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悩み多き人は、心理分析本を多読するより、シンプルに原点回帰すれば、自身が楽々見えてくる!

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 心理学の書籍を多読したり、又は、キャリアもない人(素人コンサル)のなんちゃって体験談を聞いて心が落ち着く人は、思いのほか多いのかも知れない。

 そこに大きな落とし穴があると、常々考える筆者がいる。人それぞれに、生まれも育ちも考え方も異なり、何でもかんでも右へ倣えで、他力本願にて一気に解決できるものではない。また、書籍の受け売りコンサルの話など、竹輪耳で十分なほど価値もない。どうするかは、最終的には、本人が決断すべきものである。

 或る時、ふとした事で分水嶺に立ち、自分自身の生き様、方向性に迷いが生じることがある。その時、ズバリ、「目的は何なのか!?誰のためなのか!?」を自問自答すれば、即座に結論が出るはずだ。毎度のこと、あれこれ相談する人がいるが、既に、心の中では結論が出ているはずだ。だったら、仰々しく相談するなと物申したくもなる。

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 何をどうするかの選択領域を可視化すると、大きく分けて、白(是)、グレー(迷)、黒(非)の三つに分けられる。上図のように集合のベン図のような重なりを考えれば、分かり易い。よって、中央のグレーゾーンが、人の心を常に悩ます領域となる。

 筆者は、短気で面倒くさがり屋でもあり、全ての判断は、白か黒かのシンプルな2肢択一で決定する習性がある。よって、グレーゾーンはかなり狭い領域となり、迷う事なく瞬時に判断を下す。

 ところが、グレーゾーンの領域が広ければ、その悩みなり戸惑いなりが生じる確率は高くなり、日々、そのグレーゾーンで迷走し、ここ一番のところで踏み出せず、考え過ぎた挙句に判断ミスをおかす。

 要は、遣るか遣らぬかは、白か黒、是か非の問題であり、グレーの部分に固執するのは、時間の無駄である。元々、足を踏み出す勇気がないのなら、さっさと黒を選択し、退散するが賢明となる。

 のらりくらり、柳の如く軸がブレ、精神と肉体とがバラバラになりやすい人は、そのグレーゾーンで迷走の連続。何も手につかず、何も得るものがない状況下で、日常を送っている。

 筆者のような凡人が長時間悩むことは、天才棋士の長考ではないのだから、時間が勿体無いという考えに至る。しかし、動かねば何も変わらない。変わりたければ、動く。変わりたくなければ、初手から迷走する必要はない。あれやこれやと、欲張って気が散るから決断できないのである。

 自分に正直に、自身の強みや弱みを理解し、ここ一番の時に、自然体にて英断を下すことが肝要だ。未練がましく、後ろ髪を惹かれる気持ちで動けないのなら、変化も進化も期待できない。

 「失敗したらどうしよう?」、「こんなこと遣ったら、叱れるかな?」、「挑戦したいけど、自信がない!」、「口は動くけど、どうも頭も体もついて来ない!」と、ネガティブな事ばかりが脳裏を過る人は、蝸牛としか言いようがない。

 或る有名な英語の歌詞に「蝸牛になるより、雀の方がいい!」というものがある。御意である。畢竟、悩み、迷走する暇があるのなら、即刻、白か黒かを決断よ!・・・特に、ビジネスであれば「Time is money」という事である。

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 一昨日の深夜に、TwitterのSpacesで、昨年、Clubhouseで出会った方が話をしていた。無意識に参加をクリックすると、その方が、「あ、珍しい人が来てる!私が鬱で苦しんでいる時に、人間学を教えていただいた先生です!まあ、そんなおっちゃんです!」と、上げたり下げたりのジョークを添えて、リスナーに紹介してくれた。

 とても嬉しいやら、恥ずかしいやらだが、1年ぶりの再会であった。彼は、長年苦しんでいた鬱を克服し、ブレない軸を持った。折角話をするタイミングではあったが、その場の空気を濁さぬよう、マイクはミュートのままで、静かに聴くことにした。

 彼は「気付き」があったからこそ、こうして、元気に大勢のリスナーの前で語れるのだろうと。筆者が突然現れたので、やや緊張していたようだが、自信に満ち溢れた、立派な語りが全てを物語っていた。

 末筆ながら、奥様と二人三脚で、元気一杯の楽しい人生を謳歌して頂きたい!


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写真・文責:西田親生

             

  • posted by Chikao Nishida at 2022/7/1 12:00 am

捌ける捌けぬは、どこが違う!?

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 カメラやレンズを磨きながら、仕事が捌ける人とはどういった人なのか、捌けぬ人はどういった人なのかを考えてみることにした。

 捌ける人は、何と言ってもオーラが違う。いつも元気溌剌で、広角打法にて、色んなことに挑戦している。いっときもじっとしていない。連絡をすれば、リターンはマッハの勢いである。常に先の先を見据えて、仕事に邁進しているのが手に取るように判る。

 捌けぬ人は、常にとろい。言葉や表情に覇気がなく、堂々巡りばかりで、何日、何週間、何ヶ月経っても、前進の兆しも見えない。それが、一端の大人として恥ずかしいことであるとは思ってなさそうだ。いやいや、子供がいる大人であれば、あり得ない醜態だ。

 捌ける人の目はギラギラと光っている。好奇心旺盛で、次から次へと挑戦して、失敗しても、それを取り戻すために再び立ち向かう。どんなに辛くても、笑顔が絶えない。見ている方がワクワクするほど、楽しさいっぱいのオーラが体全体から噴き出している。

 それに反して、捌けぬ人は、目が濁っている。表情も暗く、声のトーンも膜が張った状態だ。負のスパイラルに入り込んでしまえば、自分自身の愚策が原因であるにも関わらず、奇跡的な棚ぼたを待っている。何事も受け身で待っていても、宝が落ちてくるはずがない。

 この負のスパイラルというものは、及び腰の自分自身が意識に埋め込んだものであり、逃げに転じたことへ恥ずべきものである。改善する気力もなく、ただ、時間だけが経つという悪循環。変化もなければ、進化もない。達成への喜びを欲していないのか、理解に苦しむばかり。

 人間は、ある程度の年齢に達すると、完全に守り(逃げ)に入る。それが40代、50代にて守りに入れば、人生そのものは、花畑の中を走り回るように楽しいものではなくなってしまう。自身の弱点を払拭しようと動くこともなく、何年経ってもぐだぐだ言うだけでお仕舞い。

 以上は、捌ける捌けぬは、性格的なもの、育ち、教育、そして周囲の友人関係で決まってくるように思えてならない。優秀な仲間が集っていれば、常に触発される。自力以上を求め、ひたすら努力を重ね、ブラッシュアップして捌ける人へと。見ていて、すこぶる清々しい。

 やはり、一度きりの人生となれば、捌けぬ人よりも、捌ける人になった方が、どれだけ楽しい人生でありはしないかと。まあ、考え方は人それぞれ異なるが、何事も一つ一つの「〆」のある人生を送りたいものだ。これからも諦めず前進あるのみと自分に言い聞かせ、新たな一歩を踏み出せればと・・・。

▼和水町肥後民家村で見掛けた水仙の花
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  • posted by Chikao Nishida at 2022/3/18 12:00 am

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