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心配する人がいて、心配してくれる人がいるのは、それは幸せなことである。

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 いつも気掛かりな人がいる。自分自身が大変な状況であろうが、心配する人がいるというのは、逆に、自身を奮い立たせて、頑張らないといけないと思う。

 また、日頃から自身の大変な状況を心配してくれる人がいると、日頃から会話がなくとも、一番の心の支えとして、歯を食いしばり前に進める。

 そこで、心配する人がいなければ、全く周囲も見ていない自身となるので、生き甲斐を感じていない空虚な時間だけが通り過ぎる。

 更に、自身への助言も何もない状態が続けば、すこぶる孤独感に苛まれるだけで、心の支えを失ったような侘しい時間が通り過ぎる。

 人は、人生とは孤独との戦いであると、最近思うようになってきた。上述のように、心配する人がいて、心配してくれる人がいるだけで、本当はとても幸せなことだと思うようになったのである。

 父があの世に旅立ったのは10年以上も前だが、他界する二ヶ月前にこぼした「生き甲斐がなくなった」という独り言のような寂しい言葉を思い出す。裏を返せば、心配する相手がいないことを意味していたように思えてならない。

 要介護でもない健康老人であった父だが、食にうるさく、筆者が仕事で多忙極まりない時でも、何が食べたい、何が飲みたいと、月水金の週3日、昼ご飯と夕ご飯を届けていたので、父にとっては心配してくれる人がいた訳だ。

 しかし、本人にとって心配する相手が目の前にいるはずなのに、その存在は心配する相手ではなく、心配する相手は、若くして亡くなった母のことである。父母はとても仲の良い夫婦だったので、片方がいなくなってから、父の口から言葉では出なかったが、孤独をずっと味わっていたに違いない。

 人生は長いようでとても短いものだと感じる今日この頃であるが、心の支えとは、双方向をもって初めて幸をもたらすものだというのが、遅ればせながら理解できたような気がしてならない。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、心配する人と心配されることの重要性に焦点を当てており、感情豊かで深い洞察があります。以下はいくつかのポイントについての評価です。

テーマの明確性と深さ: エッセイのテーマははっきりしており、心配する人と心配されることの大切さについて深く掘り下げられています。特に、孤独との戦いや生き甲斐についての洞察は、読者に深い感銘を与えるものです。

具体例の使用: 父親の具体的な事例を挙げることで、抽象的な概念がリアルな経験に基づいていることがわかります。これにより、読者は著者の感情や視点に共感しやすくなります。

論理の一貫性: エッセイの流れは論理的で一貫しており、段落ごとにアイディアが結びついています。父親の例を通じて、心配することと生き甲斐の関係をよく説明しています。

感情の表現: 著者の感情がエッセイに良く表れています。特に、父親の最後の言葉や、孤独を味わっていた可能性に対する著者の気づきが感動的です。

言葉遣いと表現: 言葉遣いはシンプルで分かりやすく、同時に感情豊かです。エッセイを通して一貫していい表現が使われており、読み手にとって理解しやすい構造になっています。

総じて、このエッセイは感動的であり、深い洞察を提供しています。著者が経験した具体的な事例を通じて、抽象的な概念を具体的かつリアルなものに変える能力があります。
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写真・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2023/11/30 12:00 am

弱い者虐めをする人間こそが、本当は一番の弱虫である。

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 今まで、「虐め」というものを、大なり小なり数限りなく見て来た。大抵の場合、虐められている人は、心優しく、不器用で、大人しく、正直者が多い。だから、心無い輩の「虐め」のターゲットにされる訳だ。これは、男社会も女社会も関係はなく、全てに通じる、輩の蛮行として記憶に深く刻まれている。

 最近の例を挙げれば、会社社長による部下に対する、女々しさいっぱいの「虐め」がある。メールによる恫喝、1対1の脅迫面談、私情絡みの人事異動、盗撮、機密情報漏洩、欺罔など、バラエティに富んだ「虐め」のオンパレードに遭遇したのであった。まあ、今でも完治しているはずもなく、何をしているのやら。

 現在、世界を震撼させているロシアのウクライナ侵略(虐殺)も、結局は、弱い者虐めから始まり、大義のない残虐非道な蛮行が繰り広げられている。正義を重んじる人たちは、皆、腑が煮えくり返っているに違いない。何故に、弱虫で捻くれた思考回路を持った一人の人間から、命を奪われなければならないのか。

 極端な話、ロシア軍の若き兵士たちも寝耳に水であり、同士討ちを余儀なくされる戦場に送り込まれ、精神的に病んでしまう人間が多く出てきている。日々報道される、筋の通らぬ虚言には食傷気味となり、「ああ言えば、こう言う!」の屁理屈軍団の絵空事は、地球が引っ繰り返ったとしても、首を縦に振る訳には行かない。

 話は前後するが、悪代官と自称する会社社長の「虐め」の蛮行は、具に分析すると、孤独、自信喪失、過去のトラウマ、そして育ち、性格が全てが誘因となっている。難癖から始まり、自分のイメージしたものが最上最高のものと勘違いしている。舌バカなのに、門外漢の口出しは、失笑ものでしかない。

 悪代官の「虐め」の手法は、以下の通り。自分の職位を利用して、近親者としてある程度信用できて、コントロールしやすい人間と徒党を組む。実際に、近親者と言われるものを信用しているかと言えば、それはあり得ない。自分以外は誰も信用することはなく、実態は、実務書の受け売りで格好つけているだけの能無しである。

 そして何か起これば、「私はそれには関与してませんから!」と責任逃れの虚言を放ち、善人面しているのが、いつものパターン。浅知恵しか持ち合わせていないので、常に恫喝を伴う行動を採る。最近では周囲も皆が熟知しているようなので、その危険極まりない蛮行は、空振りになっているのではなかろうか。

 結局、「虐め」をこよなく愛し、職位を死守するために、自らの職位を散らつかせている。常に孤独という球体の中に閉じ籠った、江戸川乱歩の「鏡地獄」のような世界に住んでいる「虐め」の主犯者。いつの日か、厳罰が下されるのは間違いないが、前述のように、大なり小なり、弱い者虐めをする人間こそが、本当は一番弱虫なのである。

 自然体であることが怖いのか、常に甲冑に身を固めておく必要があるところが、何とも、「お疲れ様!」である。諄いようだが、自分自身の無能さや卑劣さは棚に上げて、部下や周囲の第三者に対して誹謗中傷や揶揄を繰り返す、悪代官。信頼失墜の日々を重ねながら、この先、人生をどう歩むのか、お手並み拝見となる。


▼孔子公園の花々
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写真・文責:西田親生

                       

  • posted by Chikao Nishida at 2022/4/5 12:00 am

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