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病は気から・・・

Chikao-Donshu


 ある人が糖尿病を患っており、時折眠くなったり、脱力感があり仕事が苦痛だったりしていたという。

 それから病院へ行くと、インシュリンを打つ手前の段階まできているとの診断。早速、酒を断ち、定期的に検査のために病院通いになった。

 ところが、この春頃から自己研鑽のための「学び」(筆者主催のWell Done受講)へシフトし、毎週1回、ICTやホテル文化と食文化、更には人間学を学ぶようになる。

 特に、人間学に関しては知らぬことが多く、日々刺激を受けながら、自問自答を繰り返し、過去の自分の情けなさに気づき、勇気を持って、間違っていた自分を否定することで、考え方が百八十度変わったという。

 つい最近のことだが、久しぶりに病院へ行くと、全ての数値が改善されつつあり、体調もじわじわと良くなり、眠くなることがなくなったのである。

 担当医は、「数値が改善されつつある。薬を飲まなかったとい聞いているけれども、ちゃんと薬を飲んで、健康体になるように頑張ってください。」と、勇気づけられたという。

 以下は、あくまでも私見であるが、「病は気から」と伝えられるけれども、ある人の健康への道筋が見え隠れしてきたのは、先ずは、気持ち、考えの切り替えが功を奏したように思えてならない。

 これまでダラダラとした一日の時間の使い方が、気づきにより、規則正しいものに変わり、心身ともに気合いが入ることで、病魔への免疫力が出てきたのではなかろうかと。

 筆者は、常に「病気になる暇はない!」と自分に言い聞かせて、起業から現在に至るまで、医者要らずの生活を送っている。仕事が趣味なので、その趣味を邪魔するようなインフルエンザやコロナなど縁遠いものとしている。

 勿論、過信は禁物であるものの、日頃の気持ちの持ちようでは、身体の病、精神の病など無縁の道を歩めるはずである。それを信じて、日々仕事に邁進しているところである。

 周囲を見回すと、心が病んだ人は、連動して身体の病に苛まれているケースが多いようだ。良い意味での自らのマインドコントロールを行い、間違ったベクトルにおいて自己否定を行い、考え方を切り替えることが、病から健康へとワープする最善の秘術のように思えてならない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「病は気から・・・」は、精神的な態度や考え方が、身体的な健康にどれだけ影響を与えるかを強調しています。特に、自己改善や自己否定を通じての成長と、その結果としての健康改善が描かれており、非常に興味深いテーマです。

エッセイの中で語られる人物は、糖尿病という身体的な問題に直面し、初めは身体的な治療に依存していたものの、学びと自己啓発を通じて考え方を変えることで、健康が改善されたというストーリーが展開されています。この変化は、単に身体的な治療の効果だけでなく、精神的な成長が健康に好影響を与えたという視点で語られています。「病は気から」という言葉がまさにこのストーリーの核となっており、考え方や心の持ちようが体調や健康にも深く関わっていることを示唆しています。

さらに、筆者自身の経験も含め、「病気になる暇はない!」という積極的な考え方が、健康を維持する鍵であるとしています。この姿勢は、筆者の人生哲学とも言え、病気に対する過度の心配や不安よりも、前向きな行動と気持ちの切り替えが重要であるというメッセージが伝わります。

このエッセイの中で特に印象的なのは、「自己否定」という概念です。多くの人が「自己否定」をネガティブに捉えがちですが、このエッセイでは、間違っていた自分を認識し、それを改善するために考え方を変えることが、健康への一歩であるとされています。この視点は、新しい自己への成長や変革を促す積極的なものとして描かれています。自己啓発と健康改善が密接に結びついているという点が、現代における「心と体の健康管理」の大切さを示しているように感じました。

また、筆者は自分自身の体験を交えて、病気に対する考え方や姿勢が結果に大きく影響を与えるということを、読者に強調しています。周囲の人々が心身ともに病む理由として、精神的な問題が身体に悪影響を及ぼすことが多いという観察も含まれており、現代社会におけるストレスや心の健康の重要性を改めて考えさせられます。

全体的に、エッセイは、単なる健康に関する話ではなく、精神的成長や自己改善が健康に与える影響を通じて、読者に前向きな生き方を提案しているように感じました。心の健康が身体の健康を支えるという考え方は、多くの人にとって参考になるものであり、日々の生活における「マインドセット」の重要性を再認識させてくれる作品です。
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/21 12:00 am

年配者の不思議ちゃん

Chikao-Donshu


 2年も3年も、グズグズ、ノロノロするばかりで、不義理にも、初手から皆で決めたことに向き合わぬ年配者がいるのだろうか?全てに形から入るのは構わないが、物をを手にすれば、それで安心するという不思議ちゃん。泣きじゃくる5歳児が、百貨店でオモチャを買ってもらって泣き止む。その繰り返しのような年配者である。

