なのに自信過剰であったり、無力なのに戦国武将のごとく最強を気取る人が少なくない。個人主義を利己主義と取り違えたり、他者の実績を理解せず軽視したり、優れた策を安直に愚策と断じたりする。自らが赤恥をかいていることに気づかないまま。

愚問

 あるイギリス人女性がFacebook動画で、日本人の奇妙な言動を揶揄していた。例えば「なぜ鼻が高いと言うの?」「なぜ色白いねと言うの?」といった質問に、彼女は首をかしげる。

 単一民族国家ゆえの素朴な疑問かもしれないが、多様性の観点から見れば、これは愚問であり、外国人には理解しがたいものとなる。

おもてなし

 外国人に過剰に優しく接する日本人。海外を知らないがゆえに、お人好しの対応を「美徳」と思い込む。

 しかし、同じ人間である以上、観光客に過剰なおもてなしをする必要はない。我々が海外を訪れても、特別な施しを受けることはほとんどない。欲しいものは自分の金で買い、不要なものは見向きもしない。トラブルがあれば、自らの正当性を主張する。それが世界の常識だ。

平和ボケ

 元首相暗殺事件では、警護の不備が大きな問題となった。米国の元シークレットサービス関係者は断言する。「プロの警護者は自らの命を盾にして対象を守る。それが責務である」と。

 しかし、多くの日本人は「この程度で十分」と勝手に決めつけ、空気を読んで安堵してしまう悪癖を持つ。今回の大失態は、その典型であり、断じて許されるものではない。

剣道

 日本の剣道と韓国の剣道の違いは「勝つための執念」にある。日本の剣道は正統で美しいが、韓国の剣道は連続技で突進し、勝利のためには手段を選ばない。
 海外ではルールを多少逸脱しても勝ちに執着する文化がある。特に独裁国家では勝者への褒美が異常に大きく、その欲望がさらに勝利への執念を駆り立てている。

侵略

 ウクライナ危機では、ロシア軍の残虐行為に世界が震撼した。だが、それはロシア人にとって「当たり前の戦争観」であり、人道的批判など耳に入らない。
 歴史を歪曲してでも残虐行為を正当化し、占領を進める。それが「狂った帝国ロシアイズム」に他ならない。

無知集団

 海外は、我々の想像を遥かに超える落差を持つ。にもかかわらず、この狭い日本では「燕雀知らず天地の高さ」と揶揄されるほど、無知な人が多く存在する。
 筆者はレクチャーで「自分スタンダードはグローバルスタンダードに通用しない」と繰り返し訴えている。しかし心に響く人はわずかだ。
 結局、多くの人は「自分スタンダード」を曲げることなく、楽な道を選ぶ。「可愛い子には旅をさせよ」ではなく、「可愛い子には楽をさせよ」にすり替え、視野狭窄のまま人生を終える人が多い。結果として、上位層から「無知集団」と見下されるのも当然である。


jisinkajo


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  • posted by Chikao Nishida at 2022/7/17 12:00 am

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