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油とコロモで誤魔化す悪徳商法

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 スーパーでもコンビニに行けば、弁当や惣菜はピンキリである。中でも、電子レンジで温めるうどんや蕎麦、ちゃんぽんなどあるが、大抵の場合、油とコロモで誤魔化した、劣悪なものが存在している。

 油とコロモを多く使えばカロリーは上がる、消化に悪いので、胃袋に残る。それを満腹感へと結びつけているとしか思えず、非常に悪質なものではないかと思うばかり。

 例えば、ごぼう天うどんのごぼうは花鰹のようにすこぶる薄く、そこに重々しく大量のコロモで包み込んである。海老天も同様。ちゃんぽんの野菜など、家畜の餌かを思うほどに、硬くて噛みきれるものではない。

 いつぞや、ある有名スーパーの油淋鶏の惣菜にコンプレしたことがあった(勿論、お代を払ってクレームを伝えた)が、パッケージを開けると油とコロモの塊であり、鶏肉など補欠の補欠程度に、油ベロベロに仕上げていた。

 最近の弁当や惣菜は工場で大量生産をしているが、そこには消費者目線は無視されており、原価を重点的に考え、逆算にて大量生産するために、消費者の満足度など関係なく、不健康な弁当や食材が出回っている。

 食糧庁や消費者庁は何をしているのか?と物申したい。人の命を繋ぐ食料に対して、不健康なものがこれほど多く出回っているにも関わらず、何の指導もなく改善もない。悪徳商法も加速度を上げて、コマーシャルに例えれば、誇大広告全開のまま販売している。

 紅麹事件も記憶に新しいけれども、死者が出ているにも関わらず、尻切れ蜻蛉であり、あとは個別の民事事件として水面下で執り行われるのかと思うと、社会的制裁を免れているに過ぎない。とことん膿を出すように、各省庁は日頃から厳しい目を向けて、事件事故が発生する前に行政指導を徹底すべきである。

 食べ物が、一番怖い。胃袋に入れた瞬間に、毒素が回ったり、寄生虫が内臓を攻撃したりと、昔の野蛮な時代ではないのだから、そこは規制を行い、消費者の命を守るを大原則として、何ちゃって食材販売を阻止しなければならない。

 重大な事件事故が発生したからでは、遅すぎる。更に、上記のような不正行為を野放しにせぬよう、厳しい法制度の改訂が求められるのではないか。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、現代の食品業界における品質の低下や、消費者を欺くような手法に対する鋭い批判を展開しており、食の安全と健康に対する警鐘を鳴らしている。以下に、感想を詳しく述べる。

1. 食品業界の実態を的確に指摘
   コラムの冒頭では、スーパーやコンビニで売られている弁当や惣菜に関する問題提起がなされている。「油とコロモで誤魔化す」という表現は、まさに安価な食品の実態を鋭く捉えている。大量生産の弁当や惣菜は、消費者の健康よりもコスト削減や利益追求が優先されていることは間違いなく、そこに消費者目線が欠如しているという主張には強く共感できる。

 特に、「胃袋に残る」という点については、単なる満腹感を演出するために油や衣を多用する食品業界の戦略を明快に示しており、読者にとって非常に分かりやすい。

2. 具体的な例示が説得力を増す
   ごぼう天うどんの衣の厚さや、家畜の餌のような野菜、油淋鶏の鶏肉がほとんど入っていないといった具体例は、読者に問題の本質をリアルに伝える役割を果たしている。特に、薄いごぼうに大量の衣をつける手法は、実際にスーパーやコンビニの総菜コーナーを見れば納得できるものであり、「なるほど」と思わせる説得力がある。

 また、コラム全体にわたって、筆者自身の体験談が盛り込まれているため、机上の空論ではなく、実際に経験したうえでの主張であることが伝わってくる。この点が、コラムの信憑性を高めている。

