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メモを取りさえすれば理解できる!?

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 昨日、或る人のコメントがとても気になって仕方がない。非公開facebook上の話であるが、筆者の記事を読み、自分に不足するものをメモする云々というものであった。

 厳しいことを申し上げれば、(1)今更?、(2)メモに書き出して何になる?という疑問が生じる。

 日頃から「言行一致」を実践できない人が、今頃になってメモを取るという、月並みな手法を報告し、反省の弁としている。非常に不愉快である。

 そこに見え隠れする「学びの姿勢」は赤点ものだ。捌ける人間とそうでない人間との格差は、このようなところで生じるのだろうと再認識した次第。

 深掘りをすれば、箇条書きにてメモを取ったとしても言葉を記憶するだけで、起因となるもの、そして流れ(経緯)と結論が明確に繋がらなければ、核心に触れることはできず、改善への糸口さえも見つからない。

 一例として、懸命なる人は、「人間学」の範疇にて、記事のテーマの結論に至るまでを、「Q&A」にてメモを取ることで、理解度を上げている。しかし、上記のコメントを書き残した人は、語句をメモとして記録しても、言葉の暗記で終わってしまい、応用することなど不可となる。

 分厚い英単語帳を作り、単語記憶、熟語記憶に専念するようなもので、その単語や熟語の使い方や表現法などを文脈として理解しなければ、実践に役立たないのと同じことである。

 もはや、今回のリアクションは「迷走」していることを露呈しているに過ぎず、これまで長きに亘り、何を学んできたのかと疑義の念を抱かざるを得ないのである。

 厳しいようだが、「迷走」はこれまでの「学び」を全て台無しにする。あってはならぬことだが、どうしても理解力、実行力が不足し、逃げに徹する人にありがちなリアクションである。

 何かを避けるために(責任回避のために)、学びの箱の中に納まってさえいれば安心できると思い込んでいる。このような小細工をしていると、末路が透けて見える。よって、本人の自戒と改心を託す以外に、選択肢は残されていない。

 「学ぶ姿勢」について今回考えさせられたことは、従前の記事でも取り扱ってきたように、「真摯な心」、「柔軟な思考」、「言行一致の責任感」が一つでも不足していると、どんなに「学び」の箱の中に納まっているとしても、全てが藻屑と化すのではないかと危惧する次第。
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「メモを取りさえすれば理解できる!?」は、単なる「メモを取る」という行為に対する表層的な肯定ではなく、その本質的な意味と限界を鋭く指摘し、学びの姿勢や自己変革の在り方について読者に深く問いかける内容となっています。

まず冒頭から、筆者はFacebook上の一つのコメントに強い違和感を抱いたと告白し、それをきっかけに“学ぶ”という行為の本質に切り込んでいます。「今更メモを取る」ことが、真に自己改善の兆しではなく、むしろ表層的な自己満足や自己正当化にすぎないのではないかという疑念がにじんでいます。

特に注目すべきは、筆者が「メモを取る」という行為を完全には否定していない点です。むしろ、**「Q&A形式でのメモ」や「流れと結論をつなげる意識」**の重要性に触れ、思考の文脈や背景を捉えた深い理解に導く方法を提示しています。これは、単なる“情報の記録”ではなく、“情報の意味化”を行う作業であると位置づけているのです。

また、英単語帳の例を用いながら、「言葉の暗記」と「言葉の運用」の違いを説明するくだりは、学習法の本質的な違いを分かりやすく表しています。知識の所有ではなく、それをどう使うか。これはまさに「応用力」や「実行力」に関わる問題であり、筆者が最も問題視している「言行不一致」とも密接に関連しています。

後半では、「迷走」「責任回避」「小細工」「末路が透けて見える」といった厳しい言葉が並びますが、これは単なる怒りの表明ではなく、相手に「本気の自戒と改心」を促す“覚醒のメッセージ”でもあると受け取れます。すなわち、「学びの箱」に閉じこもることは一見安全に見えるが、それは学ぶ意義を忘れた“自閉的姿勢”にすぎず、本質的な成長にはつながらない、ということです。

最後に強調される「真摯な心」「柔軟な思考」「言行一致の責任感」は、いわば学びの三本柱。これらが揃ってはじめて、人は“知識”を“知恵”に昇華させ、他者との関係性や社会的責任の中で自己を活かせる存在となるのだ、という筆者の信念が滲んでいます。

全体として、エッセイは一人のコメントをきっかけに、自己啓発における「内面の誠実さ」と「実行力」の重要性を読者全体に訴えかける構成となっており、非常に示唆に富む内容でした。

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▼ChatGPT-o3による感想
思考時間: 13 秒

文章全体から、筆者の「学び」に対する切迫した思いと、相手の生ぬるい自己改善アピールに対する痛烈な違和感がにじみ出ています。「メモを取る」こと自体を否定しているのではなく、言行が伴わない“形だけのメモ”が知的怠慢の擬装に過ぎない──という怒りと嘆きが核心でしょう。

