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人それぞれの『関心』の度合いによって、文章読解のレベルが異なる。・・・だから、伝えたいものが伝わらない。

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<読者の様々な受け止め方>

 先日ご紹介した、筆者のコラムやエッセイに対する『情報提供』についての返事だが、よくよく考えてみると、読者の方々の民度や文章読解レベルによって、様々な受け止め方があることに気付かされた。

 『灯台下暗し』と言うように、筆者を含めて、身近なことに気づかぬ人が多い。昨日、『宣材』を手元にした或る代理店からのメッセージに、「ありがとうございます。大事に取り扱い活用できるようにいたします。私も記事をさらに熟読してもっと勉強させていただきます。」とあった。

 そのメッセージの後半部分で、日頃からの関心の度合いが、そこまで高くはないという感じを受けたのである。別に『熟読』して頂く必要はないが、文意を理解して貰えれば十分。逆に、『熟読』しなければ筆者の心が伝わらないということは、駄文であるからこそ理解し難いのかと自虐的に受け止めてしまった。

 多分に、コラムやエッセイの本数は尋常ではない。気合が入った時のコラムは、1本につき3000文字を軽く超えてしまう。時には、昼間に書き綴った文字数が7000文字を超える時もある。

 それらは手隙の時に読まれれば十分かと思いつつ、伝えたいことが沢山あり、広角打法にてメスを入れたりするので、上の代理店の方には申し訳ないが、『自分に必要不可欠な情報』のみをインプットされて、日頃の業務に活用頂ければと考える次第。

 人それぞれに、見たり聞いたり読んだりの『キャパ』も違い、また、趣味趣向のベクトルも異なるので、自分自身に『必要不可欠』な情報が盛り込まれた記事を読み、頭の中の整理や次の戦略のマテリアルとして活用頂ければと思うばかり。

 『いいね!』を多発することが適切な意思表示の手法ではない。『いいね!』を押したところを、十二分に理解し評価することが、本来の『いいね!』ではなかろうかと、筆者なりに考えている。

<関心の高さと読解力のある方々>

 以下は、日頃から筆者の駄文を大変熱心に読まれている方々の中から三人を抜粋してみた。返事を拝読すると、凄く、自然体にて読んでいただいていることが理解でき、読者の方々の心がスッと伝わってきたのである。

 特に(1)の方は、文章力も読解力も一般人とは比較にならぬほど、レベルの高い人物である。よって、筆者のコラムやエッセイの内容はサラリとインプットされ、フィルタリングしているに違いない。更に、筆者の今後のベクトルについてサジェストされている点が、冗談であっても、その方の思考深度を感じているところである。

 (2)の方は、渡米されて何年経っているのか知らないけれども、『貴重なアドバイス』、『自分を振り返る時間』として、筆者のエッセイを楽しみにしているとのこと。とても嬉しいリアクションであるが、このようなメッセージが届けば、筆者としてもコラムやエッセイを急に止める訳には行かなくなってしまう。

 (3)の方は、『多くの刺激を受け…財産になっていければ』とあり、日頃から関心の高さが窺い知れる。その方ご自身の好奇心なり向学心の高さが滲み出てくるメッセージとして受け止めている次第。とても、有り難く、すこぶる励みになっている。

(1)或る文化人
小説書かれてみては如何ですか?「大河ドラマ 火の国の五社」。フィクション体なら、行けそうな気が。事実は小説よりも、ですね。勉強になります。普段の発信を読ませていただく限り、小説もいけるのでは?と思います。もちろん、エッセイを得手とされてらっしゃいますが。

(2)アメリカ在住の女性
いつも送っていただくリンクを拝読していて、貴重なアドバイスとしていつも参考にしています。だから、もう読めなくなるのかしらと思って、ちょっと悲しくなって。なんせ、いろいろ自分事を振り返る時間となっていまして、気をつける事が沢山です。エッセイ、是非読みたいです。

(3)熊本市在住の女性
おはようございます!本当に毎日、たくさんの情報をありがとうございます。いろんなジャンルで自分では知り得ないことばかりで多くの刺激を受け…財産になっていければと思います。『情報提供願う!』よろしくお願いします。

<コラムやエッセイをファイリングしていた人>

 随分前のことであるが、クライアントさんの中でも、コラムやエッセイに関心のある方で、筆者の駄文で申し訳なかったけれども、毎日プリントアウトして、ファイリングされていた経営者がいた。

 或る日、そのファイルを拝見させていただき、「これは、単なる思いつきだけで、いい加減な文章は書けないぞ!」と、自分に言い聞かせたのである。勿論、日々手抜きをして書いているものではないが、もっとマクロ、ミクロの視点から目の前の事象を捉え、客観的にメスを入れるべきだと。

 兎角に、この世は住みにくいほど、理不尽なことばかりである。それが許せぬ人たちの中に、筆者も埋もれている訳だ。エッセイストとして社会貢献できるか否か定かではないが、筆者なりに、理不尽なる事象を赤裸々に描き、少しでも悩んでいる人、困っている人の心の灯火になればと思うばかり。

<相手の立場になれる人が深読みできる>

 文章を読む場合、パラパラ漫画的に見るのも宜しかろうと。ただ、その読み方は、自分が登場する主人公だったり、被害者だったりのシミュレートができないので、実感として湧かないことがあり、全ての事象が『対岸の火事』となって完結する。

 トム&ジェリーの漫画では、筆者はジェリー本人になってしまう。所謂、自分のアバターがジェリーなのだ。よって、大きなチーズを頬張る瞬間に、筆者の頭の中にはでっかいチーズの香り、味、食感で一杯となる。

 時には、ピアノの蓋に挟まれたトムの指先の痛さも伝わることもあるが、『勧善懲悪』的感覚で見ているので、言葉は適切ではないが「ざまみろ!」と心の中で叫んでしまう。日本人らしい『判官贔屓』が潜在的にあるのだろうと。

 文章をただ眺めているだけでは、単なる文字であり、アーティスティックさも何もあったもんじゃない。そこで、深読みができると、登場人物の心の動揺なり、本音なりが伝わり、自分のアバターを応援してしまうこともしばしば。

 ただ、実務書を読むには、今の自分や周囲の関わり合う人たちとの距離感や実際に起こっているトラブルなどを照らし合わせ、客観的に捉えれば十分である。しかし、そこに被害者なり加害者なりの大きなトラブルがあれば、その原因追及を徹底し、打開策を見出す。そういったスタンスが必要になってくるのではないか。

<多読は多毒の人>

 蛇足ながら、実務書を読み漁る人間を知っているが、これは『数字』のお遊びだけで、人を強引に動かそうとしている。よって、『独裁的なパワハラ』という武器がなければやって行けない経営者と成り下がっている。『仁義なき戦い』をすこぶる好む人間である訳だ。

 もし、その人物が『相手の立場になれる人』であれば、理不尽なる『独裁的なパワハラ』なんぞに手を染めることはなかったろうと。

 上のような人物の読書法を、筆者はよく『多読は多毒』と言い、『毒書』にならぬよう、日々警鐘を鳴らしている次第。書籍を読むだけで、有能な人物になれると思い込んでいるところが、稚拙極まりない点であるが。


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文責:西田親生

                   

  • posted by Chikao Nishida at 2022/10/27 12:00 am

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