3. 行政への鋭い批判
   「食糧庁や消費者庁は何をしているのか?」という問いかけは、食品の安全性に関する行政の対応の遅さを問題視している点で非常に重要だ。特に、食品の安全を守るべき機関が、不正や品質の低下を野放しにしているという指摘は、読者の共感を呼ぶ。

 紅麹事件に触れ、「社会的制裁を免れているに過ぎない」と述べている点も、過去に発生した食の安全問題が、十分な対応をされないまま風化してしまう現状を浮き彫りにしている。

4. 食品の安全は命に直結するという認識
   「食べ物が一番怖い」という言葉は、食品の安全性が直接的に命に関わる問題であることを端的に表している。特に、「胃袋に入れた瞬間に毒素が回る」「寄生虫が内臓を攻撃する」という表現はややショッキングではあるが、それほどまでに食品の安全性が軽視されている現状に警鐘を鳴らしている点は評価できる。

 近年、日本国内でも異物混入や賞味期限の改ざん、添加物の過剰使用などが問題視されることが増えており、本コラムの主張はタイムリーなものと言える。

5. 強い口調が読者を引きつける
   コラム全体のトーンは辛辣でありながらも、食の安全に対する強い問題意識が伝わる内容になっている。「何ちゃって食材販売は御免被りたい」「重大な事件事故が発生したからでは遅すぎる」といった表現は、まさに読者の心に響くものだ。

 強い言葉を用いることで、読者の意識を喚起し、共感を呼ぶ効果がある。ただし、同じような問題意識を持っていない読者にはやや過激に映る可能性もあるが、それでも、食の安全というテーマに対する筆者の真剣な姿勢は伝わってくる。

総評
   本コラムは、現代の食品業界における不正や品質の低下に対する鋭い批判を展開し、消費者が食の安全に対してより注意を払うべきだという強いメッセージを発している。具体例を交えながら説得力を持たせ、行政の対応の遅れにも切り込んでいる点は評価に値する。

 また、表現が辛辣であることが、かえって読者の関心を引きつける効果を生んでおり、食品問題に対する警鐘として機能している。食の安全は誰にとっても無関係ではないテーマであるため、今後もこうした問題提起が求められるだろう。

 全体として、非常にインパクトのあるコラムであり、読者の意識を高める意義のある内容だった。
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文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/11 12:00 am

9月となれば、「お節料理」の広告急増。

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 シティーホテルや旅館、そして大手食事処、百貨店やコンビニ、スーパーなどの、年末商戦の大きな鍵を握る「お節料理」。既に、ネット上では広告合戦が始まった。

 そこで目立つのは、冷凍物の「お節料理」である。近場の施設の手作り「お節料理」が遥かに旨いけれども、遠隔地にある名店の「お節料理」を食べたければ、冷凍物に頼る他はない。

 以前食した冷凍物は、三段重ねの「おせち料理」であった。率直な意見を申し上げると、大量生産しているためか、盛り付けが歪んでいたり、食材が重箱(紙製)の外にやや突き出して、各段に隙間が見られ、美観を損ねていた。

 お味のほどは、ABCランクを付ければ、Cランク。如何に有名処の「お節料理」と言われても、残念ながら、素直に頷き、唸るほどのものではない。

 特に、伊勢海老などは冷凍焼けしていたように感じ、身がボソボソとなっていた。彩や飾り付けのメインとなる伊勢海老だが、思いの外小さく、食べるところがなかった。

 更に、その他料理を摘んで行っても、手作り感満載の「お節料理」と比較すると、格差があるのは否めない。瞬間冷凍技術など物流も含めて、技術的には解凍後に手作り感のあるものには近づきつつあるのは間違いない。されど、食材は目の前で調理を行い、そして、出来上がりを一斉に食すのが一番である。

 ところで、先般ネットを見回していると、大手シティホテルの「お節料理」が全て冷凍物に変わっていたのである。全国展開なので、指定工場へ以来するのだろうと。よって、その工場レベルに依存することになり、急に冷凍物に変わると、つい、手を引っ込めてしまいたくもなる。