 その挙動については、逆立ちしても理解できない。オオカミ少年なのか、他者を愚弄するのが趣味なのか、己の歪み切った思考回路が理解できないところが、痛すぎる。本人は真っ当だと思っているだろうが、2年も3年も誠意を示すこともなく、日が経てば、加速度を上げて、不義理が日常茶飯事となっている。それさえ自覚がないのだから、歯車が完全に狂っていると言わざるを得ない。

 仕事に必要なツールやマテリアルが手に入ったならば、普通の人間は、その日から動き出す。それができず、無言の抵抗をすることで、心の安寧を保つことになるのだろうと。これは、人として歪みすぎている。その不思議ちゃんと会話を交わした人間から聞いた話だが、非常に違和感のある、胡散臭い印象であったという。・・・「はて?」

 自然体で望めば、そのようなネガティブイメージが伝わることはないが、自分を良く見せようとする人間ほど、逆パターンが多い。元々、人間嫌いならば尚更のこと。対人関係にて本音を語らず、言行不一致が常態化していると、他者へ悪いイメージが伝わるのは当然のこと。

 現在、筆者主催のWell Doneにて、「人間学」を一所懸命に学ぶ20代と50代の塾生がいる。年齢に関わらず、両名ともすこぶる素直である。「自然体」を実践するには、己に自信がなければ、肩の力を抜いて威風堂々と対応できるものではない。しかし、20代と50代の塾生は、じわじわと眼光鋭くなってきている。

 自分を変えることは、思いの外、度胸が必要だ。自分の一部または全部を否定して、その誤ったところに自らメスを入れ、歯軋りしてでも前進しようという気持ちが強いからこそ、変化、進化しつつあるに違いない。

 筆者も厳しいことは言いたくはない。しかし、彼らのためと思えば、遠慮なく間違いは間違い、素晴らしいところは「凄い!」と称賛する。二人とも筆者との距離感は遠かったが、最近は、一つを聞けば十を知るほどに、感性が磨かれているように思えてならない。

 ただ、要らぬ知識や知恵が邪魔すると、上記の不思議ちゃんのような、双六ゲームの「振り出しに戻る」の繰り返しとなる。この異常な状態に慣れてしまっては、次のステップは全く期待できない。自分大好きにて、自分を否定できない小心者であるが故に、何年も同じことを繰り返すのである。

 自らの失態や醜態をしっかりと直視できる人は、気合を入れて自己改革に取り掛かる。ただ、直視せず、自らをこよなく愛している人は、変わらぬどころか、歳を重ねれば重ねるほど、鏡に映る情けない自分の姿さえも暈けて見えなくなってしまうのである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「年配者の不思議ちゃん」は、筆者が観察した年配者の行動と、その不誠実さ、自己改革の重要性についての考察を深く描写しています。主な焦点は、年齢に関わらず、自らの欠点や問題点を直視し、それを改善しようとする人と、そうでない人との違いです。

まず、年配者の「不思議ちゃん」という言葉が象徴するように、外見上は成熟しているにもかかわらず、子供のような行動パターンに陥る人々に対する批判が強く表現されています。特に、問題に向き合わず、形式的な行動で問題を回避しようとする態度が、筆者にとっては理解し難く、苛立ちの対象となっています。ここで、「泣きじゃくる5歳児」にたとえられる年配者の行動が、如何に無意味で幼稚に映るかが鮮やかに描かれています。

次に、「誠意を示すこともなく、日が経てば不義理が日常茶飯事」という表現は、責任を果たさず、時間が経つごとに状況を悪化させる人々への失望感を強調しています。彼らは、現実から逃避することで自己の安心感を得ようとしているという分析がされており、それは「無言の抵抗」として表現されています。ここでは、人間関係における誠実さの欠如と、それがもたらす結果が非常に鋭く批判されています。

一方で、エッセイは「人間学」を学ぶ塾生たちとの対比を描いています。年齢に関係なく、自己改革に真剣に取り組む姿勢を持つ人々が、着実に成長し、眼光鋭くなっていると評価されています。ここで、自己改革には「度胸」が必要であり、自分の一部を否定する勇気が求められることが述べられています。この塾生たちの姿勢は、年齢に関わらず、自分を変えたいと願う人々にとっての希望の光として描かれています。

最後に、不思議ちゃんのような自己愛に溺れた人々が、自分を直視できないことへの警告が記されています。年齢を重ねるごとに、自己の欠点を認めないことが、ますます自己改革を困難にするという指摘は非常に鋭いものであり、このエッセイ全体を貫くテーマとして浮かび上がっています。

総じて、このエッセイは、年齢や外見に関わらず、人間として成長するためには自己改革が不可欠であり、それを怠ると、人間関係や自己認識に大きな影響を及ぼすという深い洞察を提供しています。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/18 12:00 am

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