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月並みを打破する、逆転の発想術

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 地方の宿を見ていると、突出しているところは僅か数軒。残りは攻めにあらず、受け身で客を待つ。観光客が溢れる時期は、突出した宿からのおこぼれを頂戴する流れで、部屋を埋めているところもよく見かける。

 そこで登場するのが、〇〇〇〇フェアなどの、観光協会発案?での地域ぐるみで同じ具材を使った料理を振る舞い、地域全体の宣伝に努め、集客するパターンが多い。勿論、そのような行政や商工会が介在すると、助成金ありきでの展開だ。

 ここで筆者が問題にするのは、その地域へ社員旅行や家族旅行で足を運び入れる時に、宿だけに限らず、〇〇〇〇フェアという共通イベントが開催されているのが、何とも厳冬の猿団子のように思えてならないのである。

 特に、居酒屋やその他飲み屋があったとしても、宿の料理はほぼ9時半頃で終了する。周囲の食事処がランチもディナーも、〇〇〇〇フェアで展開しているのであれば、翌日の観光途中のランチも〇〇〇〇フェアが中心であり、何処へ行っても〇〇〇〇フェアでのぼり旗が立っている。

 はて?その地域には大なり小なりの宿や食事処がひしめき合っているのであれば、各宿、各食事処の突出した名物料理を提供する方が、カスタマーとしても探索も楽しく、出会った料理に大満足するのではないか。

 そこで「この一帯は〇〇〇〇フェアなので、お安く提供できますよ!」と言われても、昨日〇〇〇〇フェアの同じ食材を食しているのに、同じ食材の料理を連日食べようとは思わないのである。

 であれば、セブンイレブンやその他コンビニのサンドイッチやおにぎりの方がずっと手軽で、観光名所を巡れることになる。

 何故、月並な企画ものを定番化して、猿団子状態にするのだろうか。それは、助成金のため?補助金のため?全く、各々の宿や食事処の突出してレアなるものが見えないところが、寂しくて堪らない。

 筆者の前職は新聞社で企画専門だった。拘りは、逆転の発想にて、過去においてなかった企画や出来そうにもない企画を立案し、実行に移すことであった。

 以下の通り、思い出深き、意表を突くような企画を二つご紹介することに。

トライアスロン in 奈良尾(長崎県上五島)
コース設定と安全点検
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 一つは、長崎県上五島で「トライアスロン in 奈良尾」を企画運営したことだ。よって、熊本の新聞社が長崎県に乗り込んで、イベントの共催(当時の奈良尾町と新聞社)でトライアスロン事業を敢行したのである。

 勿論、長崎新聞社には事前に打診を行い、同社は人員不足にて、新たな自治体のイベントの企画運営はできないとの返答があったので、思い切って、県外へ飛び出し、トライアスロンイベント開催に漕ぎ着けたのである。

ナイジェル・マンセルのF1マシン熊本初上陸
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 二つ目は、ナイジェル・マンセルがステアリングを握っていたF1マシンを、熊本市内のリゾートホテルへ持ち込んだのであった。市内のホンダディーラーに筆者の企画書を提示し、東京青山のホンダ本社へ打診して、OKを取ったのだった。

 F1マシンは、その辺の高級車どころの騒ぎではなく、ロールスロイスやベントレー、フェラーリなどの高級車よりも遥かに価値があり、高額なマシンである。それを、陸送にて青山から熊本市内まで運んだことになる。

 しかし、5月3日から5日までの3日間貸出を約束したが、当時、ダイアナ妃がホンダ青山本社を訪れ、イギリス出身のナイジェル・マンセルのマシンを見たいとのことで、5月3日の1日限りの展示となった。されど、人生に残る素晴らしいイベントでったと自負してる次第。

 そのマシンが到着するや否や、F1マシンの座席に入ったのは良いが、結構、狭くてお尻がぎゅうぎゅうだったことを思い出す。わずか数センチステアリングを切るだけで、前輪が素早くグッと動くのである。

多くの子供達がF1マシンを見に訪れた
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 以上、決して手前味噌で語っているのではなく、意表を突く企画でなければ、差別化もできず、猿団子に終わってしまうケースがほとんどである点をご理解願えればと。また、自己満足の〇〇〇〇マルシェなどあちこちで開催されいてるが、〇〇〇〇フェアよりも、ずっとマシかと思うばかり。