 昔は、各家庭で祖母や母たちが年末にこぞって、昔からその家庭に伝わる「お節料理」を作っていたものだが、その姿は、今では地方の田舎でしか見ることはできない。素朴で健康的で、明るい新年を祝うための「お節料理」が完全に姿を消しつつあるのだ。

 しかし、「お節料理」が商業化されたことで、更には、バブリーな時代を経験したことで、とんでもない高額商品となってしまい、時には十万円を超えるような「高級お節料理」を目にすることがある。

 果たして、それは年末商戦への企業の秘策なるものか、消費者の自慢の種になるものか分からないが、素朴な日本の食文化を継承する料理の代表格でもある「お節料理」が、やや異なるベクトルにて動いていると言っても過言ではなさそうだ。

 これまで、熊本市内の名物個人フレンチレストランのお節、有名ホテルの和洋中折衷お節、中国料理のみのお節、フランス料理のみのお節など、多種多様な「お節料理」を楽しませて頂いたが、瞬間冷凍物は一切なかった。

 話は戻るが、温暖化、気候変動などで高温多湿化する日本。食中毒を防止するためにも、瞬間冷凍の「お節料理」が市民権を得て、瞬間冷凍物が主役に躍り出る時代も目と鼻の先に来ている感がある。

 あとは、冷凍技術の物流システムが、「質の量化、量の質化」を徹底研究することが求められるが、さて、自然解凍後に、手作り料理と違和感なく食せるものがどれだけ開発されるのか、期待しているところでもある。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、「お節料理」の商業化と、それに伴う品質や文化的価値の変遷について深く考察されています。筆者は、かつて家庭で手作りされていた「お節料理」が、現在では大手のシティーホテルやレストラン、さらには百貨店やスーパーで売られる商業品へと変わりつつある現状に対して、懸念と寂しさを表明しています。

まず、エッセイの冒頭では、9月になると「お節料理」の広告が急増するという季節的な変化を指摘しています。これは、年末商戦の大きな一部を占める「お節料理」のマーケットが、既にこの時期から始まっていることを強調しています。また、冷凍物の「お節料理」が主流となりつつある現状を紹介し、その品質や見た目について具体的な批評を行っています。特に、冷凍食品としての「お節料理」が大量生産されることによる見た目の乱れや、食材の質の低下を指摘し、手作りのものと比較して劣っている点を強調しています。

さらに、筆者は「お節料理」が本来持っているはずの手作り感や新鮮さ、家庭的な温かさが失われている点についても触れています。冷凍技術の進化にも関わらず、やはりその場で作られた料理には敵わないと感じており、その点で冷凍の「お節料理」に対して一定の距離感を持っていることがうかがえます。

一方で、筆者は現代の食文化における変化や、冷凍技術の発展についても言及しています。温暖化や食中毒防止といった現代的な問題に対処するためには、冷凍技術が役立つことも事実であると認めています。そのため、「お節料理」が冷凍品として市民権を得る可能性についても考慮しており、今後の技術の進化に期待を寄せています。

最後に、「お節料理」が高級化し、商業的な価値を高める一方で、その本来の文化的・伝統的な価値が失われつつあるという懸念を表明しています。エッセイ全体を通じて、筆者は「お節料理」の今後のあり方について批判的かつ懐疑的な視点を持ちつつも、冷凍技術の進化に対しては一定の期待を示しており、バランスの取れた視点でこのテーマを考察していると感じます。

総じて、エッセイは「お節料理」という特定のテーマを通じて、現代の日本の食文化や技術の進化、そして伝統と現代性の衝突について深く考えるきっかけを提供しています。筆者の視点は、単なる懐古的なものではなく、現代社会の現実をしっかりと見据えたものであり、多くの読者に共感を呼ぶものと思われます。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/2 12:00 am

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