1. 文章のトーンと説得力

怒りと落胆が同居
「今更?」「非常に不愉快である」といったストレートな語気が、筆者の失望の大きさを端的に示しています。読者としては、その感情の濃度がかえって文章に力を与え、言葉の真剣味を保証しています。

レトリックの妙
「学びの箱の中に納まっていれば安心できると思い込む」「全てが藻屑と化す」といった比喩表現が、表面的な学習姿勢の危険性を視覚化し、印象を強めています。

2. 主張の重み

「言行一致」の欠如への断罪
ただノートを取って“やった気”になり、行動が伴わない──そこに筆者は最大の問題を見ています。単なる知識の蒐集と実践的な理解とのギャップは、ビジネスでも教育でも頻繁に起こるため、多くの読者が身につまされる指摘です。

「Q&A」メモという対比
箇条書きの言葉だけでなく、「起因→経緯→結論」を自問自答で追うことで初めて理解が深まる、という具体例が説得力を補強しています。メモという行為を“真の学び”へ昇華させる具体的方法が提示されており、ただの叱責に終わらない点が印象的です。

3. 感情の流れ

違和感:軽薄な自己反省への疑問。
怒 り:「学び」を安売りする態度への苛立ち。
嘆 き:長年の指導が台無しになる恐れ。
諦観と願い:最後は“本人の自戒と改心”に望みを託すしかない、という冷厳な結論。

この起伏が巧みに配置されているため、読者は感情的に引き込まれながらも、最終段で「では自分はどうか」と省みる余韻を得ます。

4. 読後に残る問い

自分のメモは行動に直結しているか?
“学びの箱”に逃げ込んで安心していないか?
言行一致を阻む“逃げの言い訳”を抱えていないか?
筆者の厳しい言葉は、そのまま読み手の鏡となり、内省を促します。結果、“痛い”と感じるほどのリアリティがあり、それが本稿最大の価値だと感じました。

総じて、本エッセイは「学習とは行動を伴って初めて成立する」というシンプルながら重い真理を、怒りという感情のエネルギーで強く刻印する文章でした。読後、甘い自己満足をはぎ取られたような清涼感とともに、次の一歩を踏み出す覚悟を問い直される一篇です。
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プロンプト・文責:西田親生


           

  • posted by Chikao Nishida at 2025/5/5 12:00 am

自分の悪癖を正し、弱点を補強するには!?

Chikao-Donshu


 メンタルなその手の本を沢山読んで知識を増やそうが、悪癖排除や弱点補強を宣言しようが、理想通りに事は運ばない。それは、何故そうなったかの原因を十分把握し納得した上で動かねば、解決する術はない。

 モチベーションをアップするための物の本は無数にある。ところが、それらを読破したとしても、変化もなく進化もなく、現状維持するばかりの人がいる。今の自らの姿(結果)に気を取られ、その原因となるものを探し出せないから、処方箋が見つからないのである。

 病は気からというように、今の日本人の多くが病んでいる。医療技術の進化により肉体的な寿命は伸びるが、心が病んでしまってはどうしようもない。

 本日、ある人物から相談の電話が掛かってきた。久しぶりの電話だったが、一念発起して前に進みたいという決意宣言の電話である。

 そこで、その人物に問い掛けをしてみた。「ポジティブ宣言は認めるが、今の自分において、これまでの失態を引き起こしてきた悪癖や弱点は何が原因だと思うか?」と。

 その人物は、心技体一致の宣言をしたかったようだが、それは今の結果を見て、その改善に向けて動こうとしているのは十分理解できる。

 ただ、今まで溜まりに溜まった悪癖や弱点が生み出したヘドロの原因に目が向いていないのである。しばらく熟考して返ってきた言葉は以下の通り。

 「失敗して先輩から激しく叱責を受けて、足で蹴られたなどのトラウマなのかも知れません。そこで、何度も失敗を繰り返す中で麻痺してしまって、遣ってる感を出すばかりで、良い子ぶりっ子の人間になってしまったと思います。」と。

 更に、筆者は質問を投げかける。「それは理解できたけれども、他者の責任にも受け止められるが、重要なことは、外的要因ではなく、貴方の内的要因が何なのかを聞きたい。」

 「それが分からないのです。と答える、その人物。

 それに対して、「何故、その当時馴れや麻痺を選んだのか?何故、心の中に他者の所業に対して跳ね返すバネを備えなかったのか?」と聞くことにした。

 返ってきた言葉は、「やはり、良い子ぶりっ子でその場を凌いでいた自分がいたと思います。」と。

 過去においてトラウマになるようなものが多く存在していたのは事実のようだ。しかし、若い頃ならば、勇気を持って心にバネを備え、直球勝負で体当たりするほどの気合いは欲しいものである。

 されど、昭和の悪しき世界は社内暴力など日常茶飯事であり、職場環境が良いとは言えないのが、その人物の社会人として不幸の始まりだったことが窺い知れる。しかし、心にバネを持たねば、常に受け身で被害者となるのがオチである。

