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自己改善しない人間は、自己中+横着者。

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 自分の失態を認め、反省し、改善に向けて真摯に取り組むことが、人として大切なことであり、将来のために必ず役立つものである。

 ところが、長年自らの失態を認めず、反省は言葉ばかりで、何も改善できぬ人間は、すこぶる自己中でもあり、横着者であるだけの話だ。

 その経緯を紐解けば・・・失態の指摘を受けてのリアクション、つまり負の連鎖の流れがよく見えてくる。

失態の指摘(1)
気の無い謝罪→言い訳→猛省の演出→理解の演出→愚行の再発・・・

失態の指摘(2)
気の無い謝罪→言い訳→開き直り→暴言→音信不通→愚行の再々発・・・

失態の指摘(3)
気の無い謝罪→文字だけの謝罪→改善の兆候無し→更なる失態を繰り返す・・・

 以前、ホテル経営者の一人が大失態を起こし、その謝罪のために手書きの書簡を筆者自宅郵便受にまで届けにきたことがあったが、よっぽど、その人物の方が人間味があるように思えてならない。

 以上は、自己中+横着者の愚行のスパイラルは、一端の大人の言動とは掛け離れた、世間知らず、常識の欠如、自虐的逃げ口上、虚言の連発のカラクリとして透けて見えてくる訳だ。

 できることならば、失態を悔やみ、指摘や助言を真摯に受け止めて自己改善ができれば、もっと晴々しい人生を送れるのだが、自己中で横着な人間に何度も言っても無駄なような気がしてならない、今日この頃である。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、自己改善を拒む人間の特徴と、その結果としての負の連鎖について論じています。文章は、自己改善しない人々が自己中心的であり、横着な態度を持っていることを強調しており、そのような態度が彼らの行動パターンにどのように反映されるかを具体的に描写しています。

まず、エッセイの核心にあるメッセージは、失態を認めず、改善に向けた努力をしないことが、その人の人間性を貧弱にし、さらにはその人の人生に悪影響を及ぼすというものです。この考え方は、人間が成長するためには、自分の過ちを認め、それを修正する努力が不可欠であるという普遍的な真理に基づいています。

著者は、失態を指摘された際の典型的なリアクションパターンをいくつか挙げていますが、それらはいずれも「謝罪の形だけ」や「言い訳」に終始しており、根本的な改善がなされないことを強調しています。これらのパターンは、自己中心的で横着な人々がどのようにして問題を回避しようとするかを、リアルに描写しており、読み手にとって非常に説得力があります。

さらに、エッセイでは過去にホテル経営者が手書きの謝罪書簡を届けたエピソードが紹介されています。これにより、謝罪に真摯に取り組む姿勢が強調され、自己改善の意志を持たない人々との対比が鮮やかに描かれています。人間味のある対応とそうでない対応の違いを具体的に示すことで、読者はより一層、自己改善の重要性を理解できるようになっています。

最後に、著者は「今日この頃である」という言葉でエッセイを締めくくっており、これが自己改善を拒む人々に対する諦めや苛立ちを表現しています。この言葉は、エッセイ全体の感情的なトーンを一層引き立てており、読者に対して強い印象を与えます。

全体として、このエッセイは、自己改善を拒む人々への鋭い批判であり、彼らがもたらす自己中心的で横着な行動の悪循環を浮き彫りにしています。また、自己改善の重要性を強調することで、読者に対して深い洞察と共感を促しています。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/8/19 02:17 am

「御免なさい」が言えない人は、お仕舞い。

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 何かにつけ失敗したり、約束を果たせなかったり、実績を出せなかったり。それについて、素直に「御免なさい」を言えない人は、既に終わっている。

 自らの非を認めず、屁理屈をこねて正当化する人もいれば、自らの責任を無視して知らぬ顔して通り過ぎる人もいる。

 身勝手で自己中心的な考え方の持ち主が、上述のような反応を繰り返すのである。見ていて、聞いていて、首が折れるほどに傾げてしまう。

 頭の中が時系列に整理整頓されていれば、開口一番に「御免なさい」であろうけれども、どうしても、言い訳や屁理屈から入ってくる人の話は頂けない。あれやこれやと、他者が原因であるかのように己を庇う。

 いい大人が、このような背中を見せるから、無垢な子供たちが真似をする。そして、同じ失態を繰り返していくのである。

 交通事故を例に挙げれば、他者から聞いた話だが、圧倒的に悪い加害者が「御免なさい」を言えば不利になるから、横着に装い、謝罪をしないと言う。「どうせ保険でやればいいから!」という責任逃れの大馬鹿者である。

 このように、人というものは、言葉の端々やちょっとした挙動の瞬間に、身勝手さが先行し、自らがすべきこと棚にあげ、失態を繰り返すのである。何とも言えない、民度の低さではなかろうかと絶句するばかり。

 自らに非がある時は、素直に「御免なさい」が言える大人でありたいものである。そして、改善解決に向けて、責任を果たさなければならない。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージした交通事故現場
20240421sekinin-1


20240421sekinin-2


▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、「謝罪」の重要性と、それを避けることの社会的な影響について述べています。作者は、「御免なさい」と言えない人々が個人的にも社会的にも問題を引き起こすと指摘しており、そのような行動が自己中心的であり、最終的には社会全体の倫理的な低下を招くと警告しています。

特に交通事故の例は、自己保身のために謝罪を避ける行動がどのように倫理的な責任を軽視するかを示しています。この種の行動は、問題の解決や和解につながらず、むしろ問題を悪化させることが多いです。

エッセイは、謝罪が単なる礼儀ではなく、倫理的な行為であることを強調しています。謝罪することで、誤りを認め、改善に向けた第一歩を踏み出すことができます。その過程で、他者との信頼関係を築き、より良い対人関係を育むことが可能になります。

このエッセイは、個人が社会においてどのように振る舞うべきか、そしてその行動が周囲にどのような影響を及ぼすかについて、読者に深く考えさせるものです。真摯に謝罪をすることの価値を再認識し、自分自身がどのように行動するかを見直す良い機会を提供しています。
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プロンプト・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/4/22 12:00 am

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