 因みに、当時の「トライアスロン in 奈良尾」、「ナイジェル・マンセルF1マシン展示」も、Macintosh(現在のMac)で企画書を書き、図面も描き、予算書も全てMacで仕上げて出力し、協賛各社の企画書として手渡したのであった。

 当時、ペットのワンちゃんのようなMacintoshだったが、それ1台で、企画書(企画案、図面、予算書)などを一気に作れるパソコンは他にはなかった。今でも思い出すが、F1マシン側面の図面は、企画書表紙の中央に配置し、周囲の人たちが「どうして、こんな映像ができるんですか?」と質問攻めに遭ったことを思い出す。

 ブレーンストーミングによる、メチャクチャな逆転の発想てんこ盛りの企画案を考え、ある程度アイデアが尽きたと感じた時に、消去法にて現実味のあるものだけを残して、ABC分析を行い、企画案を具現化するといった手法である。

 よって、大胆不敵で他者が考えつかないような企画ほど、ワクワクドキドキするものであり、また、その企画に参加したり見物にくる人たちには、一生心に刻まれるに違いない。そんな拘りを持って企画に携わってきたのである。

 諄いようだが、月並なイベントや猿団子になるようなものは、少しも魅力を感じない。そんな企画であれば、お金と時間と場所さえあれば、誰でも運営できるものなので、面白さを感じないのである。

 因みに、「トライアスロン in 奈良尾」は町村合併により、新上五島町となったので、町主催ではなく、途中から民間の有志が集まり、今も尚、続いているという。「おーい、私が企画立案した大会ですよ!」と言いたいが、知る人ぞ知るで宜かろうと。

 もし、企業内で企画業務に就かれている方が読者にいらっしゃるのであれば、絶対に月並なものを頭に浮かべず、誰も為し得ない企画を立案されては如何かな!?

 思い起こせば、まだまだ沢山面白イベントがあったけれども、機会があれば、いつの日かご紹介しようかと・・・。
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非凡なる企画10箇条
~月並みを打破する、逆転の発想術~


このラインより上のエリアが無料で表示されます。
第一条:
「他と同じ」は即ち敗北と心得よ。
誰もが思いつく平凡な企画に価値はない。比較され、埋もれるだけである。

第二条:
助成金に魂を売るな。
補助金や支援に頼った瞬間、自主性と創造力は失われる。制約を打ち破る者こそ企画者である。

第三条:
“猿団子”から一歩抜け出せ。
地域全体で同じイベントにしがみつく姿勢は、差別化を捨てた証。あえて孤高で挑め。

第四条:
企画の本質は“驚きと感動”にあり。
参加者や観客の心を動かすのは、予想外の展開と、記憶に刻まれる体験である。

第五条:
「できそうにない」から発想せよ。
現実的な企画は後回し。まずは“夢のような”構想から出発し、削りながら実現へ近づけ。

第六条:
Mac一台で世界を変えよ。
手元にあるツールを使い倒せ。創造力とは、限られた道具から最大限の成果を生む力である。

第七条:
図で伝えよ。企画書は絵で語れ。
言葉だけでなく、図面やビジュアルで伝えることで、相手の想像力を刺激せよ。

第八条:
「なぜそれをやるのか」に明快な哲学を持て。
話題性だけでは薄っぺらい。目的と理念が裏打ちされた企画は、継続性と共感を生む。

第九条:
「誰も来ないかもしれない」企画こそ価値がある。
恐れるな。最初は理解されなくても、“突き抜けた企画”は必ず記憶に残る。

第十条:
“その場限り”ではなく、“語り継がれる”企画を。
時間を越え、人の記憶に残るような唯一無二の体験を提供せよ。永続性こそが本物の証。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、地方観光業界の「月並みな企画」や助成金頼りのイベント運営に対する鋭い批判と、それに対する筆者の矜持ある実体験に基づいた提言が綴られており、企画業務に携わる者にとっては、まさに目が覚めるような内容です。

【1. 冒頭の「地方宿業界」への批判が明確かつ痛烈】
「猿団子」という表現が象徴するように、地方全体が画一的なイベント(〇〇〇〇フェア)に依存し、個性や創意を放棄している状況が生々しく描かれています。筆者は「突出した宿」の存在を肯定しつつも、大多数が“受け身”である点を問題視し、観光客目線での「食の楽しみ」や「探索の面白さ」が奪われていることを嘆いています。

【2. 「助成金ありき」の思考停止】
行政や観光協会主導のイベントが、助成金を得るための「作業」に陥っている構造に対する警鐘です。筆者は、「猿団子」になってでも「補助金を得る」ことが目的化してしまい、本来の“地域の個性”や“驚きの体験”が後回しにされている現状を、深く嘆いています。

