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『(出入り)業者』と発する人に違和感。fifty:fiftyの関係が、今の時代である。

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 社会人となり、初めて違和感を持った言葉の一つに『業者』と言うものがあった。前職は新聞社であったので、仕事面で優位な立場にあったことは否めない。ただ、訪問先にて『業者』という言葉が連発されると、鳥肌が立つほど不愉快になったものだ。

 それから起業した筆者だが、1990年からの草創期はCGシミュレーション動画に着手。県内、九州を席巻するほど、圧倒的にその分野は強かった。そして、1995年にインターネット着手。そこで『業者』という言葉をよく聞くようになったのである。

 基礎自治体や学校の打ち合わせ会議で足を運べば、『業者』の連発。また、宿関連の経営者と話をしていても『業者』という言葉が噴き出した。すこぶる横柄極まりないと感じたものだ。

 ここで、『業者』の意味を調べることに。『業者とは、商工業などの事業を営んでいる人』とある。よって、基礎自治体や学校の教職から見た『業者』を、宿などの一般企業の経営者が『業者』と言うのは、果たして正解なのか。(自分たちも『業者』なのだから)

 多分に、宿からは『出入り業者』を略して、『業者』と呼んでいるに違いない。これは上から目線の表現に思えてならないが、人間はどこかで他人と比較して優劣をつけたくもあり、優位な立場での物言いなどは、どう逆立ちしてもフラット思考とは言えない。

 また、講演会の講師を依頼された時に、講演にて「出入り業者の人たちを、業者と言って見下すような表現は好ましくはない。何故なら、出入り業者の方の息子や娘が結婚式を貴方のホテルで予約されれば、それは大切なお客様になってしまう。せめて、『業者さん』と呼ぶべきだ!」とよく言ったものだ。

 それから数十年経つけれども、やはり、今でもカントリーサイドに足を運び入れると、『視野狭窄』というか『燕雀知らず天地の高さ』というか、初めてお会いする経営者が、無意識の内に『業者扱い』を当然のように行なっている。先日など、予定していた会議を、当日現地ドタキャンされた。これには驚いた。筆者が一番嫌う『出入り業者扱い』的な差別である。

 これが、『厚顔無恥』なる人の『立ち位置』であろうかと。日頃から当然のように言葉に発する『(出入り)業者』。しかし、オフィスを訪ねてくる人たちを、全てそのような眼で見ていることの恥ずかしさもないところが、何とも、その経営者を痛く感じてしまった。

 仕事のマッチングは、双方にメリットがあるところを見出し、合意の下に、契約なりが成り立つ。ところが、初手から上から目線にしていると、とんでもない落とし穴が眼前に。言い放ってしまった言葉や粗野な取り扱いを、過去に遡及して訂正することは不可となり、大恥をかくばかり。更に、事前に渡している資料を持参せず会議に臨むなんぞ、あり得ない。

 この時代、全てにおいて『fifty:fifty』の関係が常識である。昔のように、どっちが上か下なんぞ、無意味なもの。それを、今でも「あ、それは業者に頼もう!」と言ってしまった段階で、横着でもあり配慮のない人間だと思われてしまう。特に専門知識に長けた『業者さん』ならば、後々赤恥をかくのは必至となる。

 人は、どこかで差別したり、優越感に浸ることへの心地良さを求めているに違いない。極論ながら、人種差別もジェノサイドも絶えない世界が存在するのは、人の悪き本能によるものだと考える次第。

 大事なことは、皆平等であること。自分ができないことを依頼する相手は『業者さん』であり、決して『出入り業者』とキツく言い放ち、粗野に扱うものではない。そんな低民度な考えで人に接していると、必ず、大火傷をするに違いない。御用心、御用心。

▼菊池川と山鹿大橋(熊本県山鹿市)
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写真・文責:西田親生

             

  • posted by Chikao Nishida at 2022/8/3 12:00 am

敬愛 vs 侮蔑・・・

▼天草黒牛の放牧風景(写真と記事は関係ありません)

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 敬愛の念を抱かれる人に、また、敬愛の念を抱く人に、根っから悪い人はいないと言っても過言ではない。

 我々の小学生時代の先生方は威風堂々としており、威厳のある先生方が多かった。よって、親や先輩から教わることもなく、自然体にて敬愛の念を抱いていたのであった。痛みを伴う厳しさの中にも、心から滲み出るような優しさがあったからだと、大人になって理解できるようになった。

 敬愛の念とは、相手を敬い親しむ心を意味するが、それは、目上の方に対してのみではない。年齢性別に関係なく、互いに敬愛することは、強い信頼関係で結ぶばれることに繋がり、更に、邪念なく自然体にて相手と接している内に、楽しい仕事や趣味などの共通項が広がって行くこともある。

 逆に、敬愛の反意語としては、侮蔑や軽蔑などが挙げられる。一方的な人の悪口(捏造されたものが多い)を耳にすると、短絡的にその場にいない人に対して侮蔑の念を抱く人も少なくない。所謂、フェイクニュースに感化されやすい人であり、大抵の場合、後々自らの勘違いに赤恥をかくことに至る。

 同様に、感化されやすい人に、根っから悪い人はいないと筆者は考えている。悪いのは、情報操作を行い、第三者に対して濡れ衣を着せたり、虚言をばら撒き周囲を巻き込むような人間が悪玉菌である訳だ。失礼ながら輩と称しても良いほどの悪玉菌が、世の中に多く蔓延っている。

 人の言葉を短絡的に解するのは危険なこと。一方的な言葉に根拠があるのか、捏造されたものなのか否か、一つ一つ信憑性のチェックを行い、真偽の程を見極めなければならない。よって、一方的な情報のみで右往左往するよりも、もう片方の情報もゲットして、公正中立なスタンスにて結論付けるのが懸命となる。

 敬愛の念を抱く人には、敬愛してくれる人々が多く集まる。残念ながら、敬愛の念という言葉も知らず第三者を侮蔑する人には、敬愛してくれる人は皆無となる。それは、懐疑心に取り憑かれた輩であり、人も己も信用できぬ人生を送りつつ、気付かぬ内に、世の中で一番可哀想な人間となってしまうのである。


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文責:西田親生

                           

  • posted by Chikao Nishida at 2021/1/9 12:00 am

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