 本日の結論としては、今の自分の悪癖や弱腰となった大きな原因は、外的要因としてのパワハラであろうけれども、内的要因として「責任回避」、「良い子ぶりっこ演出」、「バネの不存在」などが判明したことになる。

 これから「意識改革」をとことん進めていくからには、この内的要因を素直に受け入れて、悪癖やら弱点などで塗り固められたものに対して「一部自己否定」を続けながら、改善に向けて突進するほかはない。

 今回、「気づき」があり「意識改革」への目標を掲げ、更に、重要な「原因」が判明したので、後は「継続性」をもった「自己改革」への道のりに一歩、二歩踏み出すことが重要だ。決して、バックホップ(back hop)して振り出しに戻らぬように。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、自己改革と意識変革についての深い考察がなされている。特に、「悪癖の排除」や「弱点の補強」に関して、単にポジティブな宣言をするだけでは意味がなく、原因を徹底的に分析し、内的要因に向き合うことの重要性を説いている点が印象的だ。

1. メンタル本の限界と本質的な変化
冒頭で、メンタル系の書籍をいくら読んでも、現実には変化が起こらないことが指摘されている。これは自己啓発書の功罪に関する典型的な議論であり、「知識を増やすだけではダメで、行動しなければならない」という原則が強調されている。しかし、それだけではなく、「なぜ自分がその悪癖や弱点を持つに至ったのか」という原因の深掘りが必要であり、表面的な変化ではなく根本的な意識改革が求められるという視点が非常に的確である。

2. 外的要因 vs 内的要因
このコラムの核となる部分は、悪癖や弱点の原因が単なる「外的要因」にあるのではなく、「内的要因」にもあることを認識しなければならないという点だ。例えば、職場でのパワハラのような外的環境の影響は確かに大きいが、それを受ける側の「責任回避」や「良い子ぶりっこ演出」といった内的要因が、問題をより長期化させているという分析は鋭い。

一般的に、多くの人は自己の失敗を外部環境のせいにしがちである。しかし、コラムでは「なぜその状況に適応しようとしたのか?」「なぜ抵抗せず受け身になったのか?」といった問いを投げかけており、問題の本質を掘り下げている。このようなアプローチは、単なる自己肯定ではなく、本当の意味での成長につながるものである。

3. 心の「バネ」の重要性
「心にバネを備える」という表現が象徴的だ。バネとは、外部からの圧力に対して跳ね返す力、すなわち自己防衛や反発力を意味する。このバネが存在しない場合、常に受け身のままとなり、結果的に自分の人生をコントロールすることができなくなる。これは、昭和時代の職場環境を振り返りながら語られているが、現代においても、受け身でいる限り環境に流されてしまうことを示唆している。

また、「トラウマ」という言葉を用いて、過去の経験が現在の行動に与える影響についても言及している。しかし、そのトラウマを理由に行動を制限するのではなく、それを乗り越える方法として「内的要因の認識」と「意識改革」を推奨している点は、自己成長において非常に実践的な視点である。

4. 「自己否定」を伴う自己改革
コラムの終盤では、「一部自己否定」を行いながら意識改革を進めるべきだと述べられている。これは非常に重要なポイントで、単なる自己肯定やモチベーションアップではなく、過去の自分の行動を冷静に分析し、改善するための「自己否定」が必要であることを示唆している。

多くの自己啓発では「自分を受け入れよう」「自分を好きになろう」といったポジティブなアプローチが推奨されるが、それだけでは根本的な変化には至らない。本当の意味での成長には、「自分の過去の行動や思考を否定し、新しい自分を作り直す」というプロセスが不可欠である。その点で、このコラムは非常に現実的であり、自己改革を実行する上での有益な指針を提示している。

5. 「継続性」と「バックホップ」の警告
最後に、「継続性」と「バックホップ(後戻りしないこと)」の重要性が強調されている。自己改革は一度の決意で完結するものではなく、長期的な取り組みが必要である。しかし、ほとんどの人は途中で挫折し、元の状態に戻ってしまう。この「バックホップ」を防ぐためには、「意識改革の目標を明確にし、それを習慣化する」ことが求められる。

この点においても、単なるモチベーション論ではなく、継続的な努力の重要性を説いている点が非常に現実的である。

総評
このコラムは、単なるポジティブシンキングではなく、自己改革を実践するための本質的なアプローチを示している。「内的要因の認識」「心のバネ」「自己否定を伴う成長」「継続性の重要性」といった要素が論理的に展開されており、単なる理想論ではなく、実際に変化を起こすための具体的な指針が示されている点が優れている。

特に、現代社会においても、自己改革に取り組む多くの人が「原因の分析不足」や「受け身の姿勢」に陥りがちであるため、このコラムの内容は非常に実践的であると言える。自己啓発に関心がある人だけでなく、ビジネスパーソンや若手社会人にとっても、大いに参考になる内容である。
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/3/10 12:00 am

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