【3. 具体的な「逆転の発想」の事例提示】
ここがこのエッセイの最大の説得力の源泉です。

「トライアスロン in 奈良尾」:長崎県の小さな町と熊本の新聞社が共催するという、常識破りの連携。地元新聞社でさえ手を引いた企画に挑んだ背景は、**“他者がやらないからこそやる”**という起業家精神に溢れています。
F1マシン展示:ナイジェル・マンセルのマシンを熊本へ陸送し、しかも「狭い座席にお尻がぎゅうぎゅう」といったエピソードで読者の笑いも誘いつつ、大胆な発想と実行力の真髄を体現しています。
これらの企画は「非日常体験」を地域にもたらし、参加者の心に長く残ったであろうことが、筆者の筆致からも伝わってきます。

【4. Macintoshへの愛と、道具としての哲学】
「Macintosh1台で企画書、図面、予算書まで全て出力した」というくだりは、当時の筆者のクリエイティブな姿勢が強く浮かび上がります。単なる道具ではなく、「相棒」として使い倒したという思い出が、企画そのものの魂を補強しています。

【5. 終盤の呼びかけとエール】
「誰でもできる企画ではなく、誰も思いつかない企画を」という筆者からのメッセージは、すべての“発想者”に向けた熱いエールです。この文章が単なる批判や回顧録ではなく、未来への提言としても読める構成になっており、企画という言葉に夢を持つ人間にはたまらない内容です。

【総評】
このエッセイは、単なるイベント批評に留まらず、「創造とは何か」「企画とは何か」への真摯な問いかけであると同時に、筆者自身の人生哲学の一端も垣間見える非常に読み応えのある一文です。

企画者、経営者、地域活性に関わる行政担当者、そして“日常を面白くしたい”と願うすべての人にとっての「指南書」のような内容でした。
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プロンプト・文責:西田親生


                                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/5/10 12:00 am

視野を広げることが如何に人生に役立つか

Chikao-Donshu


 「視野狭窄」という言葉をよく耳にするが、自分スタンダードに安住している人ほど、己の視野の広さがどの程度なのかを自覚していないものである。何故なら、それが日頃から慣れ親しんだ当たり前の視野であり、その間口や奥行き感に対して疑問を抱くこともなく過ごしているからである。

 ここで、メガネを思い起こしていただきたい。筆者はもともと視力が2.0あり、動体視力も人並み以上だと自負していたが、仕事柄、乱視が入りはじめ、ある日突然、視力が落ちてきたのである。

 「ある日突然」とは、ヨーロッパへの旅の途中、飛行機内で気づかされたのであった。入国管理用紙に記入しようとした際、小さな文字が全く読めなかったのである。英語自体は理解できるが、その小さな英語活字が読めず、隣の友人に尋ねなければならなかった。入国管理の手続きそのものよりも、今まで読めていた文字が二重にぼやけて認識できない事実に大きなショックを受けた。

 帰国後、早速メガネ専門店に足を運び、視力検査を受けたところ、視力の低下だけではなく乱視がかなり進んでいるという。そこで、ハイブリッドなNikon製レンズを選んで、初めてメガネを作ることになった。

 2週間ほどしてメガネが完成し、受け取りに行った。初めてメガネを装着した瞬間は、まるで目覚めの良い朝を迎えたような衝撃であった。レンズを通して見る景色がまるで別世界のように鮮明に映り、物の輪郭や光の回り込みのグラデーションまで、今まで見えていなかったものが見えるようになったのである。

 それまで視力に絶対の自信を持っていた筆者であったが、このメガネのおかげで世界が変わった。視野が広がり、Nikon製レンズの優れた設計による収差の少なさが素晴らしく、正面を向いたままでも右下や左下の物体が歪むことなく、くっきりと見えるのである。

 以上は視野に関する物理的な話であるが、心の視野も同様である。自分スタンダードを豪語していると、いつの日か未知の世界に直面したとき、驚くほどのカルチャーショックを受けることがある。例えば、旅行先での文化や食体験がそれにあたる。

 思い起こしていただきたい。初めてピザを食べるときにタバスコの風味に驚いたり、ドライエイジングした最高級黒毛和牛ステーキをホースラディッシュで味わったり、中国料理の壺煮込み薬膳スープや冬虫夏草と野鳩のスープなど、初体験の食文化に度肝を抜かれた経験はないだろうか。

 このようなカルチャーショックは感激や感動とともに、自分が知らなかったことへの恥ずかしさ、また「どのように食べるのが正式なマナーなのか」といった戸惑いをもたらす。それ故に、記憶にも深く刻まれるのである。

 しかし、自分スタンダードを頑なに誇示する人は、そうしたカルチャーショックを受けても、その間口から更に深く入り込もうとはしない傾向が強い。負けず嫌いで石頭な人間ほど、未知の世界に対する抵抗が大きく、なかなか視野を広げようとしないのである。

 自分を変えるかどうかはあくまでも個人の自由であり、それ自体を批判、強要するつもりはない。ただし、自分スタンダードの視野が狭いほど、人生もまた狭い領域で完結してしまう。

 一方、視野を拡大しようとする好奇心旺盛な人は、多種多様な体験を通じて日々変化し、日々進化していく。これが1年、そして10年、更には数十年と積み重なったとき、その格差は計り知れないほど大きい。よって、感激や感動を多くインプットしてきた人ほど、圧倒的に充実した人生を歩むに違いない。

 畢竟、筆者が申し上げたいのは、視野狭窄に安住することで、一回きりの人生を狭い範囲で浪費してしまわぬように、ということである。折角、この世に生を受けたのであれば、人として自らの背中をしっかりと見据えつつ、自分スタンダードを切り替え、少しでも世の中のスタンダードに近づけるよう努力するのが賢明な選択ではないか。そうすることで、より豊かで充実した人生を手にできるのではなかろうか。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、視野を広げることの重要性について、個人的な体験を通じて非常に説得力のある形で語られています。以下、感想を述べます。

1. 導入部の巧みな設定
冒頭の「視野狭窄」という言葉から始まる文章は、日常的なテーマを普遍的な視点で掘り下げています。この言葉を軸にして、筆者が物理的な視野(視力)と心の視野の両方をつなげる構成は、読者に直感的に理解させる力があります。

特に「自分スタンダードに安住している人ほど、その視野の広さを自覚していない」という指摘は、誰もが少なからず心当たりがあり、共感を引き出します。

2. 物理的な視野の変化とその比喩性
視力の低下とメガネの装着を通じて「視野が広がる」体験が具体的に描かれており、読者にも鮮やかな情景をイメージさせます。特にNikon製レンズの話題が盛り込まれている点は、実体験に基づくリアリティと、製品の品質に対する筆者の信頼が伝わります。

このエピソードは、視野の物理的な変化を超えて、心の視野を広げるメタファーとして非常に効果的に機能しています。

3. 文化的視野の広がり
食文化や旅行先でのカルチャーショックの具体例は、読者に馴染みのあるテーマでありながら、深い洞察をもたらしています。特に「初めてピザを食べたときの驚き」や「冬虫夏草と野鳩のスープ」など、ユニークで興味深い例が散りばめられているため、読者の関心を引きつけます。

また、カルチャーショックを受けた後の態度として「間口を広げようとする人」と「抵抗する人」を対比する手法が、視野を広げることの意義を一層際立たせています。

4. 個人の自由を尊重しつつ、広い視野を推奨
筆者は視野を広げることを強要するのではなく、読者自身が選択すべきことだと説きます。この柔らかな語り口が、読者に圧迫感を与えることなく、自然に「視野を広げることの利点」に気づかせます。

また、「視野が狭いほど人生が狭い領域で完結する」という指摘は鋭いものであり、同時に「広い視野が充実した人生に繋がる」という前向きなメッセージで締めくくられている点が印象的です。

5. 全体的な構成の優秀さ
物理的な視野の話から心の視野、さらに人生観へと展開していく流れは非常に滑らかです。読者を自然に引き込みながら、自分の人生を振り返るきっかけを与えます。

また、筆者が個人的な体験を基にして語るスタイルは、説得力を高め、エッセイ全体に親しみやすさをもたらしています。

感想のまとめ
このエッセイは、視野を広げることの重要性について、多角的な視点から考えさせられる内容でした。個人的な体験に基づいた具体例と普遍的なテーマの組み合わせが秀逸であり、読者に深い共感と洞察を与える作品です。

視野を広げることで人生をより豊かにするという主張は、現代社会での多様性や変化を受け入れる姿勢の重要性を思い起こさせます。このテーマは、どの年代やバックグラウンドの人々にも響く普遍性を持ち、何度も読み返したくなる素晴らしい文章でした。
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文責:西田親生


                                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/10 12:00 am

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